面会者
「面会?」
呼び止められた請負人組織本部の受付で、リーは事務員のリリックの言葉を繰り返した。
「そう。外の面会所で、今日の夜までは待ってるって」
時刻は夕方。もちろん事前に何も聞いていない。否、それ以前に。
「誰?」
「さぁ? 私は副長からの指示としか」
ひくりとひきつる。
請負人組織副長で、事務仕事の一切を取り仕切る風龍のマルク。説明が少ない時は、おそらく何か含みがある。
内心嘆息し、リーはわかったとリリックに返した。
「ありがとな。すぐ行くよ」
「ラミエには話しといてあげるわね」
いつものようにからかわれ、リーは半眼でリリックを睨んだ。
敷地への玄関口でもある受付棟から、紫三番の宿場町内にある面会所は目と鼻の先。まっすぐそちらに向かいながら、リーは誰だろうかと考える。
面会所は主に組織外の者が面会を望む時に使われる。組織受付で申し込みをしてからの案内となるので、勝手を知る者は面倒がって入口や宿で待つことも多い。
先日のソリッドたちは受付に行く前に宿で尋ねたところ、宿の主人がリーのことを知っていたため待たせてもらえたらしい。
組織外で自分に面会に来そうなのは、バドックにいる兄姉とメルシナ村の護り龍ウェルトナックたちくらいしか思い当たらない。しかしそれなら名を伏せる必要はないだろう。
ちらりと先日ウェルトナックが言っていた懸念―――龍の愛子である自分見たさに押しかける龍が現れるのではないか―――を思い出すが、龍がわざわざ面会所を使うわけないかと一蹴する。
さほど考える間もなく到着した面会所、リーが入口正面の受付で所属証を見せて呼び出されたと伝えたところ。
「商業組合のフォード様が二階の五号室でお待ちです」
所属証を確認した受付係はにっこり笑って相手を告げた。
「商業組合?」
思ってもないどころか全く覚えのない名を聞かされ、リーの声が裏返る。
「それ、ホントに俺で合ってます?」
「はい。間違いありません」
笑みを崩さず言い切られては、それ以上何も言えず。リーは礼を言い、右手にある階段を二階へと上がり始めた。
組合、となると思い当たるのはふたつ。マルクからならば、アリアとライルの誘拐事件以降関わることになった反組合関連だろうと踏む。
前で一度息を整えてから五と書かれた扉を叩くと、中からどうぞと男の声が返ってきた。
失礼します、と中に入る。圧迫感がない程度の広さしかない部屋の真ん中に、テーブルを挟んで二人がけのソファーがふたつ置かれている。その奥側、こちらが見える位置に赤銅色の髪の中年の男が立っていた。
その顔にもちろん見覚えはない。しかし浮かぶ既視感に、リーはふたつめの予想の方だったかと思う。
自分を見据える藍色の瞳。自分が知るものより鋭いが、おそらく。
「リーさん、ですね。フォードと申します」
こちらの容姿は知っていたのだろう。名乗る前に名を呼ばれ、席を勧められた。
「お待たせしてすみません」
所属証を見せ、確認してもらってから。リーは改めて遅くなっただろうことを詫びる。
「いや、私が手が空いてからでいいと伝えたからですよ」
実際いつから待っていたのかはわからないが、フォードは気にした様子もなくそう返した。
「突然のことで驚かれたでしょうが。反組合の摘発に力を貸してくれた貴方に直接お礼をと思いまして…」
物腰も語り口も穏やかで丁寧だが、向けられた眼差しは探るようで。
与えられる情報から人の本質を見抜こうとするそれは、商いをする者、そして人の上に立つ者らしいなとリーは評する。
じっと自分を見据える藍色の瞳。
本論がそれではないことは、すべてを見透かすという龍の眼を持たない自分でもわかる。
フォードがここへ来た理由は、間違いなく彼に関すること。
しかし述べられた建前では、まだその詳細までは読み取れなかった。
