北の地で
海からの強く冷たい風が吹きつける中、ラミエは外れそうになった外套のフードを押さえる。
細い道の右手側に広がる海は寒々しくも青さを湛え、遠い海面は風に大きく蠢いていた。
初めて見る海はきれいだと思う一方で、果ての見えない未知の光景に怖さも感じる。
集落から道に沿うように続いていた砂浜にはいつの間にか石が混ざり始め、視界の先ではすっかり木々に呑まれていた。
僅かに轍の残るこの小道は、集落の人々が行く手の林に木々を取りに行くためのものであるという。
寒の日を境に暖かくなるといっても、十数日でそう大きく変わるはずもなく。加えて一番街道北側となれば、元々気温も低め。厚手の外套を着ていても芯から凍えるようだった。
「ヨナリー、ラミエ。今日はあの林の中で野営しますので」
先頭を行くクフトが振り返って告げる。
「わかりました」
「了解です」
ラミエのうしろからは同じく分厚い外套に身を包んだ女性がついてきていた。
「もう少しだから頑張りましょう」
「はい」
ぽんとラミエの肩を叩いて励ます女性。風にあおられ脱げたフードの下には長い耳が隠れていた。
小道は林の手前まで。あとはまばらに木が切られた林の中を暫く歩き、少し広さのある場所で野営の準備に取りかかる。
クフトとヨナリーが見守る中、暖を取るための焚き火とテントの設営をするラミエ。火は魔法でつけられるが、準備は自ら動かねばならない。薪集めから目的に合わせた組み方まで、ここまで何度か繰り返してきたことで少しは頭に入った。
街道を行く限りは野営する必要もなく、各地区内にも町村があるので、本当はあまり使うことはない。
しかし知識があるかないか、そしてその知識を使えるかどうか。いざという時に明暗を分けるのは、案外そんなことからなのかもしれない。
なんとか合格点をもらい、簡単ながら食事を作って食べる。
エルフである自分は魔法で火をつけたり水を集めたりできるが、人であるリーたちはすべてを自分たちの手で行っているのだと改めて知り、その大変さを実感した。
「疲れも溜まってきたでしょうから。早めに休みなさいね」
クフトが風で焚き火の熱を送り込んでくれたテントの中、ヨナリーがそう声をかける。
「ありがとうございます」
慣れぬ野営、初めはなかなか寝付けず眠りも浅かったのだが、今は疲れが勝り眠れるようになった。
「無理をしないのが旅の基本よ。不調があればすぐに言うこと」
「はい」
旅慣れぬ自分を気遣ってくれるヨナリーとクフト。
手間を掛けさせて申し訳ないとは思うが、それでも楽な旅はしたくなかった。
今のままでは同行員といえど調査に出向くのが精々。請負人の旅についていけるとは思えない。
一日でも早く。いつかを夢見て。
今ラミエを動かすのは、そんな思いだった。
翌日は林の中に異変がないか見回りながら、昼過ぎに目的地のひとつに到着した。
一見は何もない場所だが、魔力の見えるエルフの目には阻害魔法がかけられているとわかる。
一番街道北側区域の西端、林の中にあるエルフの村、キアレアン。この辺りに詳しい住人たちに、気になることがないか確認しに来たのだ。
「私は辺りを見回っていますね」
「あとで集合場所で」
ハーフエルフであるヨナリーは余計な揉め事を避けるために村には入らず、周辺の調査を続けることになっていた。
「気をつけてくださいね」
心配そうなラミエの声に、ヨナリーは大丈夫よと微笑む。
今回ここに寄ることがわかっていながらハーフエルフであるヨナリーが同行してくれたのは、女性視点での注意や疑問に答えるため。元々女性の同行員は少なく、エルフであるミゼットはレジストとともに更に過酷な東寄りの調査をしているため、村には寄れないとわかりつつも来てくれたのだ。
ヨナリーと別れ、クフトとふたり村へと入る。来訪者の様子を見にきた村人に用件を伝えると、すぐに村長の下へと案内された。
