50話:ルージス・シュクセサール・ソヴァーリス
他視点
「殿下、ルージス殿下」
外交官をやっている子爵が足早にやって来て、礼節を脇に退けて私を呼ぶ。
ここは王国の王宮であり、年月と富で飾った回廊の一画。
そんな優雅な空間にあって子爵の渋面はそぐわない。
第一王子として父の執政の一部を手伝う私は、会議のために執務室からの移動途中だった。
周囲には私を補佐する者たちがおり、子爵の険しい表情に警戒感を抱く者もいるようだ。
だが、私には一つ思い当たる節がある。
「子爵、もしや公国での異変について何かわかったか?」
「ご明察でございます」
公国で異変があったという第一報は、商人たちを伝って届いた。
我が国との間には帝国についた小王国があるせいで公の人の行き来が難しい中、真偽の確認に時間がかかっていたのだが。
「面会を取りつける時間も惜しいか…………では、人が来ないよう見張りを」
私は側近に指示して子爵と端へ寄る。
すると話が漏れないように残った側近が壁になった。
情報は力だ。
これで効果的な対応を取れれば王宮での発言権が強まる。
(まさかとは思うが最近の陛下と王妃殿下の対応は目に余る。警戒してしすぎることはないだろうが)
権力者につきものの継承権争いが王国でも生じてしまった。
まさか嫡男として育った私が、争わねばならないとは。
けれど現実問題、父である陛下の周辺から弟であるアジュールを愛顧しているとの声は止むどころか強まっている。
すでに成年となっている私を立太子させない理由は、アジュールに継がせたいと思っているからだと。
(陛下も一人の人間。私も幼少から可愛い子供ではなかった。親の愛情を欲しがる年齢でもなし、贔屓や偏りがあってもいい。だが、無理にことを曲げてでも押し通すなどおかしい)
アジュールは第三王子であり、間にフラウスという第二王子がいる。
私を排除したところで一番健勝な肉体を持ち、軍部に顔の利くフラウスを退ける理由などない。
私、フラウスと押しのけて王位に座るなど禍根を残すだけの無法だ。
だというのにアジュール周辺では私と争う姿勢が顕著になっている。
しかもそれを父母である国王と王妃が後押ししているきらいさえあるのだから度し難い。
相手にして争いを事実とされるのは問題があるとはいえ、危機感がないわけではないのだ。
だから公国関連で一手、それくらいの気持ちだった。
「…………巨人です」
子爵が重々しく告げる埒外の言葉に、私は言葉失った。
側近たちも耳を疑っているようなざわめきが走る。
それに気づいて子爵はもう一度言い直した。
「公国で巨人が暴れたそうです。山が一つ消し飛んだとか」
「まさか…………」
自分でも腹が立つほど意味のない言葉が漏れる。
そんな無能を晒して目の前の子爵に愛想を尽かされれば力を弱めるだけだ。
けれど誰も私を侮った様子はない。
きっと同じ気持ちだったのだろう。
子爵も理解を示すように頷く。
「私も何度も確認しました。手の者も公都に行くまで推測の域を出ないと報告を遅らせた上での結果です」
「つまり、本当に山が消えていたのだな?」
「はい。山の民が他の者を寄せ付けない地でしたので死者はおらず。ただ揺れで負傷者や建物への被害はあったと」
「公国でも、巨人だと?」
私の頭に浮かぶのは、最近齎された王国内部での巨人目撃の報。
持ち帰ったのは南部国境への視察を押しつけられた英雄ヴァン・クールだ。
「ヴァン・クールの報告でも死傷者はなかったはずだな?」
私の確認に秘書官が応じる。
「ございません。どころか危ういところを巨人に助けられたと。国境の砦の者が近づかなければ巨人も害はなさないと、巨人の信奉者が言っていたとか」
秘書官の言葉に今度は子爵が感情を隠せない様子になった。
「巨人伝説はあっても、この王国に山の民がいたなどとは聞いたことがない。なので報告は疑わしいと思っていましたが、もしや何か巨人の間で異変が生じているのでしょうか?」
「そう、怪しい。ヴァン・クールが戦場から遠ざけられ、せめて中央に早く戻るべく自ら馬を駆って報告したのはわかる。だが、何故その後英雄と言われた剛の者が巨人探索を上げなかった?」
ヴァン・クールは臆病者ではない。
その上帝国に怨みがあり、それでも国を守るために戦うと言う前提は押さえていた傑物。
なのに巨人を相手にする姿勢は最初からなかった。
(フラウスと交友があるため、打ち合わせた末に巨人討伐をだしに担ぎ出すつもりかとも思ったが)
そのために中央に残ろうとしているのではないかと疑ったものの、やっていることは訓練と巨人の文献調べだけ。
こちらも独自に人をやって南の国境は調べてある。
異様な霧と、砦から出たために死者となって戻った警備兵、正体不明の魔物の声など異変が起きているのは確かだった。
(好意的に見れば不安材料を考えての慎重姿勢ともとれるが)
だが権力闘争に楽観など首縄でしかない。
最悪を考えるべきだ。
