兄と運命の出会い Side:菜枝
神堂 菜枝――、それが今のわたしの名前。
少し前は『天笠』という苗字だった。
でも、今は違う。
神堂家の養子に入って、わたしは自身の人生を変えた。
天笠家に少しだけ不満があった。
わたしを認めてくれてない天笠に。
父は特に反対した。
母もどちらかといえば反対だったけれど、結果的にはわたしの意見を尊重してくれた。
姉は……。
姉である天笠 薺は“中立”だった。賛成でもないし、反対でもなかった。
ただ、一言『自分の道は自分で決めなさい』と、凛とした表情で言った。その言葉がキッカケになったと言っても過言ではない。
わたしは、自分で決めたい。
だから――。
墨汁のような雨雲が強い雨を降らした。
ざぁざぁと容赦なく地面を打ちつけて、わたしの体をも蝕む。
「……変な空」
世界すらも、わたしを拒むというの。
それとも、これからの未来を予見しているのか。この先は『絶望』しかないと言いたいの?
神様は、いつも残酷。
なぜ、祝福してくれないの。
なぜ、自由を与えてくださらないの。
『……菜枝、お前にはお見合い相手を決めた。外交官の息子で顔も頭も良い。これで将来は安泰だ』
……違う。
そんなの望んでいない。
知らない他人とお見合いして、半ば強制的に結婚だなんて……絶対にイヤ。
わたしには。
わたしには好きな人がいるのだから。
昔。
小さい頃に会ったあの人に、恋焦がれている。
ずっとこの気持ちは変わらない。
きっと恋人とか、そういう関係にはなれないかもしれない。なら、兄妹なら……。
だから、わたしは神堂家の養子になるんだ。
ようやく見えてきた大きな家。
表札には『神堂』の苗字が刻まれている。
ここが……あの人の家。
ずぶ濡れのまま、わたしは玄関へ。
インターホンを鳴らし、しばらく待った。
カチャッと音がして、ゆっくりと扉が開いた。
「……君か、菜枝ちゃん」
「神堂さん。わたし……ここしか頼れる場所が……なくて」
「君は自分の幸せの為に、多くの犠牲を払ってきたようだね。しかし、それで本当に良いのかな。辛い運命が待ち受けているかもしれないよ」
「覚悟はできています。あの人にわたしの全てを捧げる覚悟が」
神堂のおじさまは、険しい表情から一変して優しい瞳をわたしに向けた。
「まったく、頑固なところは母親似かな」
「お母様を御存知なのですね」
「もちろんだよ。神堂家と天笠家は強い繋がりがある。古い歴史があってね……。それはいい、それよりも風邪を引く」
家に上がらせて貰えた。
でも、わたしは全身が濡れてしまっていた。
ぽたぽたと落ちる雨水の雫。
気づけば、指先まで冷たくなっていた。
震えが止まらない。
「菜枝ちゃん、まずはお風呂へ入るといい」
「ありがとうございます、お義父さん」
「気が早いな、と言いたいところだが、こうなってしまっては仕方あるまい。天笠家には、きちんと伝えておく。天笠は納得はしないだろうが、しばらくの間預かるということにして、それから養子に迎える」
こうして、わたしは天笠の名を捨てた。
後悔は一片たりともない。
ずっと欲しかった憧れが目の前にあるのだから。
* * *
一週間後。
あれから、天笠家の了承も得て、わたしは正式に神堂家の養子となった。
これでもう、わたしを縛るものはない。
兄が住むというアパートへ向かった。
閑静な住宅街にある小さなアパート。
階段をゆっくりと上がっていく。
春の暖かい風が頬を撫でる。
あと少し。
きっともう会える。
扉の前に立とうとした瞬間――。
ゆっくりと扉が開いて、その人が驚いた表情でこちらを見ていた。
「菜枝です。今日からあなたの義妹になるので……『神堂 菜枝』となります。よろしくお願いします」
「…………」
突然の出来事に、きっと驚いている。
神堂 來。
今日から、わたしの兄さんになる大切な人。
ようやく始まった新しい人生。
わたしと兄さんと同棲生活。
兄さんと幸せになりたい。
幸せにしてあげたい。
そして、いつかこの好きという気持ちを打ち明けたい。きっと、いつか――。




