北西の森林地帯
保安の救護班が到着し、ロードムを運び出していった。
一緒に来た保安員と何やら話したあと、ノッツが戻りましょうとふたりを促す。一階へ戻ると店内には多くの保安員たちが忙しなく動き回り、片隅には拘束された従業員たちが集められていた。
「宿に臨時拠点を作ったので、子どもたちは先に案内させています。一部屋しか用意できなくて申し訳ないですが、皆様でお使いください。食堂で食事もできますので、どうぞそちらもご遠慮なく」
互いの姿を見て、ノッツの申し出をありがたく受けることにしたリーとアーキス。遠巻きに人が集まる中、店を出て足早に宿へと向かう。
宿で通された部屋には、既にアリアとライル、そしてフェイがいた。
あちこち血にまみれたふたりの姿を目にしたアリアがきゃあと声をあげる。
「リー! アーキス!」
「大丈夫、俺たちの血じゃない」
内からも外からも伝わる心配の声に、リーは辞色を和らげそう返した。
「着替えるから先に食堂に行ってて」
ほっとしたようにわかったと答えてから、アリアがふっとリーを見上げる。
「……リー? 大丈夫?」
「着替えたら行くから」
「ほら、アリア」
ライルがアリアの手を取って、先に行ってるねと部屋を出た。
「湯も届けてもらうから。ゆっくり着替えてこい」
そう言い残してフェイも続く。
「……そんなつもりはねぇんだけどな」
扉が閉まるのを見届けてからのリーの声に、アーキスは何も言わなかった。
「……ヴォーディス、だよな」
血で汚れた服を着替えながらリーが呟く。
「条件は合うよね」
黒の一番の北西に広がる森林地帯であるヴォーディス。気温は低く、魔物も多い。
「今も捜索は入ってるし、シングラリアの時に結構見回ってたはずなんだけど、見つかってないってことか…」
シングラリアとの呼称をつけられた未知の魔物が現れだした一件、その主体がいたのがヴォーディスの中だった。
大規模な討伐になったのでそれなりに広い範囲で踏み込んでいる。その範囲内に建物やなんらかの痕跡があれば組織も把握しているはずだ。
それがなかったということは、かなりの奥地にあるのだろう。
そこまで考え、はたと気付く。
「エルメが言ってた『怖いの』って……」
「可能性は高いと思う」
既に気付いていたのだろう、言葉途中でアーキスが頷いた。
あの時主体がいたのは黒の一番から二日ほど行った辺り。その奥にシングラリアはいないとされていたが、その直前の陽動作戦で手前側に集まってきていたのかもしれない。
「ニックとはその次の場所で一緒になったって言ってたから、ほかにも何ヶ所かそんな場所があるんだろうけど。そこには結構長くいたみたいだから、規模も大きいかもしれないね」
「だったら龍に見つけられてそうなもんだけどな…」
大きい建物なら、少しくらい離れていても上空を飛んでいる時に目につきそうなものなのだが。
「ヴォーディスも広いっていうけど……。そういやリーは前の時に空から行ったんだよね。どのくらい先まで見えた?」
討伐の際にアーキスと別れてからのことは話してある。二日の距離を埋めるには龍の移動速度が必要であったことも、また。
ジト目で見返すリーに、アーキスは涼しい顔で愚問だったねと取り下げた。
食堂でお茶を飲んでいると、宿内が何やらざわつき始めた。入口越しに見える廊下に行き交う保安員たちの数が増えている。
「戻ってきたな」
ぼそりとフェイが呟いてすぐ、ノッツが姿を見せた。
「ジャイルさんが戻りました。すみませんが、あとでお呼びしますので」
忙しないその様子に、部屋に戻っておくからと伝える。
やがて部屋を訪れたのは、ノッツではなくジャイルだった。
「済まなかった」
部屋に入るなり深々と頭を下げるジャイルに、リーは飛び上がりそうになる。やめてくださいと請う前に起こしてもらえたが、心臓に悪いことこの上ない。
ジャイルが町に到着した時には既に追手は撒かれたあとだったらしい。そのまま逃げる者を捜していたが、それらしい姿は見つけられなかったそうだ。
「龍の気配は気取られていないと思っていたが、それにしては動きが早すぎる。そのあたりの認識は改めたほうがよさそうだな」
