瞬きほどの
目立たぬよう、フェイの帰還は日が落ちてから。
マルクから確認をするように言われているリーは、皆で朝食を取ったあと、カルフシャークとユーディラルにドマーノ山での話を聞いた。
「フェイ、ちゃんとやってたか?」
「ちゃんとって?」
きょとんと繰り返すカルフシャークに対しユーディラルは微笑んだまま。その様子に、絶対に何か余計なことをやっただろうと確信する。
「いっぱい話してもらったよ」
「内緒だと言っただろう」
口を挟むフェイをうるさいと一喝し、それで、と促すリー。
「なんの話?」
「父さんと旅してた時のこととか、リーと会った時のこととか!」
「でも、リーが心配するようなことは何もないよ」
取り繕うようなユーディラルの言葉に、ますます疑いの目を向ける。
「…罠の仕掛け方とか、教えてねぇだろうな?」
フェイと初めて会った日のドマーノ山の惨状を思い出してそう聞くと、ああ、と軽く返ってきた。
「解けない結び方は教えた」
「それが余計だっつってんだよ!」
「えー? 面白かったのに」
「余計ってほどじゃないと思うんだけどな」
二匹の擁護にほら見ろといわんばかりの顔をするフェイに苛立つ反面、仲のよさそうな様子は微笑ましく。
ウェルトナックだけではなく、こうして子龍たちが自然にフェイを受け入れていることがなんだか嬉しかった。
仕方ないから流してやるか、と思っていると、すっと隣に来たユーディラルに名を呼ばれる。
「アディーリア、すっかり落ち着いてたね。ありがとう」
「なんにもしてねぇって」
そんなことないと思うけどと笑うユーディラルには、出発前に僅かに見えていた不安は影もなく。
よくぞこの短い時間でと、胸にくるものがあった。
よかったと本人に向けて言うのは違うように思えたので、リーは手を伸ばし、その背を撫でる。
「おつかれ」
労いの言葉に含めた称賛は受け取ってもらえたのだろう。
嬉しそうに眼を細め、ユーディラルが頷いた。
リーからの聞き取りも終わり、カルフシャークは今からどうしようかと考えていた。
せっかくリーがいるなら剣の修行をつけてもらってもいいし、フェイに旅の話の続きを聞くのもいい。
アディーリアとユーディラルはどうするだろうかと思い、まずは隣にいるユーディラルに声をかけた。
「じゃあまずアディーリアを呼んでこないとだね」
池底で待っているだろうから、と水に潜りかけたユーディラル。しかしすぐに動きを止め、カルフシャークを振り返る。
「……カルフシャーク兄さんと一緒に行けてよかった」
自分を見るユーディラル。その表情にありありと浮かぶ、尊敬の色。
「僕にはまだカルフシャーク兄さんのように考えられないことも多いけど。見習って頑張るね」
言うだけ言って、ユーディラルはとぷんと潜っていってしまった。残されたカルフシャークは、ただ驚いて波紋の広がる水面を見る。
自分より様々なことに長けているユーディラル。兄として慕ってくれていることはもちろんわかっていたが、見習われるようなことがあるとは思っていなかった。
胸中の驚きが、じわじわと喜びに変わる。
自分が兄たちを見てきたように、自分にもユーディラルに見せられる姿があったこと。
それが嬉しく、誇らしかった。
細い月と星々からの淡い光をその身に赤く蓄える龍。その周りを小さな水色の龍が、きらきらと跳ねる水滴のように纏わりついていた。
「また合の月にな」
抱きついて尻尾を振るカルフシャークとその傍らで見上げるユーディラルの頭を撫でてから、フェイはリーを見てあからさまに溜息をついた。
「帰ったら事務仕事をやれと言われた」
「事務員なんだから仕方ねぇだろ」
「一緒に旅を続けるために職員になったんだが」
不服そうにぼやくフェイ。
隠されることのないその本音が嬉しいことは顔に出さず、リーはそう言うなって、と宥める。
「どうせまたすぐに行けるようになるって」
じっとリーを見返してから、フェイは仕方なさそうにもう一度息をついた。
「そうだな。またすぐに乗せることになるだろうな」
「いやそっちじゃなくて」
心の底から嫌そうに返し、リーはしたり顔のフェイを睨む。その顔を満足そうに見返してから、フェイはカルフシャークとユーディラルを池へと帰した。
「まぁせいぜい楽しんでこい」
少々羨ましそうなその声に表情を緩め、わかってると頷いて。
「ああ。そっちもしっかり働けよ?」
「仕方ないからな」
互いに素直ではない言葉を、暫しの別れの言葉へと変えた。
急ぐ旅ではないからと、リーの出立は翌日の昼となった。
メルシナ村の直前で足を止めたリーは、今はもう木々の向こうで見えない池を振り返る。
朝から定位置の膝の上を陣取って過ごしたアディーリアは、別れ際も困らせるようなことはなく。寂しそうな顔をしつつも、またねと笑ってくれた。
一歩を踏み出したユーディラルも、少しも不安定な様子は見せないままで。出発前に大丈夫だと言い切った通り、心配をする必要などひとつもなかった。
人である自分でさえこの短期間でと思える成長振り、龍からすれば本当に瞬く間であるのだろう。
(負けてられない、か……)
ウェルトナックの言葉を思い出し、独りごちる。
隣に並んで歩けるように。
その目覚ましい成長に置いていかれないよう、自分も立ち止まってはいられない。
また来るからとの約束がいつになるかはわからないが、その時に差を開かれていないよう。
たとえ一步でも、まずは自分にできることから。
そう決意して、リーは再び歩き出した。
池から顔を出したまま、リーの姿が見えなくなってからもずっとその方向を見つめていたアディーリア。
リーが帰ってしまうのは寂しいが、仕方のないことだとわかってはいた。
いつかのようにわがままを言って困らせるつもりはもうない。寂しければいつでも呼べばいいと言ってくれた、リーの言葉があるから大丈夫だと信じている。
それに―――。
「ユーディラルお兄ちゃん」
ずっと隣にいてくれているユーディラルに声をかける。
置いていかれたと思いもしたが、戻ってきたユーディラルは何も変わらず。いつも通り傍にいてくれていた。
「次はいつ会えるかな」
だから、自分もいつも通り。
その気持ちはわかってくれているのだろう。ユーディラルもいつもと同じように、そうだね、と笑う。
「きっとすぐだよ」