それぞれの百年
村に戻ると既にナバルも帰宅しており、すぐに全員での食事となった。
シエラの機嫌のよさは自分がこの時期に帰ってきたことにもあると知っても、だからといって態度に出せるほど素直でもなく。自分の好物の並んだ食卓で、リーは相変わらずの憎まれ口も挟みながら食事をした。
明日もう一日バドックで滞在し、明後日の朝の馬車で帰ることになっている。ゆっくりと食事も歓談も終えたリーは、あとは女の子だけでお茶を飲むのだというシエラに追い出され、ジークの家へと移動した。
「ナバルまで…」
一番言いたいことは口に出せずに家を出てきたリーは、同じく放り出された家の主の姿に、我が姉ながらと嘆息する。
「今回は女の子ばっかりだから。元々そのつもりにしてたんだよ」
全く気にしていない様子のナバルは、いつもの穏やかな表情であったのだが。
「それに。僕もリーシュの話を色々と聞きたいからね」
それでも珍しく、からかうようにそう笑った。
「色々ってなんだよ」
「まさかリーシュからこんな話を聞くことになるなんて思わなかったよなぁ」
半眼でナバルを見返すリーに、しみじみとジークも頷く。
「だからこんな話ってなんだよ……」
居心地悪そうにそう洩らすが、もちろん聞き入れてはもらえず。
とっておきのを出すからと置かれた酒瓶につられ、リーは不貞腐れた顔をしながらもテーブルに着いた。
グラスふたつに酒を注ぎ、飲まないナバルにはお茶を淹れて。
向かいに座ったジークがグラスを差し出しながら、嬉しそうにリーを見つめる。
「それで。紹介してくれたってことは、先のことまで考えてるってことでいいのか?」
いきなりの核心を突く問いに、リーはグラスを受け取り半分ほど飲んでから、わからないけど、とぼそりと答える。
「こんな仕事だから全然一緒にいられなくて、そのうち愛想尽かされるかもしれないし」
「でも彼女も同じ請負人組織の職員なんだから、理解はあるんじゃない?」
ナバルの言葉に首を振る。
「理解はあっても。寂しい思いをさせるのには変わりないだろ」
何日も旅ゆくのが当たり前の仕事。普段からだけでなく、最期まで。自分はラミエに寂しい思いをさせてしまうことがわかっている。
「…でもラミエの一生に俺はついてけないってわかってて、それでも俺でいいって言ってくれてるなら、俺は俺にできることをちゃんと考えるべきかなって……」
この先どうなるかわからないのは人もエルフも同じこと。しかし、ラミエの決意はおそらく自分よりも重く、途方もなく長い間影響をするものだと思うから。
だからこそ、自分にできる精一杯の覚悟を示そうと思っただけのこと。
覚悟の重さが釣り合わないことはわかっていても。その分を埋められる何かは、今からふたりで探していけたらいい。そのためになら。
「……俺の一生くらい。喜んで使うよ」
零れた音に我に返り、リーはそろりと視線を上げる。
ふたりから今までに見たことがないくらい微笑ましげな顔を向けられていることに気付き、リーは素早く視線を逸らした。
「そういえば。店に売りに出してた髪留め、買ってくれたのリーシュだったんだな」
思い出したように告げるジークに、リーは警戒しながら視線を戻す。
「見て驚いたよ」
どう見ても嬉しそうなその顔に、もうからかうつもりはないのだと理解したリーは素直に頷いた。
「こないだアーキスと来た時に」
「言ってくれたらいくらでも作るのに」
「いいんだよ。俺が兄貴のを買って渡したかったんだから」
装飾品にも女性の好みにも詳しくはないが、それでも贈るならジークの作ったものがいいと思った。
理由など、言わずとも伝わっているのだろう。
「ありがとう」
ふっと力が抜けたように笑うジークと、変わらぬ穏やかな笑顔で自分たちを見守るナバル。
ラミエを連れてきたことを心から喜んでくれていることが少し恥ずかしく。同時にその祝福は嬉しく。
「……俺の方こそ。ありがとな」
飾りも隠しもできない言葉が、ただ口をついた。
片付けとお茶の用意をする間に順番に湯浴みをして休んでおいて、とシエラに部屋に帰されたラミエたち。使っていない部屋を急拵えで調えてくれたそうで、ラミエには双子と別部屋が用意されていた。
