残されたもの
急いで村に戻ったリーは、シエラにもうすぐ食事なのにと怒鳴られながらラミエを連れ出した。
ネイエフィールからはラミエを村長に会わせるだけでいいと言われていたのだが、いつの間にやらリーが連れてきた者は村長がいいと思いさえすれば通していいことになっているらしい。リーとラミエの間柄はどうやらシエラから聞いていたようで、祝福の言葉と笑みにラミエとふたり赤面しながら礼を述べた。
「リーにとって家族みたいな龍なんだよね」
「うん。だから会いたいんだと思うけど」
できれば紹介はしたいと考えてはいたが、まさかネイエフィールの方から言ってくるとは思っておらず。動揺の見えるラミエを励ましながら山道を進み、変わらぬ様子で待ってくれていたネイエフィールの前に立った。
「連れてきたよ」
「はじめまして。ラミエ・ワクラー・アス・ロットシェルです。どうぞラミエと」
「よろしく、ラミエ」
龍という存在には慣れているラミエではあるが、問題は付加される『リーの家族同然』という肩書きで。兄姉たちの時以上にこわばるラミエの背に手を当てて、リーはなるべく空気を緩めようと軽い口調で続ける。
「これじゃお互い見えにくいだろうし。明日明るくなってからでもよかったんじゃないか?」
光源はリーの掲げるランプひとつ。影の揺れる中、ネイエフィールがそうかもしれないね、と笑った。
「だが、こうして暗いからこそ話せることもある」
じっとラミエを見つめる双眸は、包み込むような大地の色で。普段よりは赤の勝る優しいそれに、ラミエからも少しずつ緊張が解れていく。
それを見届け、ネイエフィールが続けた。
「リーシュ。ラミエとふたりで話がしたい。先に帰っていておくれ」
「なっっ?」
「ああ、ランプはラミエに。お前なら目を瞑ってでも帰れるだろう?」
目を瞠るふたりにカラカラと笑うネイエフィール。もちろん冗談でもからかうつもりでもないと、リーとてわかっている。
「護り龍……」
あとはただ静かに見据えるネイエフィールの意図がわからず、どうすればと迷うリー。何かがあると心配しているわけではないが、何を話すつもりなのかは気になって。
自分事でないからこそ困り果てるリーの前に、ラミエがすっと手を出した。
「リー、ランプ貸して」
「ラミエ…」
「帰りは灯りを目指していくから大丈夫。気をつけて帰ってね」
微笑む顔は穏やかで、怯えも心配も見られない。
頷くラミエとネイエフィールを見比べて、リーはその手にランプを渡した。
「突然悪かったね」
リーがこの場を離れて暫く、ネイエフィールが口火を切った。
「どうしても話しておきたいことがあってね」
揺れるランプの灯りを映すその眼を真っ直ぐ見返して、なんでしょうかとラミエは問う。
龍を知っているからではなく、こちらを受け入れるような眼差しに、畏怖はあれど恐ろしさなどは感じない。
そして何より、リーが家族のように慕う龍であるのだ。認めてもらえるかどうかと緊張はしても、怯えることはなかった。
「見たところまだ若いエルフだが。いいのかい?」
「……いい、とは?」
「先は長いだろう?」
やはりその話になるのかと思いながら、ラミエは頷く。
「わかっています」
「寿命もそうだが、外見もそうだ。リーシュが老人になっても、お前はその姿のままだろう?」
エルフの寿命は三百年ほど。しかし人のように、見た目は年々歳を取るわけではない。
十二歳くらいまでは人と変わらぬ速度で成長し、それから成人相当まで少し緩やかになる。更に肉体が二十歳程度の外見まで成熟すると、あとは長らく僅かに歳を重ねていくだけ。二百歳を過ぎてからようやく三十代くらいの姿となり、その後は人より緩やかな速度で老いていく。
今は三十二歳のラミエ。リーが寿命で死ぬまで、ラミエの姿は変わらないままなのだ。
ネイエフィールを見返すラミエには、その言葉への動揺はなく。ただ少し悲しそうに眉を下げた。
