重ね解け
翌日は朝からハウアーンの技師連盟本部へと向かったアーキス。
受付で用件を言うと別室に案内され、程なくルゼックがやってきた。
「悪いが一枚に収まらなかった」
手続きが済んだと二枚の返還証明証を渡される。
返還証明証の用途は主にふたつ。
ひとつは先日の一件以来厳しくしたという所在確認。連盟の施設か各宿場町の保安の支部に定期的に報告する義務を課された。
そしてもうひとつ。技師名を手放しても知識を失うわけではない。有事の際に必要ならば使えるように、有する知識を示すものでもあった。
「あとはこれを渡してくれと頼まれた」
続けて渡された数通の封筒に書かれているのは師の名前。
「こっちが言付けだ」
更に数枚の紙を渡される。
「名を手放しても縁が切れたわけじゃない。精々大事にしろ」
告げるルゼックの声は、逃げてきた身に重く。
近くに来たらいつでも寄るようにと書かれてあるそれに視線を落とし、アーキスは小さく頷いた。
技師名返還に関してはこれで終了、晴れてアクス・オルナートという統括名を手放すことができたアーキスは、世話になったルゼックへと礼を言う。
普通なら幹部であるルゼックが一技師の名の返還に携わることはないだろう。もちろん自分は特殊な例であるとわかっているが、おそらく理由はそうではない。
アクス・オルナートが自分だったということをできるだけ知られないようにという、ルゼック個人の配慮だろうと思っていた。
「……色々迷惑かけたよね」
「仕事だからな。気にするな」
気にした様子もなく軽くそう返してからルゼックが続ける。
「それと、例の子どもの件だが、向こうと保安から了承をもらった。組織は保安とお前たちに任せると言っている」
真剣味を帯びたルゼックの表情に、アーキスも請負人としての顔付きになった。
「本人と親御さん、自分たちと同じような目に遭っている子どもたちを助けるためなら、と」
子どもふたりの姿を思い出し、アーキスはぐっと拳を握りしめる。
「ただ、もう少し落ち着いてからにしてほしいそうでな。二の月に入った頃に組織づてに連絡する」
親元に帰ったニックと、ともに引き取られたラック。ルゼックの言葉の端にふたりがまだ日常に戻りきれていない様を感じて心配になるが、気遣ってくれる人が傍にいるならと思い直す。
「わかった」
彼らがいいと言ったのなら、それを信じることも信頼の形。
子どもたちを信じ、その気持ちを汲もうと思った。
実家に戻ってきたのは昼前だった。スフィアを除く三人が今日も朝から来てくれており、テーブルも雰囲気も賑やかな昼食となった。
午後はどうするのかと聞かれたが、特に何も考えておらず。どうしようかと考えていると、にこやかに自分を見ているエレンに気付いた。
(……エレンならなんとかしてくれるかも)
ふとそう思い、料理がしたいと言ってみる。
それならお茶の時間に出せるように菓子を作ろうかと言われ、昼食後すぐに取りかかることになった。
面白がってついてきたリドとカルフォも巻き込んで始まった菓子作り、作るのは、混ぜて焼くだけのケーキ。
まず粉を量ってと言われたアーキス。ここにある秤ではきちんと量れないからと自前の秤を取りに行こうとしたところをエレンに止められ、先に卵を割れと渡される。
「まだ殻に残ってるけど、これ、量り直さなくていいの?」
「次はこれを混ぜてね」
割った卵を取り上げられ、代わりにバターの入った器を押しつけられた。
「どうなるまで混ぜたらいい?」
「私がいいと言うまでね」
手早くほかの材料を量りながら、リドとカルフォにも仕事を振っていくエレン。
昼食の食器を洗うクラリスとレシェアが笑いを噛み殺す中、着々と工程は進んでいく。
