81話:神の猟犬
「素晴らしい」
俺は眼前の景色を全身で感じたくて両腕を広げた。
視界の半分を空が支配し、残る半分はさまざまに切り立った青と白の山脈が、見える範囲全てを埋める景色は雄大だった。
木々も生えない森林限界であるのに、なおも山々は高くそびえている。
かつての肉体とは比べようもないほど大きくなった俺より、さらに広大な大地がそこにはあった。
「この度は神御自らご足労いただき感謝の念に堪えません」
そう言って俺の横で土下座をしているのは大地神の大陸にいるNPCだ。
俺を敬っているからこその対応なんだろうが、それではあまりにもったいない。
「スケルトンたちよ、顔を上げよ。そして立て。私は今、満足している」
「はは!」
五人のスケルトンが乾いた音と共に立ちあがる。
俺はこのNPCの要請で大地神の大陸を離れて東西を別つ山脈のただなかにいた。
(古い建築とかも歴史ロマンだけど、こういう大自然の圧倒的なのも嫌いじゃないんだよな。自分の小ささがわかるっていうか、悩んでたことが小さく見えるっていうか。こういう解放感も好きだし、森林の中の埋没感もいいな)
ただ絶対的にこうした高所は訓練などが必要で、人間の肉体だった時に実際行けたためしはない。
けれどグランドレイスという肉体ならぬ体を手に入れた今、なんの準備も装備もなくこうして高い頂に立っていられた。
呼吸が苦しくなるはずが全くなく、寒い上に肌を焼く日差しだが気にする必要がない。
何より一番恐ろしい滑落を心配する必要がないんだ。
気軽にこんな絶景を楽しめるなんて、スケルトンに呼ばれてくるまで気づかなかった。
(難を言えば、グランドレイスの体の感覚が鈍すぎることかな。風とか匂いとかもっと感じられたら感動もひとしおなんだろうけど)
俺は少しくらい感動を分かち合いたくてスケルトンを見る。
ローブで顔を隠した怪しい存在だ。
そのローブの奥では赤く目のようなものが光ってるだけで、残念ながら感動はないらしい。
表情などがないのはゲームの仕様で、港町に人間のふりをして住むエネミーだ。
正体を暴くと襲ってくる上に、倒すと長期間補充されない。
その間倒したスケルトンが担っていた店は閉まり、情報は聞けなかった。
(解決法は商人ジョブが店を開かせるとか、住人増やすとかするんだよな)
そんなスケルトンが山脈の中にいるのは仕事だ。
王国で手に入れた情報の中に、この東西を分ける山脈には越える道があるというものがあった。
単なる噂と流すには、大地神の大陸が見つかる危険性が高いんだ。確認しない手はない。
簡単に言えば俺たちの大地神の大陸は猫のような大陸中央部の山脈にある。
そしてこの山脈、東西に走る部分と南北に走る部分がぶつかっていて、横にしたT字をしていた。
今いるのは南北に走るほうの山脈で、海際では山脈も途切れ東西の往来が可能となっている。
(公国や共和国に行くために東西に走る山脈は歩いたけどだいぶ違うな)
あちらはまだ木々があった。
けれどこちらは岩と雪ばかりで、誰にも穢されていない静けさがある。
「ご満悦だ。道に迷ったとご報告した時にはどうなることかと」
「岩ばかりだが、大地の神として感じるものがあるのだろう」
「さすが神。我らとはものの見方がまるで違う。まさに神の視点をお持ちだ」
「あれを狩りだす間の慰みを考えていたが、どうやら必要ないようだな」
「腹踊りなどせずとも良いと私は最初から言っていただろう」
いや、どうやるんだよ。
スケルトンの腹踊りってなんだ?
