91話:オルヴィア・フェミニエール・ラヴィニエ
他視点
王都の視察を切り上げて、私は足早に城へと帰った。
荷が崩れるというアクシデントがあったのだから、王族として事態収拾のため安全圏に移らなければならない。
けれど私が戻ったのはそのためじゃなかった。
「図書館へまいります」
「まぁ、オルヴィアさま。お着替えは?」
「時間が惜しいのです」
私はおつきも置き去りにして王族が所有する図書を納めた部屋へと向かった。
図書は豪華な装丁と彫刻された書架と合わせて調度品のように美しく室内を飾る。
王室に相応しい蔵書量と体裁は、その華美な装飾品としての性質以外にも知識の収蔵という役割も持っていた。
私は図書室に入ると勝手知ったる場所として一人で目指す書架を回る。
「異種族の図鑑、亜人の歴史的観測、大戦鑑…………」
思いつく限りの本を選んで机に積み上げた。
一つ一つが装飾のせいで重く、その上どれも物語のように読みやすい内容ではない。
けれど私は突き動かされるように本を運んだ。
貴族や王族の飾る書籍は華々しい一族の歴史を書き遺した物が主だ。
それ以外はどれほど金をかけたかを物語る宗教関係の伝記。
その当時の流行を取り入れた書籍もあるし、挿絵に名高い画家を起用した博物誌なども存在する。
それらをあさって、私は自分の中に芽生えた恐ろしい可能性を打ち消したかった。
けれど、取り出した本に目を通し終えると、疑念は確信を持ち始める。
「…………異界の悪魔がもたらす大戦は、二百年程度の周期性がある」
これは知識層には知られたことだ。
歴史家という職業があるのだから伝えられる歴史は貴族や王家に伝わっており、過去の出来事から今後考えうる危険を回避する。
「亜人は、異界の悪魔と共に現れる」
これは私の推測だ。
そうと断言する記述はない。
けれど、今では当たり前の亜人も歴史上に忽然と現れている。
全体を俯瞰してみればわかることが、そんなことをしても目の前の問題は解決しないため多くの人間はそんな思考の巡らせ方はしない。
突然知らない亜人が現われても、自分たちの知らないところで今までもいたのだと疑わない。
「エルフは六百年ほど前、ドワーフは九百年ほど。さらに何度となく部族が現われ、五十年前の大戦の折にも知らない部族がドワーフ賢王国と争っている」
ドワーフには部族がある。
それらを纏めて国としたのがドワーフ賢王国の始まりだ。
商取引のついでにドワーフ賢王国でも争いがあったと伝え聞いた話がこの図書館にも残されていた。
その中には、突然現れた部族と争ったという記述がある。
「ドラゴニュートは、千年前。吸血鬼は八百年ほど」
百年から二百年の間に今まで見たこともない亜人が国を作ったと記録があるのだ。
同時に亜人が発見される周期が異界の悪魔が現われたと言われる年代に合致する。
図書の本を読んでいる中で以前合致する気がしたけれど、こうして並べてやはりという確信に変わった。
「では、あの尾の生えた紫の方は…………?」
新たな亜人ではないだろうか?
もしそうなら新たな異界の悪魔が現われたということになるのでは?
「いえ、いいえ。五十年前からいたのかもしれない。だったらその折に現れた亜人が生活を安定させてようやく我が国に至ったとも…………」
もとより亜人とは公の交通がない。
そして我が国は西と南を山脈で囲まれているため、新種の伝達が遅いだけとも思えた。
そう言い訳してみても、嫌な予感がする。
「もし、異界の悪魔がいるなら」
百年から二百年は前例に沿った推測でしかない。
もっと詳しく見れば五十年程度もいたのかもしれない。
けれどすでに過去のことであり、推測しか立てられないのが現状だ。
「継承争いなんて、している場合ではないわ」
異界の悪魔は人類存亡の危機。
そして歴史が語るのだ。
異界の悪魔が現われた時に人間同士で争えば国など簡単に滅びると。
五十年前は救世教の呼びかけでいち早く手を結んだことが、多くの国々の生存に繋がっている。
けれどそれは二百年前に争い合って、異界の悪魔に幾つもの国が滅ぼされたという歴史を大々的に謳ったお蔭。
「では、今は? 五十年前を凌いだ慢心があるのではない?」
五十年しかたっていない今、私たちの知る常識を超えて異界の悪魔が現われていたとして。
世界の存亡の危機であるから手を取り合えと言われて動く国がどれだけいることか。
「少なくとも、王国は動かない。いえ、帝国がいる限り、動けない。それは公国も同じで、共和国などどの国とも足並みを揃えられないのではないかしら?」
自問自答をする中で、頭は別のことを考える。
そう、帝国が覇権を狙っていることだ。
今の故国には抵抗しかできず、帝国の打倒などできる国はもうない。
預言者を擁する神聖連邦が何も手を出さないのは、つまりは異界の悪魔の出現に備えて覇権国家を作ろうとしているのではないだろうか。
それが人間が一丸となって異界の悪魔に対抗する手段になるのは五十年前でわかっているのだから。