できあがった生地をカルフォが細長い型ふたつに分けて入れ、軽く均してねとリドとひとつずつ任された。
「もういいわよ」
アーキスとしてはまだ途中なのに取り上げられ、平らにしろと言われた割には躊躇なくヘラで縦に筋を入れられる。
「あっ」
「はい、あとは焼くだけね」
エレンは最後まで一切主導権を譲らぬままだった。
どうにも達成感はなく、憮然とした表情でエレンを見つめるアーキスと。思わぬ兄の一面になんともいえない顔をするしかないリドとカルフォ。
「……几帳面だとは思ってたけど…」
「兄さんにも苦手なことってあったんだね……」
ぼそりと呟かれ、アーキスは苦笑するしかなかった。
夕食も済み、エレンたちがそれぞれの家へと帰ったあと。応接室では親子が向き合っていた。
リドとカルフォに挟まれて座るアーキスの前には、なみなみと酒の注がれたグラスがある。もちろん両横の弟たちと、向かいのフォードの前にも同様にグラスが置かれていた。
少し慣れたのか、昨日ほどは回らぬ酒を飲みながら。請われるままに請負人の生活を語り、弟たちの日常を尋ねる。
負い目も気後れも重ねる時間に解けていくのはフォードも同じだったのだろうか。少ししか減っていない手元のグラスを見つめながら、柔和な表情で三人の話を聞いていた。
ふと目にしたその顔にはどこか覚えがあり。押し込めた記憶を探り、ようやく気付く。
幼い頃に自分をほめてくれたフォードもまた、こんな顔で自分を見ていた。
(全然見えてなかったんだな)
今更の気付きが恥ずかしく、アーキスは込み上げる感情を酒とともに流し込む。
「兄さんも結構お酒強いよね」
それを隣で見ていたカルフォの言葉に、反対側のリドも頷いた。
「普通の顔してるもんね」
「私からすれば三人とも相当だがな」
呆れたようにではなく、仕方なさそうな笑みを浮かべて口を挟んだフォード。
「きっとハーバルに似たんだな」
名しか知らぬ母の話に、三人はフォードの手元のグラスへと視線をやる。
フォードもまた己のグラスと三人のグラスに残る酒の差を見つめながら。何を思い出したのか、懐かしそうにひとり笑った。
「機会があればルゼックに聞いてみるといい。おそらく私よりも詳しいだろうから」
「……じゃあ、父さんが知ってる母さんの話は?」
自分たちを通して母の面影を見るようなその様子に、アーキスは思わずそう尋ねていた。
自分にとっての母親はエレンだが、自分たちを産んでくれた母親への情がないわけでもない。親戚であるエレンたちからいくつか話は聞いているが、父から母の話をされた覚えはなかった。
「ふたりもそうだろうけど、俺も全然覚えてないから。よければ聞かせて」
アーキスの言葉に、両隣の弟たちも同意を示す。
少し驚いた顔で三人を見つめていたフォードが、くしゃりと表情を崩した。
「ああ……」
浮かぶ感謝と喜びには気付いていない振りをして、アーキスは弟たちと自分のグラスに酒を注ぎ足した。
「また来いって。言われてきた」
そう言い笑うアーキスは、二日前の朝ここで別れた時よりも穏やかな表情で。
いい帰省になったのだなと、リーもまた嬉しく思う。
迎えてくれる場所がある幸せというと、どこか照れくさいものがあるが。自分も感じたそれをアーキスもまた実感したのだろう。
それにしても、と。リーは手元にある食べかけの焼菓子に視線を向ける。
自分が作ったとはいえないけど、とそう言いながらも嬉しそうな顔をして、アーキスから渡されたこの菓子。
その喜びようをよかったなと思う一方で、あのアーキスにどうやって最後まで手伝わせることができたのか不思議でならない。
仕上げさせたエレンの根気強さに頭が下がる思いと、その手腕に尊敬の念を抱きながら。
いつか会うことがあるのならぜひとも聞いてみたいとリーは思った。





