第36話 女心
「さて、そろそろ戻るとするか」
喫茶店を後にしようと奈緒が会計を済ませる。
私もその後に続こうとしたが、女性の店員に呼び止められた。
「綺麗な目をしていらっしゃいますね」
「えっ?」
突然、何を言い出すんだと言葉を失った私は硬直しながら女性の店員と向き合う。
女性から口説かれるような謳い文句を言われるのは初めての経験であり、眼前の女性の店員が幸薄そうな美人であるのも相まって、妙な緊張感が私を支配する。
「よろしければ、またのご来店をお待ちしております」
女性の店員は私に一枚の紙のような物を手渡す。
それをよく見ると、コーヒーの割引きクーポン券と記された物であった。
「ご丁寧にどうも……」
意味深な口説き文句はどうやら一種の営業トークだったようだ。
悲しいかな、前世の男だった部分が反応して悪い気はしなかった。
「君、鼻の下が伸びてるぞ」
奈緒がジト目で私からクーポン券を取り上げる。
どうやら私の心を見透かしているようだ。
「いえ、そんなつもりは……」
私は堪らず顔を擦る仕草をする。
ポーカーフェイスを装って白を切ればよかったのだが、これでは鼻の下が伸びていたのを認めたようなものだ。
「やれやれ、分かり易い性格だな。まあ、嘘がつけないタイプなのは承知していたがね」
昔から嘘をつくのは苦手な性格の私だが、こればかりは死ぬまで治らないだろうと思ったが、ダークエルフに異世界転生しても治らなかった。
次回も同じ条件で異世界転生ができる保証はないが、仮にできてしまったら治っていないだろう。
「まあ、その性格は君の長所でもあるがな。琉緒の前で他の女性に鼻の下を伸ばしたら一気に修羅場へ展開するかもしれないから気を付けた方がいいぞ」
「ええ、肝に銘じます」
私は奈緒の忠告を素直に受け入れる。
今日のデートを最高の思い出にするためにも、私の不注意で壊してしまうのは避けたいところだ。
二人は喫茶店を出ると、あれこれ今日のデートについて不安を覚えている私に奈緒は私の背中を叩いて喝を入れる。
「君のようなタイプは下手に意識してしまうのは悪手かもしれないから、デートを一大イベントと考えずに、いつも通りに過ごせば大丈夫だ」
「いつも通りにですか?」
「デートが始まれば、他の女性より琉緒しか目に見えなくなるものだよ」
そんなものなのかなと私は頷いて答えて見せた。
こういう場合、恋愛経験豊富であろう年上の女性からの忠告は有り難い。
自身がダークエルフの女性になっても、やはり女心を理解するのは難易度が高い。
「奈緒さんの助言を参考に頑張ります。よろしければ、奈緒さんの初デートとかの話を今度聞かせて下さい」
「私の初デート? そんなものないよ」
「えっ?」
「一応、表向きは探偵事務所として生業をしているからね。その経験則から私が導き出したアドバイスだ」
その瞬間、私は激しい後悔に悩まされた。