「そんなことで滅ぼされる国はたまったものではない。けれど人類という種の保存という命題に対して、我が国の屈辱など些事」
逆に言えば今が好機なのだ。
歴史の転換点に達する前兆を掴んだ。
これを有利に使って発言権を得られれば、帝国に飲み込まれるにしても我が国に一定の裁量権を保持できるかもしれない。
「それにはまず…………」
考えようとすると図書室に誰かが入って来た。
見れば王室所縁の貴族の学者たちだ。
許可を得ての使用であるため私から言うことはない。
もちろん王室の一員である私の姿に学者たちは挨拶を送る。
けれど静寂を求められる場所ということで略式であり、私も気にせず応答をして考えに戻ろうとした。
「やれやれ、また本なんて」
聞こえた呆れを含む声に動きを止める。
「あんなに本を積んでも王位には届かないというのに」
「本を読む暇があるなら刺繍の一つでも刺したほうが将来のためでは?」
「いやいや、あの美貌があれば女子の務めを果たせずとも良いだろう」
「陛下も甘いことだ。あ、いや、聞こえてもまずいか」
一瞬、国を思って巡らせる思考を投げ出しそうになる。
女だから学は必要ない。
国を動かすのは男の役目。
王位継承権もない王族に価値はない。
女の学問など道楽だ。
(そんな陰口聞き飽きた。それでも王族に生まれたからには国を憂うのは責務でしょう。いずれ離れる立場だとしても。知恵を磨くことに意味を求めるのではなく、どう使うかが肝要だとどうして学者がわからないの?)
座してみるだけなんて諦めてはいない。
私は胸の内の思いを耐えて図書室を去る。
今はやらなければいけないことがあるのだから。
そして私の努力に目を止めて協力してくれる者は確かにいるのだから。
私は部屋に戻ってやきもきしていた侍女たちを宥めて着替えを行った。
その後、視察の護衛についていた近衛隊長を呼ぶ。
「私を助けてくださった亜人に見覚えはありますか?」
「いえ、あの場にいた越境商隊が連れてきたのでしょう。初めて見ました」
私はあの紫の方が何処から現れたかさえ知らない。気づけば抱えられていたのだ。
けれど近衛隊長は商隊といたところを見ていたらしい。
「近似した魔物についてなどはごぞんじ?」
「喋って礼を取っていたので、魔物ではないでしょう」
「いえ、知らない種族、場合によっては新種。でしたら似たものから名をつけなければならないでしょう。ドラゴニュートがそうしたように。そうでなければ今回の視察の報告も書けずに困ってしまうのです」
「確かに我々も名称を考えねばなりませんな。しかし新種ではなく、人とドラゴニュートの亜種では?」
近衛隊長はどうやらドラゴニュートと人間の間に生まれたためにあの姿だと思っているようだ。
ありえないとは言えないし、ごく少数ながらそうした報告例はある。
ただし忌避される交わりであり、公に教育を受けるような者は育たない。
あの紫の方は明らかに十分な教育を受けているとわかる様子だった。
それどころ高度な身分制度の上で生活していたようなきらいさえある。
「あの方の作法は一流でした。ドラゴニュートの亜種であったとしても、その身元を確かめれば相応の地位の方である可能性があります」
「確かにまるで騎士のような振る舞いを当たり前にこなしておりましたな」
近衛隊長も問題に気づいたようだ。
騎士は生まれの身分もさることながら、騎士号をいただくまでに高位の者の下で教育を受ける。
時間と手間と金と文化が必要な存在だ。
適当な思い込みで報告を作り、後から高位者であると知るような失礼があってはいけない。
だからこそ私は次の近衛隊長の言葉は予想どおりだった。
「では手の者を差し向けて身元を探りましょう」
「いえ、本当に身分のある方であった場合、あからさまなことは無礼になります。それをするくらいならば正面から招くべきです。そのため、準備が必要かと」
すでに礼は与えたので招くには別の名目が必要となる。
そしてそれは手間であり、本当に異界の悪魔と関連が疑われた場合、招いたとなれば問題にされる。
招くのはあくまで方便だ。
「隊長どの、あなたのご友人のご子息にまた助けてほしいのです」
「あれは好青年。とは言え、殿下のような方が探索者などと親しいと吹聴されるのはどうでしょう」
「いいえ、あの方々は国内でも稀有な実力者。金級を名乗るに相応しい実績もおありですもの。何より近衛隊長のお眼鏡に適うのならば信頼に足ると確信しております」
以前知り合った金級探索者であり、人柄はわかっている。
私を女と侮らず、愛国心も本物であり実力もあるのだ。
近衛隊長にこの話をしたのは巻き込む理由付けと、腕のいい探索者との仲介をしてもらうため。
私は人外と戦う探索者の審美眼からの報告と生の情報をえようと考えていた。
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