誰も彼も
翌朝、馬で赤四番へと向かうアーキスと別れ、リーたちは橙三番行きの馬車に乗った。
ちょうど四人なので横一列に並んで座る。隣のラミエに揺れると触れる右半身に緊張する以外は何事もないままに、夕方には橙三番に到着した。
まずはと皆でナバルの勤める店へと向かう。
おそらく馬車の到着時間も気にしてくれていたのだろう、ナバルは店に入ってきたリーたちの姿にほっとしたように笑みを見せた。
「おかえり、リーシュ」
「ただいま」
初対面のラミエを紹介したところで、先に出ておいてとエリアに追い出される。
「皆の分買ってくるね!」
「お、おいっ」
「いいから!」
押し切られたリーは、ラミエとふたり、仕方なく中央の広場で待つことにした。
日暮れは早く、辺りに残るのは日が沈んでからの残光で。並んでベンチに座って淡く暮れゆく町並みを眺めていると、ラミエが思い出したかのようにくすりと笑う。
「ホントにリーシュって呼ばれてるんだね」
ここに来る前に本名のこととバドックでは双子にもリーシュと呼ばれていることを、ラミエにも打ち明けてあるリー。しかし、いざラミエの口からリーシュという名が出るとなんだか気恥ずかしく。視線を逸らして、そうだけど、と小さく返す。
「……何」
暫く待ってみても引っ込まぬその笑みに少々むくれて声をかけると、ラミエはリーと視線を合わせて更に笑み崩れた。
「リーの故郷に来たんだなって」
薄暗い中でも幸せそうに輝くその瞳に、拗ねていた気持ちなど吹き飛んで。
顔を見ていられなくなってまた目を逸らし、代わりにすぐ隣にあった手を探り当てて握りしめる。
「……呼びたかったらそう呼んで」
呟くと、きゅっと手を握り返された。
「木の実のパイ、ふたつください」
リーとラミエを店外へ追いやったエリアは、にこやかに自分を見るナバルにそう注文する。
「はい、どうぞ」
紙袋に入れて渡されたパイを大事そうに受け取るエリアを見届けてから、今度はティナがナバルの前に立った。
「私にもふたつ」
「こっちは自分たちの分?」
頷くティナに、それなら、とナバルが微笑む。
「ふたりには僕から。また来てくれてありがとう」
手早くふたつを紙袋に入れ、ティナへと差し出した。
「来るって聞いてから、シエラもすごく楽しみにしてて。今頃張り切って料理してると思うよ」
「ナバルさん……」
いいのかと見上げるふたりに頷き返し、ティナへと袋を渡すナバル。
「リーシュのことも。これからもよろしくね」
続けられた穏やかな声に、エリアはじっとふたつの紙袋を見つめる。
ふたりの分と、自分たちの分。
自分はもう、同じ袋に入ることはないのだとわかっていても。
「ありがとう」
「……ありがとう」
先に礼を述べたティナにつられるように礼を言う。
それでも、これからも変わらず近くにいられればと。
そう思い、エリアは少し瞳を伏せた。
小走りでこちらへ向かってくるエリアとティナに気付き、リーは慌てて握っていた手を放した。
「おまたせー!!」
紙袋を手に駆け込んできたエリアが、満面の笑みでふたりにそれを差し出す。
「はい! 一緒に食べよ!」
「私の分のお金……」
「前に石貸してくれたお礼だからいいよ〜」
対策なしでは際限なく漏れるエルフの魔力。それを循環させるために必要な魔力を蓄える石を持っていなかった双子に、ラミエが一時的に己の石を貸したことがあった。
「でも、石のお礼ならリーから…」
「ラミエっっ」
慌てて遮るが、既に遅く。
瞠目する双子と強い声に驚くラミエに、経費で落としたから、とせめてもの嘘をつく。
それからふたりの顔を見ぬまま、エリアの手から紙袋を取った。
「じゃあ遠慮なくもらうけどっ。村まであと一時間かかるんだ。あんまりゆっくりできねぇからなっ」
ごまかすように早口でまくし立ててから。
「…ありがとな」
ぼそりとつけ足された言葉に、エリアがわかりやすくニンマリする。
「いいよ〜」
「うるさい。早く座れって」
「はーい」
すとんとリーの隣へと腰を下ろすエリア。ティナはラミエの隣に座り、紙袋からパイをひとつ取り出した。
「エリア」
ティナから受け取ろうとエリアが手を伸ばす前に、ちょうど自分の前にきた紙袋をリーがつまみ上げる。
「ほら」
「ありがと」
エリアはにこりと笑って受け取り、紙袋から自分の分のパイを出し見つめた。
「あたしたちの分はナバルさんがくれたの」
