01. おともだち
皆さんには「幼馴染」という存在はいるだろうか。物心ついた頃からよく遊んだり、あったりするなどずっと一緒にいて、ともに成長してきた、まるで家族のような存在のことを言うはずだ。長い時間を一緒に過ごしたという経験から、相手のことは自然となんでもわかるようになったという人も多いだろう。
でも、益田智にとっては、幼馴染というものが、必ずしも分かりやすいものではなかった。彼には、幼稚園の頃から仲良くしていた幼馴染がいた。それは水島咲子という女の子である。智にとって、咲子との付き合いは10年以上にも及んでいた。しかし、彼女は、彼にとってなんでもわかるというような、明らかな存在では無かったのである。
咲子との出会いがいつだったか、智はハッキリとは覚えていない。家が近く、親同士仲が良かったことがきっかけと言えると思うが、具体的に何年前に出会ったかは分からない。少なくとも幼稚園に上がる頃には、お互いのことをよく知っていたし、いつも一緒に遊んでいた。智が覚えている咲子との最古の記憶といえば、公園で遊んでいた時の思い出であろう。すなばで遊んだり、ゆうぐで遊んだりと、一般的な幼少期と遜色はない。普通の幼稚園児だった。
「ねえサトシ!みてこれ!」
「サキコなにそれ?」
「すなのおしろとぴらみっどだよ!近くにはシマウマさんもつくったの!」
「シマウマはピラミッドのちかくにはいないよ!さばくにいるのはラクダだよ!」
「あ、そうなの?まちがえちゃった...!」
間違えて恥ずかしそうに頭を掻く咲子を見て、智はスコップで砂をバケツに入れながら無邪気に笑った。
公園での時間はかけがえのないもので、楽しい思い出であることは間違い無いのだが、思い返してみると、遊んでいる時に、咲子の母親が突然ベンチから立ち上がり、こちらに歩いてきて咲子の手を引いて帰ってしまう姿が記憶にこびりついていた。
「ごめんね...サトシ」
ほぼ毎回のことで、なんとなく慣れてはきていたが、それでもちょっぴり寂しいといった表情で咲子の顔を覗き込む、智に、彼女は毎回決まってこう言うのだ。
「そろそろぴあののれんしゅうをしないといけないから...」
「うんわかった!あしたはまたあそぼうね。」
智はいつも咲子に心配をかけまいと、かたくなった表情を無理矢理緩めてこう返すようにしていた。
咲子がピアノを習っていることを、智は知っていたし、母に連れられて家に遊びに行くと、よく弾いてくれたから、彼女が遊んだ後に必ずピアノの練習のために帰ることについては、理解をしていた。でも、この頃は、智にとって、「音楽」はさっきまで仲良く遊んでいた咲子を連れ去ってしまう、嫌なやつって感じだった。
小学校に上がると、ふたりの関係にはまた少し変化があった。「勉強」という新しい概念が日常に加わるようになるからだ。
「わっ、サトシまた100てん...!」
小学校1年生の頃のある日の、国語のテスト返却の時、先生からテストを受け取って席に戻った智の後ろの机から、咲子が覗き込んで感心した。小学生の頃の智は成績優秀で、100点を連発していた。
「うん!サキコは?」
智が誇らしげに返事をして聞き返すと、咲子は受け取ったテストを見て、恥ずかしそうに舌を出すと、言った。
「あはは...わたしは42てん だったよ...ぜんぜんだめだった...」
「うわっ、ほんとうだ。サキコ、またひらがな まちがえてるの?」
「...うーん、“は”と“ほ”とか まちがえちゃうんだよね...それにくらべて すごいなあサトシは...、こくご で100てん とれちゃうなんて...」
この時の咲子は、はっきり言ってかなりの“おバカさん”だった。ひらがなの書き取りの時点でつまづいており、そのせいで、他の問題でも原点や三角が多発していた。低学年時の簡単なテストでも42点という悲惨な結果であることを考えれば一目瞭然だろう。咲子は自分が全くできないテストで、完璧な点数をとってしまう智のことを尊敬していた。
「サトシは こくご の てんさい だから、こくご のせんせいになったらいいよ!」
「そうだな...!じゃあオレが国語の先生になったら...咲子が100点とれるように教えてあげるよ!」
「ってそのころには わたし も100てんとれるようになるもん...!」
智からからかわれて、咲子は頬を膨らめて言い返す。
しかし、咲子が智の国語の成績を尊敬しているように、智も咲子のとある側面に対して尊敬の気持ちを向けていた。それは...
