第三研究所
メナードと話した翌日、ミゼットづてに連絡をくれたのは第三研究所に勤めるベムスだった。二日後の夕方に来るようにとの指示に従い、リーとアーキスは当日の朝に組織の敷地内にある第三研究所へと出発した。
「……アーキスは気付いてた?」
「ううん。全然」
馬を走らせながらのリーの問いに、アーキスが首を振る。
「だよなぁ……」
確かに身なりさえ整えればいい男なのではないかと思ってはいたが、まさかエルフの血が混ざっているからだとは。
知り合ってから五年ほど。その程度の年月では、大人ならそう大きく容姿は変わらないので当然かとリーは思う。
予定通り夕方前に到着したリーたちを出迎えたベムスは、わざわざ悪かったなと笑った。
「どうせなら駄賃代わりにちょっと手伝ってもらおうかと思ってな」
相変わらず容姿に頓着のない様子に妙な安堵を覚えながら、それは構わないですけど、と返す。
「こっちから話してほしいとお願いしたんですけど、話しにくければ無理にとは……」
メナードの話を聞き、思っていたよりも当人にとってつらい記憶なのだろうと感じた。安易に話を聞きたいと言ってしまい、無理をさせていないか心配になったのだが。
「ああ、俺は気にしちゃいないから」
あっけらかんとベムスが告げる。
「聞いて楽しいもんでもないだろうが。役に立てられるなら立ててくれってな」
ただ穏やかに見返すベムスの金褐色の瞳。様々なことを乗り越えたからこそのその静けさに、リーは礼を返すことしかできなかった。
連れていかれたのは研究所内の食堂だった。先に夕食にするつもりかと顔を見合わせるふたりに、食べながら話せばいいだろうと事も無げに言うベムス。
「ここの連中は俺のことなんてとっくに知ってるし、似たり寄ったりの経験をしてきた奴らも多いからな」
「……ってことは…」
リーは思わず周りを見渡しそうになるが思い留まる。途切れた言葉の先など想像するまでもないのだろう、ベムスは続きを待たずに頷いた。
「全員とは言わないが。まぁほぼそうだと思ってくれていい」
「そうそう。気にすんな」
見覚えのある職員がそう笑う。
「人よりいくらか長生きだからさ、その分研究が捗るってもんだよ」
「面子もあんま変わらねぇしな」
離れた席からの声に笑いが起きる。
現状を楽しむその様子に覚える安堵と眩しさ。
自然と表情が緩むのは、隣のアーキスも同じだったらしい。
余計な、そして失礼な気遣いだったなとの苦笑は互いの間だけに留め、リーはベムスに向き直った。
「じゃあ、お願いします!」
テーブルに並ぶ食事と酒に手をつけながら、まぁ見ての通りとベムスが話し始める。
「俺自身見た目は人で、魔力は少ないが少し魔法も使える。あとはまぁ、百年ちょっと経ってようやく少し老けてきたかなってところだ。エルフらしいとこなんてそれくらいだな」
どう見ても三十代前半のベムスにさらりと百歳を越えていると告げられ、改めて彼がハーフエルフだという認識するものの、正直言われなければ見分けなどつかないとリーは思う。
「父親が人、母親がエルフでな。初めは父親の故郷に住んでたが、父親が早死してそこにいられなくなったらしい」
覚えてないがな、と他人事のようにつけ加えて。
「誰かの所に世話になっては、周りに不審に思われ追い出されて、を繰り返す生活だった」
リーは例外だとしても、アーキスのように絆されにくい者もいる。絆す種であるエルフとはいえ、無条件に誰にでも受け入れられるというわけでもないのだろう。
「人の世界で暮らすのに限界を感じたんだろうな、一時期エルフの村に身を寄せたこともあったんだが、今度は俺の方が煙たがられてな」
「子どもなのに……?」
「ま、ハーフエルフには違いないからな」
子どもにも違いないだろうと思うのだが、エルフにとってそこは重要でないのか、それ以上の何かがあるのか。
