第1話 プロローグ
不運な交通事故に遭って二十年が経過した。
事故当初、病院に担ぎ込まれて事故の衝撃で全身を強く打った痛みは意識と共に薄れていき、最期を迎える頃には思考も停止して意識が深淵の闇に墜ちていく感覚だけしかなかった。
何となくだが、これが死なのかと私は受け入れてしまった。
私の魂は虚無に還って、この何となくの感覚も次第になくなるのだろう。
私はその身を委ねていると、一点の小さな光が私に接近して来るのに気付いた。
その光はとても穏やかで温かく、何故だか危険ではないと確信できた。
光は接近するに比例して大きくなり、やがて私を静かに包み込んだ。
そして私の意識は覚醒した。
最初に目に飛び込んで来たのは若い男女のカップルが私を覗き込むように微笑んでいる姿だった。
男女のカップルは美しい銀色の髪に整った顔立ちをした外国人だ。
私は訳が分からず起き上がろうとするが、思うように身体を動かせずに言葉も喋れない。
近くに鏡面台があるのに気付いた私は鏡に映る自身を覗き込んで絶句してしまう。
小さな赤ん坊だ。
しかもよく見ると、自身の耳には特徴的な尖った長耳が生えているではないか。
そして、状況的にこの男女のカップルも特徴的な尖った長耳が生えていることから、この二人は赤ん坊の両親だろう。
(まさか、これが噂の異世界転生ってやつか……)
この瞬間、私は異世界転生してしまったと悟ってしまった。
異世界転生はライトノベルやアニメだけの話かと思っていた。
私は両親と共に二十年を森で過ごして、色々判明したことがある。
どうやら、私は種族が人間ではなくダークエルフらしい。
容姿の特徴は褐色肌、銀髪、尖った長耳で一貫している。
時間の経過と共にダークエルフとして森の営みは慣れていったのだが、一点だけどうしても慣れない点がある。
自身の性別が女であることだ。
二十年が経過して胸は大きくなり、男を惑わす色香も持ち合わせた私はこの時に勇者一行と合流する。
この異世界では魔王による侵略に脅かされており、最近になって勇者が討伐に立ち上がった。
私はダークエルフ固有の技能を買われて勇者一行と共に魔王討伐に参加。
激闘の末、勇者一行は魔王を追い詰めた。
魔王は勇者一行に敵わないと悟り、特殊な魔法を用いてその場から逃亡を図ろうとするが、私はそれを阻止しようと行動に打って出た。
だが、完璧に阻止することはできなかった。
中途半端に魔法が発動してしまい、運悪く私は魔王の魔法である淡い光に包まれてしまった。
私は必死に淡い光から抜け出そうと試みるが、勇者一行も私を助け出そうと懸命に手を伸ばしたり魔法を打ち消そうとするが効果はまるでなかった。
「うわぁぁぁぁ!」
私は完全に淡い光に呑み込まれると、大きく叫んで意識が飛ばされる感覚に陥った。
最初の交通事故と同じ体験をするのだろうかと考えている内に意識は突然現実へ戻される。
淡い光はいつの間にか消え失せて、周囲には勇者一行や魔王の姿はどこにもいない。
「ここはどこだ?」
私は頭を抱えながらゆっくり起き上がる。
魔法でどこか遠くに飛ばされたのかと不安になりながら、早く勇者一行と合流しなければと焦りを覚える。
薄暗い月夜に照らされて、私は近くにあった看板に驚きを隠せなかった。
『お願い。野球やサッカー等のボール遊び禁止』
異世界の言語ではなく日本語だ。
私は看板の他に遊具であるブランコ、シーソー、滑り台があるのに気付いた。
「まさか……戻って来たのか!」
こんなことがあり得るのかと私は狼狽してしまった。
おそらく、ここは公園だろう。
頭の整理が追いつかないでいると、前方から誰かが近付いて来る気配があった。
私は咄嗟に警戒心を最大限にして生い茂った草むらに隠れると、その正体は一人の女性だった。
「君がいなくなった世界は寂しいよ」
独り言のように呟く女性はブランコに乗って夜空を眺め始める。
(この声……どこかで聞き覚えが?)
私は長耳を突き立てて、草むらに隠れながら女性の姿を改めて確認しようとする。
何だか、とても懐かしい声だ。
月夜が女性を照らすと、まるで雷に撃たれたような衝撃が脳内を巡った。
「琉緒ちゃん!」
私は草むらで身を隠していた頭を出して女性の名前を告げると、突然現れた私に驚いた様子で女性はこちらを窺っている。
「貴女は……誰ですか?」
ブランコから立ち上がると、女性は私に対して警戒心を剥き出しにしている。
見知らぬ人物に声を掛けられたのだから、当然の反応だろう。
だが、私は彼女をよく知っている。
「その……信じられないかもしれないけど、俺は交通事故で亡くなった三崎信也だよ」
私は自身の素性を彼女に明かして近寄ろうとする。
彼女の名前は栗山琉緒。
前世で付き合っていた女性だ。
交通事故に遭って二十年の時が経っているが、年齢や容姿が全く変わっていない。
それどころか、当時の女子高生の制服を着用している。
直感で琉緒だと確信した訳だが、お互い困惑しながらも息を呑んで瞳の奥を覗き込む。
次第に琉緒は何かを感じ取ったのか、こちらに歩み寄って両手を握って見せる。
温かい感触が両手から伝わり、不思議と二人の思い出が走馬灯のように蘇る。
「信也君……なのね」
「ああ、そうだよ」
琉緒は私の大きな胸に飛び込むと、私が前世の三崎信也だと確信してくれた。