知り得ぬ思い
二の月に入り、紫三番の宿場町には少しずつ年受付に来た請負人たちが増え始めた。
まだ忙しさは本格化する前だが、新米事務員のフェイと双子は今のうちにと受付に立っているらしい。事務員としては先輩のラミエも表に裏にと忙しく駆け回っているようだ。
自身の年受付はまた六の月に行うつもりのリーは、先に戻ってきていたアーキスと一緒に呼び出しを受け、技師連盟からの正式な依頼を伝えられた。
まずは指定された日に紫四番の宿場町で技師連盟からの同行者と合流し、黒四、五と青四、五に位置するカーユ地区の中程、ニックとラックの住むダドリアムの町へと向かうようにと指示があった。
日程にはまだ少し余裕があったが、道中何に時間を取られるかわからない。同じ待つなら紫四番で待てばいいと、リーたちはすぐに出発した。
紫四番で待つこと数日、待ち合わせ日前日に女性技師ふたりを伴い現れたルゼックは、驚くアーキスに当然だろうとからかうように笑った。
ダドリアムはカーユ地区の中心よりも黒の街道寄りに位置する。地区内でよく使われる道沿いにあるので、町の様子は宿場町の規模をこぢんまりとしたようだった。
前日のうちに宿に入ったリーたち。夕方ではあったが明日の段取りの相談がてら到着を知らせに行くことにした。
「ニックくんの家の方が近いから、先にそっちに行こうか」
手元の地図を見ながらのルゼックの呟きに、リーとアーキスはきょとんと顔を合わせる。
「先にって……?」
「ルゼックさん、ラックはニックの家にいるんじゃないの?」
「いや。ラックくんの家は別にあるぞ?」
問われたルゼックも怪訝そうな顔をしながら手元の地図を見せてくれた。言う通り、二ヶ所に印がつけられそれぞれの名が書いてある。
首を傾げながら向かった先にあったのは旅の道具を扱う店。店頭の男性にルゼックが話をし始めてすぐ、奥からニックとラックが飛び出してきた。
「リー! アーキス!! 明日じゃなかったの?」
リーは飛びついてくるニックを受け止め、そのうしろでにこにこしているラックを見る。
「先に挨拶に来たんだ」
ふたりとも記憶よりも少し丸みを帯び、顔色もよく。何よりもその笑顔が今の幸せを物語っていた。
「元気そうで―――」
よかった、と言いかけて、ラックの更にうしろから顔を覗かせる小さな女の子に気付く。
ラックと同じ金の髪と瞳のその子は、きゅっとラックにしがみついていた。
おそらく栄養状態が改善したからだろう、少しくすんでいた髪色が根元部分は鮮やかな金髪に変わりつつあるラック。その姿を幼くしたようなその女の子とは、どう見ても血の繋がりを感じる。
「……ラック、その子…」
「エルメ」
少しはっきりとした声で、ラックが呟く。
「ぼくね、エルメっていうんだよ」
ラック―――エルメの父母と妹が見つかったのは、七の月の半ばのことだったらしい。拐われたのは四歳の頃で、エルメはやはり両親のことを覚えていなかった。ニック、そしてすっかり懐いていたニックの両親と引き離すのが忍びなく、一家は元いた町からダドリアムへ越してきたそうだ。
エルメと妹のメリアムを迎えに来た母親からそう説明を受け、涙ながらに何度も感謝を伝えられた。
明日の時間と予定を決めて宿へと帰ってきたリーとアーキスは、思ってもない嬉しい知らせを喜び合う。
「落ち着くまでってそういうことだったんだね」
ダドリアムで家を探し仕事を探し、一家が越してきたのが一の月の半ば。一家がこの地に慣れるまで、そしてエルメが家族に慣れるまで。両方の意味が含まれていたのだろう。
「よかったよな」
両親が見つかったと自分たちに伝わっていなかったのは、マルクかジャイルがどうせすぐここでわかるだろうからと省いたに違いないと思ったものの。それでも明るいエルメの笑顔に些細なことかと思い直す。
何度か間違ってラックと呼ぶと、そのたびにエルメだよと笑っていた。十三歳という本来の年齢にしてはまだ身体つきも様子も幼くはあるが、以前より言葉もかなり流暢になり、アリュート山での何もかもから怯えるような態度もなかった。
失った時間はあまりに長いが、それでもこれから少しずつ取り戻してくれればと思う。
「今日の感じなら大丈夫そうとは思うけど……」
明日はニック、そしてエルメの順に、疑似ではあるが実践してもらうことになっている。扱われるのが技師固有の情報なので、リーとルゼックは同席することができない。ニックには調合師、エルメには鋳造師が、アーキスとともに手順を確認することになっていた。
「待ってる間、エルメの様子を見ててね」
そもそも鋳造師の弟子名は持っていなかったアーキス、調合師として薬剤の調合には関わることができるが、溶液を作成した以降の手順確認時は席を外すことになる。
不安なのはニックよりもエルメの方。ルゼックが連れてきた技師がふたりとも優しげな雰囲気の女性であったのは、少しでも子どもたちの負担を減らすためだろう。
そして技師たちもまた子どもたちの境遇を聞いていたのか、今日の挨拶にも同行し、明日はよろしくねと声をかけてくれていた。
「わかってる。気になることがあったら止めるよ」
そう頷き合い、食事のあとはルゼックたちと明日の打ち合わせをしようかと話していると、来客だと声をかけられた。
ロビーで待っていたのはエルメの父親だった。衆目に晒すのは忍びなく、一緒に部屋まで来てもらう。
「ありがとうございました」
部屋に入るなり深々と頭を下げる父親を慌てて引き起こし、こちらからも協力への感謝を伝える。
「思い出させるかもしれませんが、無理はさせないようにしますので」
そう言うアーキスにもう一度頭を下げてから、父親は困ったような笑みを見せた。
「大丈夫だと思います。おふたりには慣れた様子だったと、妻が驚いていましたから…」
内容のわりに沈む声音に、リーたちは顔を見合わせる。
「エルメ、どうかしましたか?」
「いえ。ただ……突然親だと言われても戸惑うのだろうな、と」
答える父親からも同様に感じる戸惑い。九年の歳月はどちらにとっても長過ぎたのだろう。
しかし―――。
ちらりとアーキスを見ると、ただ黙って頷かれる。
思っていることは、おそらく一緒。
「……俺、今日何度もラックって呼んで。そのたびにエルメだって訂正されたんです」
唐突な話に怪訝な顔をする父親へと。嬉しそうに笑うエルメの顔を思い浮かべながら、リーは続ける。
「『ラック』って名はニックにつけてもらった大切なものだけど、両親がつけてくれた『エルメ』って名も同じくらい大事だから。そう呼んでって言ってました」
「親というものがどういうものか、エルメはずっと知らなかったはずです。だから子どもは親にどう接するものなのかも知らない。…ニックとご両親の様子と妹さんの態度から、今それを学んでいるところなのだと思います」
リーの言葉を継ぐアーキス。呆然ふたりを見つめる父親の表情が、喜びと心苦しさに歪んでいく。
「もう少し時間はかかるかもしれませんが。急かさずに、見守ってあげてください」
父親はアーキスの言葉が終わる頃にはすっかりうつむいてしまい、暫くそのまま動かなかった。
しかしやがて上げたその顔にどこか覚悟のようなものが浮かべ、父親はふたりを順に見る。
「ありがとう……」
呟かれた短い一言には、万感の思いが込められていた。