「ナバルが?」
ラミエとそれぞれパイを取りながら尋ねると、そうなの、と明るい声が返ってくる。
「リーのことよろしくって」
世話を焼いているのは自分の方だと思ったが。
「エリア、ティナ、ありがとう」
素直に礼を口にするラミエが嬉しそうだったので、リーは結局何も言わずにパイにかじりついた。
リーたちがバドックへ到着したのはもう辺りが暗くなってからだった。
「えっと……ラミエ、兄貴と姉貴」
「はっ、はじめまして! ラミエといいますっ」
ガチガチに緊張したラミエがぎこちなく頭を下げる。
「シエラよ。よろしくね」
「ジークです。来てくれてありがとう」
着くなりシエラに家へと引きずり込まれた一行。リーはまずはラミエをふたりに紹介した。
シエラは喜色満面でラミエを見つめてから、同じ顔を双子にも向ける。
「ふたりも来てくれて嬉しいわ!」
「あたしたちもまた来れて嬉しい」
まだラミエの表情は硬いものの、村直前の緊張振りを思えば緩んだ方だろう。
主にシエラが浮かれる様子を蚊帳の外から眺めながら、まぁ大丈夫そうかな、とリーは心中独りごちる。
ラミエとの関係はそれとなく手紙に書いておいたので、察してもらえているとは思うのだが。ただ見たことのないほど上機嫌の姉が、何か余計なことを言わないかだけが心配だった。
「ナバルももうすぐ帰ってくると思うから。それから食事にしましょうね」
「シエラさん、あたしたちも手伝うね〜!」
「わっ、私も!」
「ありがとう。お願いするわね」
「シエラさんの料理、美味しいんだよ〜」
きゃあきゃあと言いながら調理場へ向かう四人を見送るリー。思わず洩れた盛大な溜息に、ジークが労うように肩に手を置く。
「……シエラ、本っ当に楽しみにしてたんだよ」
「だろうな……」
なんだかんだと双子のことも気に入っている姉。ラミエもエルフの絆を考慮せずとも、もちろん嫌われるようなことはないだろう。
ジークもいるし、何より双子がいる。自分が余計な口を挟む必要はない。
リーは置いていた荷物を担ぎ直し、置いていたランプを手に取った。
「ちょっと護り龍のとこ、行ってくるよ」
実家に荷を置いてから、ネイエフィールの下へと向かう。
家々の灯りも見えぬ山の中は暗いものの、纏う空気は昼と変わりなく。いつぞやの闇を思えば、見上げる空にも樹冠が見え、重なる幹の隙間がわかる程度の暗闇になど怯える必要はない。
そして何より、進むのは幼い頃から行き慣れた場所。先に待つのは護り龍、利かぬ視界など歩をためらう理由にもならない。
柔らかく沈む土を踏みしめ進んだ先、ランプの光を柔らかく映し込む銅色の身体が現れる。
「ただいま」
「おかえり、リーシュ」
待っていてくれたのだろう、灯りの灯る眼を細め、ネイエフィールがゆるりと応えた。
「元気そうで何よりだよ」
「ネイエフィールも」
龍だからそうそう変わらないよ、と楽しげに返すネイエフィール。
「合の月にリーシュが帰ってくると、シエラが喜んで報告に来てくれたよ」
多くの者が故郷に戻る合の月。そういえば今まで一度も帰ったことがなかったと今更気付く。
シエラの浮かれ具合はラミエたちを連れてきたというだけではないのだと暗に告げられ、無駄だとわかりつつ視線を逸らした。
幼い頃と変わらぬ反応に、くつくつとネイエフィールが笑う。
「相変わらず龍だけでなく誰も彼も誑かしているようだね」
「誑かしてなんかいねぇけどさ……」
おそらくラミエのこともシエラから聞いているのだろう。からかう気しかないネイエフィールを半眼で見返してぼやく。
「ふたりは覚えがあるけれど。新顔のエルフがいるね」
「新顔って…そこまでわかるのか?」
「エルフの魔力は特徴的だからね。人より見分けはつきやすいんだよ」
エルフが龍の魔力を感じ取れるように、龍がエルフの魔力に気付くことができるのはわかる。しかし個の区別がつくとは思っていなかった。
「それで、シエラの言っていた子はその三人の中にいるのか、それともほかにも人が来てるのかい?」
楽しげな顔のネイエフィールに、やっぱり話されてるなと思いながら、新顔の子と答える。
「……そうか、エルフなんだね」
「そうだけど……」
どこか含みのあるその声を怪訝に思った直後。
「リーシュ。その子に会わせておくれ」
眼差しは穏やかに、しかし有無を言わせぬ口調でネイエフィールが告げた。