借りた部屋でひとりになると、じわじわとここまでのことが思い出される。
物心ついてから初めての遠出。隣にリーがいて、目的地はここ、リーの故郷で。
リーの家族はとても優しく迎えてくれた。ずっとリーを見守ってきたネイエフィールにも、自分のことを受け入れてもらえた。リーには内緒の再来の約束は、この先の長い道を照らしてくれるようで。
胸に満ちる温かな感情に自然と顔が綻ぶ。
ここに来てよかった。心からそう思った。
非日常の高揚も合わさって浮かれた気分で荷解きをしていると、コンコンと扉が叩かれる。湯浴みの番だと呼びにきたのかと思い扉を開けると、そこにはシエラの姿があった。
「少し話してもいいかしら?」
食事中より穏やかな声で問われ、もちろんと招き入れる。
すぐだからここでと告げたシエラは、まっすぐにラミエを見据えた。
「リーシュ、ちゃんと優しくしてる?」
「は、はい」
「言葉崩してね」
ふふ、と柔和に笑う。
「あの子案外気が利かないところもあるから。何かあったら遠慮せずにちゃんと言うのよ?」
姉の顔を覗かせるシエラに、そんなことはないと首を振る。
「リーは誰にも優しいから……」
「そうかしら」
何やら声音に滲むものがあるが、そこには触れずに流しておいた。
気を取り直すかのように軽く息をついてから、シエラが視線を合わせてくる。
「ラミエちゃん」
「よければラミエと」
「……ラミエ。ここに連れてきたってことは、リーシュもそれなりに考えてると思うの」
見つめる眼差しが真剣味を帯びたことに気付き、ラミエもきゅっと唇を結んでシエラを見返す。
「エルフは長命なのよね? それなのに、リーシュでいいの?」
きつく聞こえる言葉の割に、その声音は柔らかく。
ネイエフィールから感じた温かさと同じそれは、残される自分を心配してのものだとわかっていた。
ここに来られて、リーの家族に会えてよかったと。改めて浮かぶ思いに自然と笑みが浮かぶ。
「……私が、リーじゃないと嫌なんです」
ラミエは青い瞳を細めて迷いなく言い切った。
強く響くその言葉にも、シエラは驚く様子は見せず。装いを脱ぐように緩んでいく表情には、ただ弟の幸せへの喜びが浮かぶ。
「リーシュを見初めてくれてありがとう……」
呟かれた声は、本当にか細く。
それでも祈るように紡がれた。
三人が湯浴みを済ませた頃には、食事をしていたテーブルにお茶と菓子が並んでいた。
全員の顔が見えないからと、横側に椅子を移動させたシエラが席に着く。
「エリアちゃんとティナちゃんは働きだしたって聞いたわよ? どう?」
シエラの問いに、嬉しそうにクッキーを頬張ろうとしていたエリアが頷いた。
「楽しいよ」
答えてからかじりつくエリアとクッキーを噛み締めながら頷くティナをにこやかに見てから、シエラはラミエに視線を向ける。
「ラミエはもう働いてるのよね? 私にはそんなに歳が違うようには見えないんだけど…」
お茶を飲んでいたラミエはカップを置いて、そうですね、と呟いた。
「私が三十二歳だから…」
「十歳くらい違うよね」
次のクッキーに手を伸ばしながらエリアが答える。
「人の年齢だと、あたしたちはだいたい十六歳くらい」
「私は二十歳を過ぎたから、これ以上は数えないかな」
長く二十代の姿でいるエルフたち。ここまでくるともうはっきりさせる意味もないのだろう。
「そう、皆若いわねぇ…」
しみじみと呟いてから、シエラはくすりと笑う。
「そんなにかわいいんだから。エリアちゃんもティナちゃんも、色々言い寄る男もいるんじゃない?」
きょとんとふたりで顔を見合わせてから、でも、とティナが答えた。
「私たちはまだエルフとしては幼いから。あまり考えたことはなくて」
「うん」
頷いたエリアが淡く微笑む。
「あと百年くらいは、誰もいらない」
「エルフは百年経ってからでも遅くないのよねぇ」
なんだか不思議よねと笑うシエラが、ラミエを見て怪訝そうに覗き込む。
「ラミエ?」
どこか呆けて宙を見ていたラミエがハッとした様子でシエラを見返し、なんでもないと首を振った。