先客と伝言
メルシナ村から畑を抜けた先、街道へと続く森の中にフェイが降り立った。例によってヘロヘロのリーの回復を待ってから、あとは頼むと告げる。
「夜に、と伝えてくれ」
「わかった。気をつけて来いよ」
リーは自分の魔法を解くためだけについてきてくれた同行員のエルフにも礼を言い、視覚阻害を解いてもらった。
その場を離れて暫く、うしろからの風と激しく揺れる木の枝に、フェイが飛び立ったのだと知る。もちろん姿は見えないが、晴れた空を少しの間見上げてから、リーはメルシナ村へ向けて歩き出した。
道の両側に広がる畑は地に沿うような緑で覆われていた。植えられた小麦はこのまま寒さを耐え凌ぎ、暖かくなる頃から育ち始めるのだろう。
もちろん既に自分が来たことに気付いているアディーリアからは、抑えきれない喜びと待ち切れない気持ちが強く伝わってきていた。少し歩を早めながら、いつかここへもラミエを連れてこられれば、とふと思う。
―――昨日、夕食前にラミエが宿の部屋へと来た。
カレナが仕事を代わってくれたと嬉しそうに話したラミエは、満面の笑みでセインの許可を伝えた。
エリアとティナの同行を聞いても渋るセインに、カレナが「リーさんはうちに挨拶しに来てくれたのに、向こうには行かないでいいの?」と援護してくれたらしい。
姉のお陰だと喜ぶラミエは、食堂での周りを気にする様子も、帰り道での薄暗さからの緊張もなく、明るい光の中幸せそうに緩んでいて。
思わず伸ばしかけた手を引っ込めたことは、親友にも言えそうにない。
カレナにはそのあと礼を言ったが、バドックからの帰り道にナバルの店で菓子でも買おうかと思っている。
自分を見つめて綻ぶ笑顔、その面影を暫し思い出し、らしくないなと苦笑して。
先の約束にどこかそわそわと浮かれる気持ちと、今隣にいない寂しさと。想いが通じ合って初めての別離は、今まで何度も経験してきた別れとはやはり違い、とても身近に感じた。
メルシナ村の村長に断りを入れ、池へと向かう。居ても立ってもいられない、そんなアディーリアの浮かれっぷりを嬉しく思いながら、リーは足早に森を抜けた。
「リーっっ!!!」
身構えていても骨身に響くアディーリアの突撃をなんとか受け止め、尻尾をパタパタさせながら擦り寄るその頭を撫でる。
「久し振り」
「来てくれて嬉しい!!」
その小さな手でひしっと服を掴んでくっつくアディーリア。ひとしきり撫でてから、皆に挨拶させてと笑った。
「済まぬな」
アディーリアをぶらさげたまま池の縁へと近付くと、頭を出して待っていてくれたウェルトナックも苦笑う。
「アディーリア。それでは話もできんだろう」
「はぁい」
名残惜しそうにリーから離れ、アディーリアが池に戻った。
ウェルトナックに皆を呼んでもらい、池の縁に七匹の龍が居並ぶ壮観な眺めを前に立つ。
護り龍がいるゆえの、ピンと張った澄んだ空気。変わらぬそれはこちらの背筋を伸ばし、前を向かせてくれるようだった。
ずらりと並ぶ皆を見渡してから、リーは深く頭を下げる。
「請負人組織から、皆様の協力に心からの感謝を。真にありがとうございました」
なんと言えばと悩む自分に、マルクがどうでもいいだろうと言いながら教えてくれた通りの台詞を口にして。
顔を上げてから、改めて皆を見た。
「俺らだけじゃどうしようもなかったから。ホントに助かった。ありがとう」
自分の言葉で告げた礼に、驚いてこちらを見ていた子龍たちがほっと息をつく。
「びっくりしたぁ」
「ホント。何言い出すかと思った」
中でも特に眼をまんまるにしていたアディーリアとカルフシャークがそう言った直後、とぷんとぷんと二匹が相次いで池の中に引っ張り込まれた。
声をあげそうになったリーへと、メルティリアがにっこりと微笑む。
「ごめんなさいね。あとできちんと言っておきますから」
「……お気遣いなく…」
