帰る場所
明日は馬車に間に合うように朝から橙三番へと向かうことになっているので、バドックで何かをするのも今日一日。
とはいっても、今回も特に目的があって訪れたわけではなく。ラミエたち三人がネイエフィールのところから帰ってきてからは、ジークの仕事場を見学させてもらったり、なんだかんだとシエラに構われたり、成り行きでリーが全員分の昼食を作ることになったりしながら過ごした。
「じゃあリー、手伝ってくるね」
「お前ら手伝いなんかできんのかよ?」
「問題なく」
「前来た時も手伝ったよ〜」
夕食は任せてというシエラを三人が手伝う間、リーは再びネイエフィールに会いに行くことにした。
いつものように迎えてくれたネイエフィールの前に座り込み、他愛もないことを話す。それとなくラミエたちと何を話していたのかも聞いてはみたが、やはり上手くはぐらかされた。
「ここを出てから。いい出逢いを重ねているようだね」
少ししんみりとした響きのネイエフィールの声に、自分がここを離れた時のことを思い出しているのだと知る。
何かを返したくて、自分にできる何かを探したくて、この村を出た。それから今まで、何かはできたかもしれないが、結局それ以上に受け取ったものの方が多くて。
いつまで経っても返しきれない。
「愛子だからとか、思ってないから」
龍の魂を持つといわれる龍の愛子である自分。それゆえ人を見る目はあるらしいが、過信はするなと言われていた。
「わかっているとも。私たちもリーシュがリーシュであるから好ましく思うだけであって、何もお前が愛子だから惹かれておるのではない」
単に大丈夫だと答えたかっただけなのに、何やら気恥ずかしくなるような言葉を返されて。丸ごと受け入れるようなネイエフィールの眼差しに、取り繕っても仕方ないとわかりつつ視線を逸らす。
「大事にするんだよ」
「わかってる」
いつまで経っても子どものようだと思いつつ、それでも素直に頭を撫でられながら。
嬉しそうなネイエフィールを見上げ、リーも口元を緩めた。
夕食を終えたあと、少し話をと思いラミエを外へと連れ出したリー。いつもなら帰りに送りながらふたりで話せるが、この旅の間は近くにはいるがふたりになることはあまりなく。こうしてゆっくりと顔を合わせることがないままだった。
日はすっかり落ちてしまっているので、軒下にランプが下げられている家があってもそこかしこに灯りのある紫三番の夜よりは暗い。
持って出てきたランプをシエラたちの家の軒下に吊るし、その下に並んだ。
「色々騒がしくてごめんな」
浮かれた家族の様子を思いそう言うと、ラミエはそんなことはないと首を振る。
「いいところだね」
柔らかく笑むその顔に見とれてしまってから、リーは慌てて視線を泳がせた。
「私には故郷がないからそういう感覚はなかったんだけど、帰ってくる場所って感じがする」
気付かず続けるラミエを改めて見て、リーはふっと息をつく。
離れても、寄り付かなくても、それでもここは自分の故郷。
迎えてくれるものがいる、いつでも戻れる場所なのだ。
「そう、だな……」
いつでも帰れるからこそ足繁く寄るわけでもなかったが。アーキスの話を思い出し、改めてそのありがたさを強く感じる。
素直になれずとも、無条件に受け入れてくれる。まだまだ自分も甘えているということなのだろう。
呆れられる前に少しは感謝の意も伝えねばならないと思いはするが、まだ暫くはできそうになかった。
尤も。それを含めてわかられていそうな気もするが。
考え込んでいたリーは、ラミエに顔を覗き込まれて我に返る。
「なっ、何?」
「私もここが好きになったよ」
赤くなってうろたえる様子をからかうように見つめてのその言葉に、リーは短く息を吐き、じっと見返した。
「…じゃあラミエも、いつでもここに帰ってくればいいよ。皆、いつだって歓迎してくれるだろうから」
一瞬目を瞠ったラミエが、頬を染めて瞳を細める。
「うん。嬉しい」