詳しくは組織づてに報告をすると言いつつも、今わかっている分だとエイランの容姿を教えてくれた。
エイランはここではアドと名乗り、白髪に漆黒の目をした三十代くらいの中肉中背の男だそうだ。
「ちびどものことも気付かれている可能性が高い。追手はこちらでかけているから、あとは任せてくれ」
協力ありがとう、とアリアとライルの頭を撫でるジャイル。ひとしきり撫でられてから、アリアはしゅんとした顔でジャイルを見上げた。
「ついてこさせてくれたのに、何もできなくてごめんね」
「何言ってるんだ。ふたりのお陰でイグニスを死なせずに押さえることができたとノッツから聞いてるぞ」
もう一度、励ますように少し強めに撫でてから、ジャイルは大丈夫だと強く言い切る。
「イグニスから手掛かりがひとつ手に入った。そっちからも子どもたちのことを捜せるからな」
じっとジャイルを見上げていたアリア。隣のライルに手を握られ、ようやくその表情を和らげた。
「……わかった。お願いね、ジャイル」
「ああ。任せとけ」
力強いその声に、アリアはありがとうと微笑む。
「またいつでも呼んでね」
「そこは呼ばずに済むよう願っといてくれ」
呆れたようで優しいジャイルの声。
同じく緩むアリアとライルの様子に、心配はいらなかったかとリーも内心ほっとする。
アリアもライルもちゃんと自分で日常に戻ることができている。
呼び起こされただろうあの日の感情に溺れることなく、ちゃんとこうして今を過ごせている。
気遣いは必要だとしても、もう過剰な心配はいらないな、と。
その成長を嬉しく思いながら、リーは笑い合うふたりを見つめていた。
朝まで貸してもらった部屋で休んだあと、遠慮なくと勧められ朝食を食べたリーたち。
ジャイルは夜明け前に出立したそうで、詳しいことは後に報告をするとノッツから伝えられた。
これで突然の保安との協同任務は終了となる。
メルシナ村へと戻るアリアたちとはここで解散というわけにはいかないので、一度揃って青の四番へと戻ることにしていた。
「青の四番まで、馬車はありませんが馬なら貸せますよ?」
ノッツがそう提案してくれたが、リーは必要ないと首を振る。
「フェイが馬には乗れないので……」
そう答えると、フェイが何を言ってるんだと怪訝そうな顔をした。
「乗れるぞ?」
「は?」
「保安の馬ならおそらく乗れるぞ。以前馬車にも乗っただろう?」
「アリアも乗ったよ!」
「僕たちは戦い方を知らなかったから普通の馬車にも乗れたんだよ」
思わぬ言葉にフェイを凝視したあと、子どもたちへと視線を移すリー。
アリアたちの誘拐事件の際、ラジャート村を出てから赤の五番へ移動する時のこと。確かにフェイもアリアもライルも一緒に保安員の迎えの馬車に乗った。あの時は子どもたちも馬車で移動させられていたと聞いていたので、馬車なら大丈夫なのかと思っていたのだが。
なんとなくノッツに視線をやると、事情は察してくれたのか、苦笑を見せながら頷かれる。
「貸馬と違って、多少のことには驚かないように訓練をしていますから。それでもアレを乗せたら次の日は怯えて使い物になりませんけどね」
「……そう……ですか……」
やはり保安も苦労しているのだな、と。
そんなことを思いながら、リーも苦笑を返すしかなかった。
朝食後にビオードの町を出発したリーたちは、一日をかけて青の四番へと戻ってきた。
アリアたちはフェイとともに夜中を待ってメルシナ村へと帰るので、町には入らず隠れて待つという。
「気をつけてね」
「また行くから」
疲れもあるだろうからと、リーとアーキスにはつきあわず先に宿で休むようにと三人が勧めてくれた。自分たちが一緒にいる方が身動きも取りにくいだろうと思い、ふたりはその場で別れを告げる。
「うん! 待ってるね!」
「ふたりも気をつけて」
ぎゅうっと抱きついてくるアリアとそのうしろで穏やかに見守るライルの姿に、なんとなく胸に残ったままだったものが洗い流されていくような感覚を覚えるリー。
これでまたちゃんと前を向ける。そんな気持ちになれていた。
「ああ。ありがとな」
含めた意味までは伝わっていないだろうが、それでいい。
言葉以上の感謝を胸に抱きながら、リーは嬉しそうに綻ぶアリアの頭をもう一度撫でた。