「…その時にならないとわからないことなのかもしれませんが、もしそこまで一緒にいられたのなら。きっと私はその時間の分だけもっとリーのことを好きになっているんじゃないかと思います」
自分を自分として見てくれる、そんなリーに惹かれた。
だから自分にとってもリーがリーであることだけが特別で。そこに外見も年齢も関係ないのだと、そう思ってはいても。
「……ただ……」
一緒にいられるようになったからこそ生まれた不安。
隣にいても、一緒に過ごしても、共有できない時間の流れ。
同じ時を重ねられない自分。
変われない自分を、リーは受け入れてくれるのだろうか。
―――信じる気持ちはもちろんある。
しかしそれでも自信のなさは不安となって、いつも心の奥底に沈んでいた。
ただこちらを見つめるネイエフィールの眼は、夜の暗さとランプの明るさをともに孕み、どこまでも深く。
己の心の底を映されるようなそれを見ていると、目を逸らしていた不安とともに湧き上がる気持ちがあることに気付いた。
自分の想いが届いたあの日。
自分の不安に、リーは先回りしてくれていた。
「……リー、どうすればいいか一緒に考えようって言ってくれたんです」
先に死ぬけど、と。自らそう言いながらも、それまでの時間を一緒にいてほしいと願ってくれた。
その時の自分には、訪れる喪失も大きくなる違いもどうでもよくて。
ただリーがそう願ってくれたことが嬉しくて。
どうしようもなく幸せだったことを思い出した。
「そのあと私が寂しくないように、なんでもするからって…」
不安の影に隠れがちでも、その気持ちは確かなもので。
改めて見つけたそれを、ラミエはそっとすくいあげる。
たとえこの先何度不安になったとしても。
辿り着く答えは、きっと同じ。
「……だから、リーさえいいなら。私は後悔しないと思います」
こちらの心を覗き込む茶色の眼に向け、きっぱりとラミエが言い切った。
ふっとネイエフィールの眼差しが和らいだ。
「ならばそのうち、会いにおいで」
ラミエが明らかなその変化に気付くのと、ネイエフィールが口を開くのはほぼ同時。告げられた言葉の意味を理解しきれなかったラミエに、穏やかにネイエフィールが笑む。
「リーシュのことは生まれた時から知っているからね。いくらでも話せることがある。いつでも好きなだけ聞きに来るといい」
今話すと怒られるから。
そう続けられて初めて、ラミエはそのうちがいつのことなのかに気がついた。
人の三倍の寿命のエルフ。
そのエルフよりも、龍は遥かに長くを生きる。
目の前の龍がどれだけ生きてきたのかはわからない。それでもおそらく、自分もまた見送られる側なのだ。
自分とは比べものにならぬほど途方もないその時の流れ。
誰かを大切に思う気持ちに差などないなら、人の傍に生きるこの龍は一体どれだけのものに残されてきたのだろうか―――。
「護り龍……」
「ああ、私のことはネイエフィールと」
さらりと告げて、ネイエフィールはラミエへと手を伸ばし、その頬を伝う涙を拭う。
「優しい子だね。だが、護り龍とはそういう生き物だ。気に病むことはない」
続けて慣れた仕草で頭を撫でてから、静かにそう継いだ。
山の麓でラミエを待っていたリーは、木々の隙間から見えたランプの灯りに胸をなでおろす。程なく姿を見せたラミエは、リーを見て驚いて駆け寄ってきた。
「リー! 待っててくれたんだ?」
「まぁ…うん」
ありがとうと微笑むラミエに変わった様子は特になく。ネイエフィールとどんな話をしたのかは気になったものの、心配はいらないかと思い直して聞くのはやめた。
「戻るか」
「うん」
差し出した手をいつもよりしっかりと握られ、驚き振り返るリー。
「ラミエ?」
ぎゅっとその手を握ったラミエは瞳を細めて。
「私は幸せだよ」
噛みしめるように、そう呟いた。