クフトと村長は知り合いのようで、ラミエは挨拶だけで部屋を出され、案内をしてくれた青年に付き添われて村人から話を聞くことになった。
「すみません、よろしくお願いします」
「いえ」
短くそう返す白金の髪の青年は、村人に対してはちゃんと説明をしてくれるものの、あまりラミエを見ようとはしない。
少し居心地の悪さを感じながらも話を聞き終え、最後にとラミエは青年に向き合った。
「ご協力ありがとうございます。あなた自身は、何か気になることはありませんか?」
「……特には…」
言いかけた青年はじっとラミエを見てから、聞きたいことがあると短く息をついた。
「ロットシェル村もここと同じような村なのか?」
思ってもいない質問をされ、ラミエはなんの話かと青年を凝視する。
「自分の村を出たあんたの目から見て、ここはどう映る?」
青年の眼差しは真剣そのもので。からかうつもりはないのだと知り、ラミエも表情を引き締めた。
「…私は幼い頃に村を出たので、ロットシェル村のことはあまり覚えていませんが。この村は皆さんも優しく、いいところだと思いますよ」
私には少し寒いですけどね、と笑ってつけ足してから、変わらぬ表情の青年を見上げる。
「……どうしてそんな質問を?」
自分のことを避けるような態度と何か関係があるのだろうかと思って尋ねると、青年はためらい視線を彷徨わせたあと、覚悟を決めるように大きく息を吐いた。
「ついてきてくれ」
踵を返して歩き出した青年に、ラミエは慌ててついていく。村の外れまでやってきた青年が足を止めたのは墓地の前だった。
その中のまだ新しい墓石の前に歩み寄り、青年は眼差しを落とす。
「……外の世界に憧れてここを離れた友人は、命すらなくして戻ってきた」
突然の告白に、ラミエは驚き青年から墓石へと視線を移した。
「ここの外がどんな世界だったのか。あいつはそこで何を思ったのか。聞けずじまいだった」
墓石に刻まれたその友人のものだろう名。それを見ても、その思いが見えるわけでもないが。
「外を知るあんたなら、あいつが見た景色を知ってるんじゃないかと思って」
静かに重ねられる言葉から感じるのは、動けぬやるせなさとわからぬ寂しさ。
もしかしたらこの青年もまた外に憧れていたのかもしれない。
そんなことを考えながら、ラミエは己の中に答えを探す。
「……私は組織の敷地内で育ったので、エルフであることで人から不利益を受けたことはありません。ですがエルフは絆すものですから。向けられる好意にどうしたらいいかわからず、困ったり悩んだりしたことはあります」
彼に必要なのはきっと、取り繕ったきれいな言葉だけではない。そう考え、自身の葛藤を思い出し、それを正直に伝えた。
友人の苦悩を推し量り、青年がうなだれ拳を握る。
「でも村を出なければ出逢えなかった人たちもいる。エルフであることを含め、私というものを認めてくれる人たちもいる。少なくとも今は、あの場所にいられてよかったと思っています」
人にとって自分は自分である前にエルフなのだと思っていた。
しかし、自分もまた、個を集団として見ているのだと。
それに気付かせてくれたのは、今では一番大事な人。
「私にはその人の気持ちがわかるとは言えませんし、組織の外でエルフがどういった扱いを受けているのかもまだ知りません。それでも、その人も自分をそのまま認めてくれる人に出逢えていて。どんなに違っていても自分でいられる場所があるのだと気付いていたならいいのに、と。そう思います」
青年はうつむいたまま何も言わなかった。
それでも墓石に注がれる眼差しと握りしめていた拳が次第に緩んでいく。
友人と語り合うかのように墓石を見つめていた青年は、やがてぱっと顔を上げた。
憂いがすべて消えたわけでもないだろうが。それでも向けられたのは、少し気が晴れたような顔。
ありがとうと亜麻色の瞳を細める青年に、ラミエも笑みを見せ、小さく頷いた。