「水島さん、素敵な伴奏ね...!ほら、みんなも伴奏に負けないようにしっかり歌うのよ」
彼女のピアノだった。幼稚園の頃は家で聴かせてもらうことしかなかったが、小学校に上がってからは音楽の授業や合唱発表会に向けた練習などで、必ず咲子が伴奏をしていた。智は楽器を弾くことができないから、音楽の授業の時に輝く咲子の様子を見ると、まるで別人を見ているような不思議な感覚に襲われるのだ。幼稚園の頃は咲子を連れ去ってしまう嫌なやつだと感じていたピアノのレッスンが、彼女をこれほどの奏者にしているのだと考えると、なんだか複雑な気分だった。
「ねえ、サキコ」
「なに?」
ある日の帰り道、智は咲子に突然話を切り出した。
「サキコはさ、ピアノが好きなの?」
「うん、すきだよ!...なんで?」
突然の質問に戸惑いながらも咲子が答えると、智は頭を掻きながら答えた。
「いや、だって...ピアノの練習はさ、毎日あって大変だし、その分遊んだりできないでしょ?」
「たしかにたいへんなときもあるけどね...」
智からの返しを聞いて咲子は微笑むと、笑顔で答えた。
「でも、ピアノってひけたらすごくたのしいの。できないとイライラしてもうひきたくないっ!!ってなることもあるけど、それでもひけるようになったときのヤッター!ってきもちのことをかんがえるとつらいれんしゅうもがんばれるの。べんきょうだってそうでしょ?」
「それは...そうだけど、勉強はみんなやってるから俺も頑張ろうって気になるんだ。でもピアノはみんながやってるわけじゃないだろ?」
「たしかにピアノやってる人は少ないけど、...だからこそできるようになりたいなって思うんだよ!みんなができないことができたらカッコイイかなって思って!それに、おんがくはピアノがひけなくてもうたったりするだけでたのしいでしょ?でもだれかがピアノひいたら うたうのだってもっとたのしくなる...!だからわたしはピアノをひくの!みんなでたのしくおんがくをやりたいから!」
咲子の話を聞きながら、智はふと立ち止まった。
「サトシ...?どうしたの?」
話に白熱していた咲子は智が立ち止まったのを見て、不思議に思って尋ねた。
「ごめん、なんでもない。サキコらしいなって思って。」
「え?わたしらしい...?」
智から言われて、咲子は驚いて聞き返した。そんな咲子の反応を見て、智はクスクスと笑った。
「サキコらしいよ...!サキコらしくて安心した...!」
「ええ?どういうこと〜?」
自分の話を聞いて一人で納得した素振りの智を見て、咲子は慌てて理由を尋ねたが、智は満足げな顔で黙って頷いているだけだった。このときの智は、幼馴染である咲子の、唯一自分があまりよく知らない面である、ピアノについて、前より少し分かったような気がして嬉しくなっていたのだ。 (それでも、小学校にあがってからもたびたび遊ぶ時間を奪ってくるピアノの練習のことは好きにはなれなかったが。)
こんなふうに、智と咲子の仲は、概ね良好なまま、小学校での時間はみるみるうちに過ぎていった。
そして、2018年4月、ふたりは中学生になった。
全6話です