(今最悪はなんだ? 実は山の民が連携して巨人を操り世界制覇? はは、さすがに妄想が過ぎるか)
巨人も脅威だが、私が考えなければいけないことはそこから波及してどれだけ有利に継承権争いなどという馬鹿な夢を打ち砕くかだ。
「帝国がこれを機に公国への侵攻を進めると思うか?」
私の問いに緊張が走る。
「公国にも名の知れた官はいますが、元より帝国は公国に住みつく巨人を警戒して侵攻を鈍らせております。それが暴れたとなれば余計に手出しは控えるのでは?」
「いや、申し訳ない。一つ報告漏れがございます」
側近の意見に、子爵が割って入った。
「実は消えた山のあった場所には、尋常ではない量の血が残されていたそうなのです。けれど巨人は忽然と消え、死体はなく、山の民も混乱していました。大公も状況を把握しておらず、公国では未だ混乱が続いていると」
「何…………? それはつまり、巨人の血か?」
「公国では、巨人同士で争ったとの噂が流れていたそうです」
「それよりも、公国の巨人は何処に消えたのだ?」
「山の民ならば何か知っているかもしれませんが、鋭意調査中でして」
つまり、今重要なことは、帝国への抑止力がなくなったということだ。
それは巨人の生死には関係ない。
山が消し飛び巨人のものとしか思えない量の血が見つかっているならば、公国の巨人が動けない状況にあると見るのは自明だった。
これは考えるよりも面倒な状況と言える。
帝国は国土を維持するために動き続ける必要があり、併呑した土地の者を兵士として教育、さらに国土を広げて戦費や広げた土地の維持に回しているという国だ。
(あそこは戦争をやめられない国だというのに)
国内の不満を戦争というはけ口に流して戦意に変える。
王国よりも面倒な継承権争いの火種もあり、すでに帝国内部では公国侵攻を求める声が上がっていることだろう。
最も脅威とされた存在を懸念する必要がないとなれば、公国は帝国の物量に潰される程度の国力。
公国の二枚看板と謳われた将軍と宰相が守っていても、兵糧の問題で一年もたないのではないか。
皇帝の体調が思わしくないと我が国にも聞こえるほどだ。
継承権争いに参加したい帝国の者にとって、公国はもはや目の前にぶら下げられたニンジンに等しい。
「公国が落ちてからでは遅いな」
「小王国のような手は余裕があるからこそ有効でしょう」
「子爵、それは弱腰とそしりを受ける」
秘書官が子爵の言葉を嗜めるが、内心は私も子爵に同意していた。
共和国が立ってすぐさま帝国の足元に這い寄った東の小王国。
共和国という未知を仮想敵として、帝国に飲み込まれることを回避しつつ大きな傘の下に身を置いた処世術は、卑しくも機を見るに敏と言えた。
(公国というもう一つの敵があるからこそ、我が国が条件を持ち出して帝国に与する利もある。だが公国がすでに死に体ならばより悪い)
周辺はすでに押さえられた後であり、公国が倒れれば今隣接する国境で攻めやすいのは我が国のみ。
戦功を立て目立ちたい帝位の継承者たちは目の色を変えて襲いかかってくるだろう。
「まずは国内だ。本当に巨人がいるのならば公国同様抑止力に使えるかもしれない」
「巨人など災害でしかない存在です。そのお考えは危険では?」
「もちろん。だが、いると確定すれば巨人と対話など必要ない。そこにいるだけでいい。その情報を帝国に流すだけであちらの動きを牽制できるのだ」
伝説に謳われるジャイアントキリングはあくまで伝説だ。
山のような生き物をどうやって人間が殺せると言うのか。
英雄と呼ばれる人物も伝説にはいるが、我が国の英雄どのにできるとは思えない。
(英雄ヴァン・クール。戦いは巧くともただの人だ)
あえて夢物語を実現しようとする探索者なる存在もいるが、少し役立つくらいの暴力集団だ。
探索者ギルドという元締めが比較的まともなだけ、社会に受け入れられているに過ぎない。
とは言え、力があることに変わりはない。
国を挙げての巨人調査前に、探索者で様子見をしてもいいだろう。
それか巨人に関する目撃情報を手の者に探らせるのが先か。
「…………殿下」
見張りに立っていたはずの者が近寄って来た。
「ホージョーがこちらに」
「あの女狐か。…………よし、会議には遅れると伝達を。私は陛下にこのことをお伝えする」
最初が肝心だ。
同時にこちらに来ると言うホージョーを回避しなければならない。
貴族の愛妾で元娼婦。
異国人らしく妙な名前と服装で、伝来の品として自慢する宝飾品は確かな物だった。
だがどれほど素晴らしい容姿や宝を持っていようと、人目を集めるだけの得体のしれない妖婦だ。
(母までサロンに呼び寄せようとしていると聞く。目新しい物に興味を引かれるのは良いが、王妃としての品位を保ってくれ)
私は心中でぼやきながら父の執務室へと向かった。
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