琥珀に映る漆黒
前々話『繋がる糸の先』にてリーの瞳の色を茶色と書いていましたが、正確には金茶です……。
訂正しました……。
青の四番から北西の位置にあるミルトー地区。青の四番と黒の三番を繋ぐ地区内の主要道上にあるビオードの町は、青の四番からほぼ一日というその立地から、中継地として栄えていた。
日も傾いた町中を、濃紺の髪に琥珀の瞳の青年が歩いていく。宿や食堂、そして酒場が並ぶ通りはかき入れ時とあって賑わっていた。
店を選ぶ様子もなくまっすぐ一軒の酒場に入った青年。さほど広くもない店内には、男性三人と若い男女の二組の客がいた。自分を目で追う女性に僅かに目を細めて応えてから、そのまま座席の間を抜けてカウンター内へと入っていく。
「戻ったか」
カウンター内にいた店員に頷いてから、青年はちらりと店内を見た。こちらを睨むように見る若い男にもにこりと笑みを向けてから背を向ける。
「あれは無理。俺から詫びだって言って酒でも出しといて。で、あいつは?」
「下に行ったぞ」
ぼそぼそと言葉を交わしてから、青年はカウンターを奥へと進んだ。厨房の横を抜け、奥の階段を下へと降りていく。
降りた先には廊下が続き、左右に扉が並んでいた。奥の右手側の扉を叩くと、どうぞと応えが返ってくる。
扉を開けると白髪の人物が何やらごそごそと棚を覗き込んでいた。
「アド? 何してるんだ?」
声をかけられ振り返ったのは、白髪に漆黒の瞳の男。髪色の割に顔立ちは若く、三十代に入ったばかりといったところだ。
「ご苦労だったな、ロードム」
手に持っていた袋を床に置いた鞄へと落とし、アドと呼ばれた男が肩をすくめる。
「何、少々準備をな」
「準備……?」
怪訝そうに眉をしかめるロードムに、アドが微笑んだ。
「思えば、お前とも長いつきあいだったな」
また背を向けて棚の中を物色するようにかき回すアド。
「まぁ楽しくやれたよ」
「……何言って…」
ますます険しくなるロードムの表情に反し、飄々とアドは続ける。
「反組合の奴らにも礼を言わないとな。お陰で場所も資金も存分に使えた」
布を一枚握りしめて振り返る。
「これに関しては、お前の強い絆にも感謝してる」
「おい、さっきから何を……」
「ただ……そうだな、やはりあれがまずかったな」
クッと低く笑う。
「アド!!」
話が見えずに苛立つロードム。
口の端に笑みを乗せたまま、アドがロードムに近付いた。
近付いてくる黒い瞳の男。髪色とは違い変わらぬはずのその瞳に、ロードムは悪寒を感じて立ち尽くす。
目の前にいるのは本当に自分が知る男なのだろうか。そんな疑問がふと湧き上がるが、答えはなく。
過去この男が見せたどの姿とも違うそれ。無意識に後ずさりかけた己に気付き踏み留まる。
―――アドと知り合ったのはもうどれくらい前だったのか、正確には覚えていない。
ハーフエルフである母親からエルフと人への恨み言を聞かされて育った。世を恨みながら自ら命を断った母親のようにはなりたくなかった。だから自分は世から恨まれる側になろうと思った。
幸いというのか、生来絆す力が強く。人を騙すのは容易かったが、精々小悪党といったところ。世から恨まれるには程遠い。
己ひとりの限界と虚しさを感じ始めた時、アドに出逢った。
ハーフエルフだが、少々気配を読むことができるだけ。
自分のことをそう評するアドだったが、彼の真価は策を練るのに長けていることにあった。
アドの策を実行するうちにいつの間にか反組合に入り込むことができ、こうして人を使えるようにまでなった。
もう昔のように何に怯えることもない。
せっかくの人より長い生、これからは自分勝手に生きられればいい。
先日もそう笑い合った相手のはずなのに。
自分ににじり寄る男にその面影はなく、感情の読めぬ色のない笑みを浮かべて何か小さく呟いている。
「……アド…?」
背を伝う冷や汗を感じながら、ロードムがその名を口にした瞬間。
ヒュッと風が空気を裂いた。
腹に熱さを感じた。
ロードムがそれを痛みだと理解するよりも先に、続けて右足の甲にも同じ熱が襲う。
遅れて喉を通る叫びは口から出る前にアドの布を持つ手で塞がれた。そのまま押され、抵抗できずに仰向けに倒れ込む。
何が起こったのかわからなかった。
まるで心臓が増えたかのように腹部と右足が熱を持ち脈打っているのを感じる。
見上げる視界に映る漆黒の瞳は、笑うでもなく、勝ち誇るでもなく、ただ自分を見下ろしていた。
「お前はちょっと派手に動きすぎたな」
呻きの洩れるロードムの口を塞いだまま、淡々と告げるアド。
「ぞろぞろ引きつれてきやがって」
痛みに散る思考をどうにか繋ぎ合わせ、誰か―――おそらく保安にあとをつけられていたのだと気付く。
「まぁ龍に手を出した時点で先は知れてただろうから。俺はここで退かせてもらう」
浮かぶ疑問はいくつもあれど、塞がれた口では呻き声すらままならない。
焼けるような痛みが広がり、ほかの感覚を奪っていく。息が足りず、痙攣するように身体が震える。
暫くじっと感情なくロードムを見下ろしていたアドが、ゆっくりと手を引いた。反射的に大きく息を吐いたロードムは、あとは荒い呼吸を繰り返すだけで、もはや叫ぶ余力もない。
それを確かめるように眺めてから、アドが立ち上がった。
足りぬ分の呼吸をなんとか取り戻したロードムが、顔を歪めながら上半身を起こした。落としたままの鞄を拾い上げていたアドが気付いて口の端を上げる。
ぼそぼそと数言呟いた途端、何かがロードムの左足の甲を貫いた。
「ぐ、あぁっっ」
元々荒い呼吸、絞り出すような叫びしか洩れず。上半身を支えきれなくなってうしろに倒れるロードムに、無理をするなとアドが場違いなほど平坦な声をかける。
「お前には生きてここにいてもらわないと、足止めにならないだろう?」
「ま…魔法は……使えない……と…」
「手の内を曝してどうする」
途端に呆れが混ざる声音。
「まぁ、近距離でしか役に立たないけどな」
威力はないんだと笑ってから、アドはスタスタとロードムの顔が見下ろせる位置まで移動する。
「じゃあな、ロードム。そこそこ楽しめたよ」
「…アド……っ……」
見上げる琥珀の瞳に映る漆黒のそれには、ただ冷たい笑みだけが浮かんでいた。
部屋を出て鍵をかけたアドは、そのまま一階へと上がった。
「ロードムは疲れたから少し休むと言っている。俺はちょっと出てくるから」
カウンターの男へとそう告げ、外套のフードを目深に被って店の裏口から外へと出た。馬房に繋いである馬に乗り、並足で走り出す。
店を見張っていた気配がついてきているが、それは大通りを逸れてから撒くとして。
ロードムを追って近付いてきている大きな気配は、まだ町の手前。
(これでどう動くか……)
夕闇迫る中、アドはそのまま気配が来るのとは真逆の方向へと馬を進めた。