「…保安には、私個人のことは伏せるようにと頼んでいるはずですが…?」
誰から聞いたのかわかっているのだと。暗に示したリーに、フォードは暫くの間全く表情を変えなかったが。
やがて僅かに口の端を上げ、お互い言葉を崩すよう提案した。
「反組合の件でここへ来る用事ができたので、それなら息子が世話になっている君にもお礼を、と思ったんだよ」
言葉とともに明らかに表情も和らいだフォードが、そう言い頭を下げる。
「ありがとう。今の自分があるのは、君のお陰だとアーキスが」
「俺は何もしてませんからっ」
慌ててそう言うが、ゆっくり顔を上げたフォードは微笑むだけだった。
自分の向かいで柔和な笑みを浮かべるフォードにどんな顔をすればいいのかわからぬまま、リーはアーキスから聞いた昔の話を思い起こす。
あの場所では自分は自分でいられなかったから、と言っていたアーキス。自暴自棄な思いを抱くほど追い詰めたのはこの男であるはずなのだが、どうにもそんな風には見えず。
養成所に入ったアーキスが、彼曰く自分のお陰で変わったように。フォードもこの六年で変わったのかもしれない。
しかしそれでも。
じっとフォードを見返してから、リーはぐっと拳を握る。
「…アーキス、何か言ってましたか?」
もし未だアーキスに何かを求めるつもりなら、自分だって黙ってはいない。そんな決意で紡いだ言葉に、フォードは笑みを引っ込めた。
装いの剥がれたその表情には初めに見せた見極めようとする力強さはなく、自嘲の混ざる瞳が改めて苦い笑みを形作る。
「…初めは何も」
その変化に驚くリーへとそう告げて、フォードは深く息をついた。
溜息をつく目の前の男が先程までより一回り小さくなったようにも思え、リーは戸惑いフォードを見つめていた。
その視線に気付いたフォードが、今度は明らかに苦笑を見せる。
「それでも、ようやく話をすることができた。…アーキスの思いを、聞くことができたよ」
アーキスがフォードに何を言ったのかはわからないが、今の様子からすると積年の蟠りが少しは解けたのかもしれず。
そうであれば、と。
そう思うリーへと、フォードが再び頭を下げた。
「だから君にお礼が言いたかった。今までアーキスを支えてくれてありがとう」
「支えてなんかいませんよ」
強い否定に驚いて顔を上げたフォード。見慣れたそれと同じ色の瞳をまっすぐ見返して、リーは笑みを見せる。
「俺はただ、あいつの隣に立ってるだけです」
アーキスも自分も、もちろん足りぬところはあれど、今はひとりで立っている。
何かあれば手を差し出したり肩を貸したりできる位置にはいるけれど、それでもひとりで立っているのだ。
共存であり、依存ではない。頼り頼られはしても、もたれかかりはしない。
そう在れれば、と思っている。
少し呆けたようにリーを見ていたフォードは、やがて深く息をつき、もう一度ありがとうと呟いた。
話せてよかったと礼を言うフォードに、こちらこそとリーも返す。
実家との顛末を、最早終わったことと言わんばかりに淡々と語っていたアーキス。これをきっかけに家族との縁を取り戻せたのなら、本当によかったと思う。
「君も、ソリングの近くに来たらぜひ家にも寄ってくれ」
どことなく嬉しそうに、アーキスが合の月に寄ると言ってくれたと話すフォード。
七の月と翌年一の月を繋ぐ七日間の合の月には、昔から故郷に戻る風習があった。
一緒に来てくれたらいいと言うフォードに、リーは笑って首を振る。
「多分見られたくないだろうから。やめときます」
六年振りの家族との再会に水を差すほど無神経ではない。
「それに。俺もできたら故郷に顔を出すつもりですから」
本当はその予定はなく、咄嗟に出ただけの言葉であったが。
フォードはそうかと頷き、またいずれと返してくれた。