なんのために
翌日、まるで昨日の分を取り戻すかのように、アディーリアは朝からリーにべったりだった。約束通り手持ちの食材で朝食を作るリーを手伝い、皆で食事を囲む。
終始嬉しそうな顔ながらも時折ふと寂しさが伝わってくるのは、やはり兄ふたりがいないからだろう。
特にユーディラルとはここを抜け出した時もずっと一緒だったせいもあるのだろうかと思い、少しでも気を紛らわせることができればと、リーはあまり間をおかず話を振るようにした。
「サルフィエールがね、自分が行くって言ってたんだって」
ヤシューエントが来た際の話になり、アディーリアは楽しそうに笑ってそう教えてくれる。
「説得するの大変だったって」
「そうなんだ?」
リーから見たサルフィエールはとても穏やかで控えめな印象だったのだが、あの時は弱っていたせいだったのだろうか。
「それにしても…」
言いかけて口を噤んだあとじっと自分を見るリーに、アディーリアはどうしたのと首を傾げる。
「いや……なんでもない」
ネイエフィール、メルティリア、ネル、そしてサルフィエールもそんな様子なのだとすると。
(なんていうか……たくましいよな……)
もしかしてそのうちアディーリアも、と思ってしまったことは頭から追い出して。
まだ自分の感情がアディーリアに伝わらないままでよかったと、リーは心底思った。
遠い目をして明後日を見ているリーがなんだかおかしくて、アディーリアはくすくす笑う。
今日は朝からずっと一緒にいてくれるリーのお陰で、少し寂しくなってもすぐに立て直すことができていた。
ここに兄ふたりがいないというだけでなく、ふたりが戦うことを学んでいるということにもなんとなく寂しさを感じてしまっている自分。
組織に依頼を出す際に、自分はどうするかと父に問われた。学んだ方がいいのかと聞き返すと、思う通りでいいと言われた。
いずれは得なければならない知識とわかっていても、まだ学ぶ気にはなれなかった。
しかし今となってから、なんだかひとりだけ置いていかれたようで寂しく感じる。
外の世界では、自分にできることは本当に少なく。足りぬことばかりだと思い知ったが、それでもまだ変わることは少し怖くて踏み出すことができなかった。
自分よりも考え込む様子を見せていたユーディラルは、もう新たな一歩を進んだというのに。
置いていかれる寂しさと進めぬ自分への落胆。うつむきそうになるたびに、リーが声をかけてくれる。
会話は何気ないものだが、自分を励まそうとしてくれていることが強く伝わるその声音。視線を合わせると包み込むような力強い眼差しが返されることへの安堵感が、ゆっくりと、しかし確実に自分を満たしていく。
急がなくていいのだと。
そう言われているようだった。
日没後も暫く皆で空を見上げて待ってみたのだが、カルフシャークとユーディラルが戻ってくる様子はなかった。
「帰ってこないね」
少し沈んだアディーリアの声に、リーは優しく頭を撫でる。
「日中はあまり派手に動けないだろうから。できる時間も限られてんじゃねぇのかな」
三匹がいるのはドマーノ山の山頂。
龍が棲むと知られる場所であり、それ故の注目もある。そこを棲処とするフェイはともかく、そこにいないはずの水龍の姿を見られるのはどうかと思われた。
「心配しなくても。一応フェイもいるんだしさ」
「うん」
頷いたアディーリアが、リーと、そして傍らに置かれているリーの剣を見た。
「リーは怖くないの?」
「え?」
「戦うの、怖くないの?」
小さな呟きに滲むのは疑問ではなく確認で。
きっと自分の答えはわかっているのだろうと思いながら、リーもアディーリアを見つめ返す。
「怖いこともあるよ」
「じゃあどうして?」
やはり予想通りの答えだったのか、間髪入れずに重ねられた問い。
龍であるアディーリア相手に上辺の言葉を返したところで見抜かれる。だからこそリーは、慎重に己の中に言葉を探す。
「戦うことでしか守れないものもあるってわかったから、かな」
養成所を出て請負人として働き始めた時には、根拠のない万能感と将来の期待に溢れていた。
依頼を受けて魔物を倒すということ。同じ言葉でも様々な側面があることをそのうちに知った。
自分はなんのために戦う力を磨いたのか。そう思ったこともあったけれど。
見つけた答えはとても曖昧で。しかしそれ以外に伝えられる言葉がなかった。
「まぁ、あとは実際手っ取り早いところもあるしな」
茶化して言うと、アディーリアもくすくす笑う。
「やってることは同じでもなんのためにかが違えば許される、なんて。都合のいい考え方かも知れねぇけどさ」
それでもそう考えなければ、剣が鈍る時もあるから。
途切れた言葉にリーを見上げてから、アディーリアはぴとりと身を寄せる。
「わかった。教えてくれてありがとう」
慰められているのだろうなと思いながらも、自然と浮かぶ笑みのままに。リーはそっとアディーリアの背を撫でた。
アディーリアを池へと帰したリーは、池から少し離れたいつもの場所に張ったテントに戻ってきていた。
することもないので寝ようかと思っていたところへ、外から声がかけられる。
顔を出すと、テントの前にはリーと変わらぬ歳の青年が立っていた。
「少しいいかな?」
わざわざ人の姿で来たシェルバルク―――クレイに、リーはもちろんとテントに招く。自分がテントに戻ってから来たということは、あまりほかには聞かれたくない話なのかもしれない。
礼を言って入ってきたクレイは興味深げにテントを見回してから、はっと気付いて恥ずかしそうに笑った。
「アディーリアのこと、すっかり任せてごめんね」
「全然」
いくらでもと笑うリーに、ありがとうと返すクレイ。
「ユーディラルも行くって聞いてから、ちょっと不安定だったんだけど。リーのお陰でだいぶ落ち着いたみたい」
アディーリアが何を感じていたのかは、これまでのやり取りでリーにも少しは見えていた。もちろんクレイも、ウェルトナックたちも気付いていることなのだろう。
「役に立ったならよかったよ」
気にしないでいいとばかりに軽く返すリーに、クレイは穏やかな笑みはそのままで、本当に、と呟く。
「アディーリアだけじゃなくて。僕たちもリーに助けられてるよ」
向けられる青い瞳にはただ感謝が見えて。照れくさくなったリーは、クレイから視線を外した。
「お互い様だって」
相手は龍。照れ隠しも意味はないとわかってはいたが、面と向かって告げられた感謝はどうにもくすぐったく。
隣から伝わる見守るものの気配に、やはりクレイも年若いとはいえ龍であるのだと、そう感じた。
クレイの外見年齢はリーの実年齢と同じくらいですが、もちろん傍目にはリーの方が年下に見えます(笑)。