絆と絆(ほだしときずな)
騒然としだした酒場の前、身を潜めていた十人ほどの保安員たちが次々に酒場になだれ込んでいく。
「保安です! 動かないでください!」
突然のことに怯え慌てる客たちの安全を確保する者、逃げようとする従業員たちを追う者。裏口からも同様に突入していたのだろう、逃げようとした男たちが足止めされている。
請負人と違い集団で動く保安員たち。いちいち指揮をせずとも統率されたその動きはさすがというべきか。
「ふたりは私と」
途中で鉢合わせた男をあっさり落としたノッツはそのまま階段を降りていく。
並ぶ扉を端から手分けして開けていくと、ひとつだけ鍵のかかった部屋があった。
「壊しても?」
ガシャガシャと扉を押したり引いたりしている保安員に、リーは交代を申し出る。頷いてくれたノッツに下がっているように言い、剣を抜いた。
取っ手部分をめがけて思い切り振り下ろす。重い手応えはあるが、一度では無理だと判断し、二度三度と繰り返す。
そのうちゴトリと取っ手が外れたので、あとは力任せに蹴破った。
扉が開くなりの濃い血の臭いに眉をしかめる暇もなく、血溜まりに横たわる男が目に入る。
濃紺の髪の若い男。腹部と両足先が朱に染まっている。瞳は閉じていて見えないが、間違いないだろう。
「アーキス!!」
弾かれたように駆け込んだリーが、ベッドのシーツを引っ剥がして止血にかかる。
荷物の中から薬と水を取り出したアーキスは、イグニスの傍らに膝をついて口元と首元を確かめた。
「まだ息はあるけど、時間の問題だと思うよ」
「まだあるんだろっ」
どこか冷えたアーキスの声に、叫ぶよう返すリー。そのあとに続くように、ノッツが保安員に指示を出す。
「救護班を! 手当ては―――」
「基本なら」
「調合師です」
「わかった、任せる。おい、聞こえるか!!」
騒々しくなった部屋に、イグニス―――ロードムの瞼がぴくりと動いた。
うっすらとロードムが目を開けたことに気付き、ノッツがおいと声をかけた。
「気付いたか。今応急処置をしている」
「上半身を起こして支えてもらえますか」
ノッツがロードムの背中に手を差し込んで起こす。そこへアーキスが水を含ませようと水入れを近付けるが、顔を背けて拒まれた。
「痛み止めと止血剤。飲ませるから力抜いて」
「……放……っとけ…」
「馬鹿言ってねぇでさっさと飲め!」
投げやりなロードムの言葉に、腹部に続き足の止血をしているリーが怒鳴りつける。
「お前がどんな奴だって。死んだら全部おしまいだろうがっ」
リーを捉える琥珀の瞳に浮かぶ、諦めと苛立ち。
「生きてりゃなんとかなるなんて言わねぇけどっ。少なくともまだ終わっちゃいねぇだろっ」
気付かぬままに、リーが重ねた。
一方のアーキスは一見落ち着いた表情ながら、その奥には静かな怒りを湛えていた。
リーの言葉の続きを十分に待ってから、頭を押さえてくださいとノッツに告げる。
「一技師として、俺はお前を許せないから。本当はお望み通り放っときたい」
らしからぬその言葉の裏側に浮かぶ姿を、目の前の男が理解しているとは到底思えないが。
顎を掴んで少し上向かせ、アーキスは手早く薬と水を流し込んだ。
「だけど、あいつに言わせるとまだ終わってないらしいから。仕方ないから俺にできる限りのことはする」
ロードムが嚥下したのを見届けてから、ノッツにもう寝かせていいと礼を言う。
再び床に横たえられたロードムを見下ろして、アーキスは沸き立つものを逃がすかのように息をついた。
両足の止血を終えたリーが、立ち上がり隣へとやってくる。
「…ありがとな」
少し申し訳なさそうに謝辞を口にするリーに、気にするなと頭を振って。
「まだ聞かないといけないこともあるからね」
幾分軽くなった声音でそう呟いた。
―――こんなものか、と思った。
自分に傷を負わせて見下ろすアドの漆黒の瞳には、なんの感情もなかった。
ただ邪魔になったから捨てるだけ。きっとそれだけのことなのだろう。
世を恨むのではなく世から恨まれる側になりたいと思っていたのに、結局は不要なものを捨てるように殺される。
尤も。こんな自分にはふさわしい最期なのかもしれないが。
血とともに熱が抜けゆき、身体を動かすことすらままならなくなって暫く。
周囲のうるささに沈みつつあった意識が痛みとともに浮き上がった時には、保安の団服の男が目の前にいた。
まだ朦朧としていた意識を、大声と痛みが更にこじ開けていく。
ここにいる男たちはどうやら自分を助けるつもりらしいと理解するが、今更命だけ長らえてどうなるというのか。
死んだら全部おしまい。
耳に入った言葉に、だからそれでいいのだと怒鳴り返したいが声にならなかった。
どこまでも甘っちょろいことを言う茶髪の男を笑ってやりたいと思う一方で、まっすぐにこちらを見据える金茶の瞳に言いしれない居心地の悪さを感じる。
絆された様子など微塵もない。こいつは無理だと肌でわかる。それなのにどうしてこれほど必死に助けようとするのか。
銀髪の男は滲み出る怒りを抑え込みながらも、できる限りのことをすると言う。
こちらはこちらで不可解で仕方なかったが、その理由はすぐに知れた。
薬を飲まされ、再び寝かされた視界の端。向き合うふたりの姿にああと思う。
自分とアドとの間にはなかったもの。
自分はアドとの間にあると思っていたもの。
おそらくそれが理由なのだろう。
すっとふたりを視界から外す。
どちらにせよ自分にはもう関係のないことだった。
「ラジャートにいたイグニス、だな。」
覗き込んでのノッツの問いに、ロードムは答えなかった。
「状況からすると、やはり逃げたのはエイランか」
それもだろう、と赤く滲んできているシーツを一瞥する。
「なぁ。拐った子どもたちの居場所と、エイランの行き先。話してくれないか」
荒い息、大きく上下する胸。止血剤が効くにはまだ時間がかかる。
見上げる琥珀の瞳はただ虚ろを見つめていた。
じわじわとロードムを覆っていく死の影に、堪らずリーが傍らに膝をつく。
「しっかりしろ! もう薬も効いてくるからっ!!」
ただの気休めだとわかっていても、声をかけずにはいられなかった。
徐々に霞がかる視界と遠のいていく音。
どこまでも静かなそこに、必死の形相の男が割り込んできた。
絆されているわけでもないのに、と。その必死さをおかしく思う。
誰かを絆して騙さねば生きていけなかった。
絆さなくていい相手は自分のことなどなんとも思っていなかった。
それなのに。
どうして絆されてもいないこの男は、こんなに心配そうな顔をしているのだろうか。
抜けゆく熱に、極寒の地を思い出す。
人を絆すのは自分。だからこの男に絆されたわけではない。
けれども、ただ。
「……ヴォ……ディ…」
金茶の瞳が見開くのがかろうじて見えたので、満足して目を閉じる。
そう。ただ自分は。
同情されているようなその顔が気に障ったから、別の顔をさせたかっただけなのだ―――。