綻ぶようなその笑顔が照れくさくも嬉しくて、リーは再び視線を逸らした。その代わりに伸ばした手は、すぐにぎゅっと握られる。
「ねぇ、リー」
「ん?」
「リーの周りは皆優しいよね」
ラミエにとっては何気ない言葉だったのかもしれないが、なんだかストンと胸に落ちた。
甘やかすだけではなく、ちゃんと見てくれているものが自分にはいる。
それがどれだけありがたいことか。気付いたのは、村を出てからだった。
「……恵まれてるって、俺も思う」
ここバドックだけでなく、請負人としての自分を取り巻くものたちも同様に。自分を認め、任せてくれる。
それを優しいというならば。間違いなくこの手の先の彼女もそうなのだろう。
「ラミエ」
「なぁに?」
「来てくれてありがとう」
少し形を変えてしまった感謝の気持ちは、それでも嬉しそうに受け取られた。
翌朝、ジークとシエラに見送られ帰路に就くリーたち。
また来てね、とエルフたちを抱きしめるシエラを横目で見ながら、リーはジークにまた来年の合の月にも来れたら来るからと告げる。
「あんたは来年まで来ないつもりなの?」
シエラに直接言えなかった言葉は、それでもちゃんと拾ってもらえたようで。
シエラもまた照れ隠しなのだろうとわかってはいたが、寄れる時は寄るから、とぼやいておく。
素直ではないふたりのやり取りを温かな眼差しで見守っていたジークは、最後に強くリーを抱きしめた。
「気をつけて。いつでも待ってるからな」
「わかってる」
ラミエたちの前では少々照れもあるが、それでもされるがままに身を委ね、別れの挨拶へと変えた。
到着した橙三番で馬車の手続きをしてから、既に出勤しているナバルに挨拶に行く。店頭にナバルの姿はなく、カレナたちへの土産を買いがてら言付けを頼もうと考えていたら、奥から慌てた様子のナバルが現れた。
「よかった、間に合って」
途中で食べてと紙袋を渡される。
「焼く手前まで昨日仕込んでて。だから少し食感が違うかもしれないけど」
店には出せないものだからこのままもらって、と言われたそれは、まだ湯気のたつ木の実のパイ。今朝早くから出ていたのはこのためだったのだと知り、皆で心からの礼を述べた。
この日の馬車はリーたちだけだったので、昼休憩まで待たず温かいうちにパイを食べることにした。楽しかったねと笑い合う三人を眺めながら、リーはそれにしてもと内心思う。
合の月に、しかもこんな面子で帰省することになるなんて、暫く前には考えもしなかった。
まだ今ひとつ素直にはなりきれないが、自分の気持ちを考えることとそれを表すことの大切さを、ここ暫くの騒動で実感したのかもしれない。
捻くれた返答しかできなくても、向けられる優しさは受け入れられるようになった。
少しずつ自分を変えていったのは、誰かとの出逢いであるのだとわかっている。
(優しい、か…)
自分がそうであるとは思わないが、もし誰かにとってそう在れているのなら。
自分もまた自分を変えた誰かのように、何かができているのなら―――。
軽快に進んでいた馬車が不意に左右に揺れ、隣のラミエと肩がぶつかりあった。
「ごめん」
「ううん」
すぐ隣で微笑むラミエ。
馬車が揺れると触れるこの距離にも少しは慣れた。
背丈が変わらないため顔が近いことには、まだかなりドキドキするが。
「そっちも平気か?」
向かいに座る双子に声をかけると、パイを手にしたまま固まっていたふたりが顔を上げる。
「はいひょーふ」
「喉詰めんなよ」
相変わらずのエリアにそう言うと、いつものニンマリとした笑顔を返された。
赤の三番に到着したのは夕方、既にアーキスも戻ってきていた。
「どうだった?」
「そっちこそ」
部屋に入ってからの問いは全く同じものが返される。
柔らかなアーキスの笑顔に、お互いいい帰省になったようだと思いながら。
夜はまだ長い。
実家から持ち帰ってきた酒と今朝買った土産の菓子を肴に、互いに故郷でのことを語ることにした。