あまり怒られなければと思いつつも、凍りつくような眼差しにそれ以上の言葉を口にすることはできなかった。
すぐに上がってきた二匹はちらりと母の顔を見て、眼が合うとぴゅっとシェルバルクのうしろに隠れた。
思わずウェルトナックを見ると、仕方なさそうに笑われる。
なんとなく家族の力関係を理解したリーは、とりあえず気付いていない振りをすることに決めた。
一連の様子を困り顔で見届けてから、オートヴィリスがリーを見て、すっと前に出る。
「オートヴィリス。こないだはありがとな」
「ううん。実はね、少し前にヤシューエントが来てくれたんだ」
「ヤシューエントが?」
アリュート川に棲む雄の護り龍の名に、リーは驚いてオートヴィリス、そしてウェルトナックを見る。
「そうなの! お礼を言いにきてくれたんだよ」
頷いたウェルトナックが口を開きかけたところで、シェルバルクのうしろからアディーリアが答えた。
「アディーリアたちのこと、探してきてくれたんだって!」
紡ぐ言葉を失ったウェルトナックに苦笑してから、リーはそうかと頷いて。メルティリアが動かぬことを確かめてから、よかったなと二重の意味でホッとする。
「サルフィエールも、自分が行くって言い出すくらい元気になったんだって」
「リーたちにもきれいになった姿を見てもらいたいから、近くに来たら寄ってほしいって言ってたよ」
子である卵の殻を作るなりの水質悪化で、出逢った時にはくすんだ水色の体をしていた番の雌のサルフィエール。恥ずかしそうに己の姿をみっともないと言っていた彼女も、本来の姿はきっと輝くような水の色なのだろう。
嬉しそうに言葉を継ぐカルフシャークとユーディラルに、子龍たちがヤシューエントの来訪を喜んだ様子も伝わって。
「そっか。よかった…」
ヤシューエントがここまで来ようと思うくらい、弱りきっていたサルフィエールも順調に回復しているということ。
彼女がそこまで弱ってしまったのは人の勝手な行いのせい。自分にできることなどほとんどなかったが、それでも役に立てることがあったのなら。少しは人としての贖罪になっただろうかと考える。
彼らにとって人はまだ、護る価値のあるものだと。ともに暮らしていくものだと。
そうであることを願いながら。そのうちアーキスとともに顔を出すことができればと、そう思った。
「ねぇ、リー。フェイ、なんで帰っちゃったの?」
一通り話し終えてから、待っていたようにカルフシャークが尋ねてくる。
「戦い方教えてくれるって約束なのに」
楽しみにしていたのだろう、少しむくれるカルフシャークを順番に話すからと宥めてから、リーはウェルトナックを見上げた。
「百番として依頼してくれたけど、職員になる前に約束してたことだからフェイ自身の対応として扱うって」
フェイへの依頼はカルフシャーク、そしてユーディラルへの戦い方の指導。護り龍であるウェルトナックが教えられない代わりである。
「そうか。気遣い感謝する」
ウェルトナックはそう笑うが、どちらかというと気を遣ったのはウェルトナックの方だ。
組織職員となったフェイは基本許可なく力を使うことはできない。だからこそ依頼という形で本部に許可を求めてくれたのだろう。
こちらの謝意は気取られているのだろう。ウェルトナックは柔和な眼差しのまま続きを促す。
「フェイは夜にドマーノ山に来るから、カルフシャークとユーディラルも暗くなってから来てくれって。場所は…」
「わかるよ。アリュートの隣の地区だよね」
アディーリアと二匹でここを抜け出たことのあるユーディラルは、ある程度の地図は頭に入っているらしい。きょとんとするカルフシャークに、あの時左側に見えてた山だよ、と教えていた。
「期間はふたり次第、終われば一緒に戻る、だってさ」
フェイからの伝言を聞いたウェルトナックは、何かを噛みしめるようにもう一度そうかと呟く。
深い青の眼に浮かぶのは感謝と、子の成長への喜びだった。