いっそ気になるぞ、おい。
ない胸を撫で下ろそうとするスケルトンたちに、俺が声をかけようとした時、地響きが辺りを揺らした。
俺たちがいる峰の前方には比較的開けた場所がある。
先に雪を排除しているため岩場がむき出しになっていた。
「ふむ、今はいいか。スケルトン、お前たちの功績だ。よく見るといい」
俺はスケルトンを側に呼んで峰から岩場を見下ろした。
実はこのスケルトンたち、道に迷って西に抜ける道探しどころではなくなったのだ。
けれどそれ以外の報告も持って転移で戻っている。
その報告された結果が今、山々の折り重なった谷から姿を現した。
四足の巨大生物だ。
体は鱗で覆われ、牙の生えた口は突き出た鼻面と共にある。
あえて似た生物を上げるなら蜥蜴だけれど、大型トラックよりも二回りも大きな体は蜥蜴とは呼ばれない。
「本当にドラゴンだ」
俺は感動と共に思わず呟く。
スケルトンたちもカタカタと音を立てながら頷いていた。
「やはり見たことのないドラゴンでございましょう」
「大きさもそうですが、羽がありませんし色も地味」
「宝珠もなく、我々の知るドラゴンとは別種かと」
「それにずいぶん毛が多いのは寒冷地であるためでしょうか」
「角が額から一本とは、素材としては少々物足りませんな」
ゲームのドラゴンは胸に弱点でもある宝珠があり、レアアイテムだ。
それがないのはスケルトンの言うとおり物足りない。
ウォームドラゴンやスカイウォームドラゴンより大型でデザインも違う。
ボスエネミーで大型ドラゴンもいるが、やはり宝珠がついているのがゲームの仕様だ。
「この世界の、ドラゴンか」
スケルトンの迷子報告と一緒にされた報告に興味を持ち見に来たのだ。
そして俺一人が報告を受けたわけではない。
「そりゃー! へへん! あたしが一番乗りー!」
ダークドワーフのティダが、褐色の腕で戦斧を振り回してドラゴンを追い立ててきた。
そこに槍のような杖を持つアルブムルナと自前の羽根で飛ぶイブも追いついてくる。
「一番だからっていいことじゃないぞ、ティダ!」
「追い込むなら足並みを揃えなさい!」
さらにスタファとグランディオン、そしてチェルヴァが速足程度の速度で追いついてきた。
「ちょっと、落ち着きなさい。グランディオン」
「ぐるるぅ…………」
「はぁ、猟犬の真似事よりもましかと思えば犬の世話だなんて」
興奮して狼男になろうとするグランディオンを、スタファとチェルヴァの二人が止めて連れてきている。
はた目には美女二人が赤ずきんの美少女を抱えるような形だ。
「駆け回られても邪魔にしかなりませんので。司祭どのと女神さまは彼をよろしく」
そう言って無手の黒づくめ、ネフが横を走り去る。
ただし、足は遅い。
こいつは耐久型だから防御極振りで本来敵を追い回すようなステータスじゃないんだよな。
そして後ろから来たリザードマンの騎士ヴェノスが追い抜いていく。
「さて、いやしくも竜を名乗るのでしたら少しはましな抵抗を見せなさい」
「黙れ! ぐぬぅ、貴様ら何者だ!?」
どうやらこちらのドラゴンは喋るらしい。
しかも結構流暢だ。
エリアボスに囲まれてもまだ尻尾での薙ぎ払いやブレスで抵抗を続けている。
「いや、その卑しい尻尾! あの蛇どもの眷属か!?」
「おや、私の縁類を知っていますか。ですが、私は蛇ではなくリザードマンです」
そう言ってヴェノスが槍を突き出した。
けれど当たらず、アーツも不発に終わる。
首を傾げてもう一度構えるヴェノスに、ティダが前に出てドラゴンの尾による薙ぎ払いを払いのけた。
「もう! ヴェノス、調子悪いなら後ろにいてって言ったのに!」
「あなたも下がりなさいよ、アルブムルナ」
「魔法職だからって後ろでばっかりいられるか!」
イブとアルブムルナがティダと一緒に飛び出す。
狙いはドラゴンの足のようだ。
ティダの戦斧が鱗を打ち砕き、イブの魔剣がその下の肉を裂く。
そしてアルブムルナの杖術が、ドラゴンの骨を折った音がした。
「ふむ、アルブムルナでも効くか」
即死ではないしエリアボスへの攻撃に当たり判定が出る。
つまりこのドラゴンはゲームでのLv.50以上は堅いわけだ。
それでも物理的な攻撃力が一番低いアルブムルナの物理攻撃も通じるのだから、レベル差は存在する。
(鱗剥いで防御力低下を考えても、Lv.60前後ってところか)
そのレベルでは魔法なしのアルブムルナ一人だと殺しきれない。
けれどエリアボスが揃った状態なら敵ではない。
「ヴェノスの動きが悪いのは負傷でもしたか?」
「神よ、寒さのせいかと」
一人のスケルトンが俺の疑問に答えると、他のスケルトンも話し出した。
「神には微風、我らもさして感じることもありません。けれど他の生者はそうもいきますまい」
「なるほど、リザードマンは寒さに弱いのか」
爬虫類は変温動物で、蜥蜴もそうだ。
そういう設定をわざわざ付けた覚えはないけれど、何処かで思っていたら適用なのだろうか。
ゲームでは寒さ暑さでのバッドステータスがある。
スタファが管轄する大地神の大陸の白い山脈は徒歩で越えようとすると時間で体力削って強制帰還させられる仕様だ。
対策をしてもスタファたちサイクロプスが襲うのでやはり死ぬんだが。
「まぁ、いい。それでは俺も…………。美味しいところだけを貰うのは悪い気がするな」
「いえ、神のための供物。エリアボスも自らを猟犬とおっしゃっていたではないですか」
「狩っていただかねばいつまでも終わらぬでしょう」
「その後にお働きにお言葉さえいただければ猟犬は報われましょう」
スケルトンたちが口々に急かすので、俺は峰から飛び降りる。
これは最近気づいたことだが、レイスって浮いてるんだよ。
実は俺も浮いてた。うん、気づていたけどね。人間らしく歩くの大変だし。
ただそのせいでこうして高いところから降りても紙が舞い落ちるようなソフト感。
そうして舞い降りる俺を見上げ、ドラゴンが牙の並んだ口をぽっかり開けて硬直していた。
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