眉を寄せるリーに、ベムスは気にするなとばかりに肩をすくめる。
「結局ふたりだとどっちにもいられずに。それぞれの姿にあった場所で、別々に生きることにした」
それがどれくらい前の話なのかはわからないが、その語り口はただ過去の事実を話すだけのもので。
実の母親との別れをなんの憂いもなく話すその様子に形容し難い寂しさを覚え、リーは言葉もなくベムスを見つめる。
メナードも、ベムスも。こう思えるまでにどのくらいの時間を要したのだろうか。
「実際ひとりの方が面倒は少なかったから、これでよかったと思ってる。母親とはそれきり会ってないが、まぁどうにかやってんじゃないかな」
そんなリーの心中に気付いているのかいないのか、終始穏やかな表情で、更に割り切ったことを言うベムス。
「ここで一緒に、とは思わなかったんですか?」
「……そうだな、思わなかったな」
ぽつりと尋ねるアーキスにも笑みを見せる。
「ここは俺にとってやっと見つけた落ち着ける場所だったから。かき回されたくなかったしな」
静かな声に僅かに視線を落とすアーキス。その姿を横目で見ながら、重なるものがあるのだろうなとリーは思う。
「だがまぁ、俺も向こうもまだまだ先があるからな。いずれ気が向いたら会いにいくよ」
内に含むそれに答えるような返答に。
ベムスを見返し頷くアーキスも、どこか吹っ切れたようなの笑みを浮かべていた。
ベムスと同じように転々と流れ住んだ者。人里離れてひっそり暮らしていた者。親の代からここに住む者。
ベムスが話し終えてからは、居合わせた研究者たちが色々と話してくれた。
親もハーフエルフだという男性は、その親の過酷な経験も教えてくれた。
エルフの村は今よりも閉鎖的で、一度外へ出たものは二度と中へは入れなかったり。人のエルフに対する認識も低く、魔物並みに忌み嫌われたりすることもあったらしい。
まだ巷にエルフが闊歩したり、ハーフエルフという存在が周知されてはいないが、それでもこうしていられるだけでなく打ち込めることがあることが嬉しいと話す研究員たち。
そこから研究の話になり、また耐久テストにつきあえだのなんだのと言われていたその時。
輪の中のひとりがふと窓を見る。
「こんな時間に……」
「誰か来たのか?」
ぼそぼそと話し合うふたりに、なんのことかと顔を見合わせるリーとアーキス。話し終えたベムスは来客のようだと告げて食堂を出ていった。
暫くして戻ってきたベムスのうしろから入ってきた蜜柑色の髪の青年に、リーたちは思わず席を立つ。
「ヴィズさん?」
「ふたりに急用だとさ」
「ごめんね、ふたりとも。ちょっと一緒に来てくれるかな?」
貸しにしとくと笑うベムスたちに見送られ、リーたちは慌ててヴィズのあとをついていく。
「ヴィズさん、何が……?」
「詳しくは上で彼に聞いて」
返された言葉にヴィズがどうやってここまで来たのかを察し、ひくりとひきつるリー。
渋ることすらできずに連れていかれた先、視覚阻害魔法をかけられたふたりの前には銀色の龍がいた。
「話はあとだ。早く乗れ」
「ジャ、ジャイルさん??」
声で初めてジャイル―――ハリスガジェックだと気付いて動揺するリー。急げと苛立たしげに急かされ、理由もわからずアーキスとともにハリスガジェックに乗る。
「向こうで解いてもらえるから。気をつけて!」
見上げるヴィズに答える間もなく、ハリスガジェックが高度を上げた。
「ジャイルさん、何があったんですか?」
「許可は取ってる。暫く俺と行動してくれ」
今までにない速度に硬直するしかないリーを支えながら尋ねるアーキスに、ハリスガジェックは口早にそう告げる。
焦りの窺えるその様子からは、事の緊急性を強く感じられて。
「わかりました。まずはどこに」
即座に指揮権をハリスガジェックに委ねたアーキス。説明ではなく指示を求めるその声に、ハリスガジェックは更に速度を上げた。
「メルシナ村だ」





