35話:ブラッドリィ
他視点
(なんなのだ!? 神とはなんだ!? 巨人か!? 何故奥の手があることを知っている!? 教皇猊下よりたまわったあれは伝説の品だぞ!)
空飛ぶガレー船などという非現実的な物から落とされながら思考が目まぐるしくなる。
見たことのない化け物の群ればかりで、知っているのも脅威度の高いナイトデビルが複数体という非常識。
だがこれが神聖連邦七徳の私を狙ったものであれば異常なまでの状況も悔しいが納得できた。
「…………ぐぅ、いや、今は身を! 身を守れぇぇええ!」
混乱を押さえ込んで叫ぶと同時に、最大出力で熟練度の高い風の魔法を地面があるだろう方向に向けて放った。
瞬間、枝が折れる音と共に巻き上がる枝葉。
痛みはあるが少しでも落下の衝撃を緩和するために魔法を捻り出し続けた。
「…………!? ぅぅ、ぐぅ」
激しい衝撃と共に、私は何度も方向を見失いながら地面に叩きつけられる。
どうやら木の枝にぶつかり、衝撃が和らいだことで生きて着地が叶ったようだ。
(いったい何処から私の正体が漏れた? まさかヴァン・クールは私を引きつける餌だったとでもいうのか?)
巨人と王国が組んでいたなどという話は聞かない。
この周辺は人が少ない上に国境地帯なので逃走経路として長期間の偵察と根城の維持はしていた。
(巨人が動き出したならこの異常な霧も地形の変化によるものとわかる。だが、あの言葉を操る化け物はなんだ? ありえないほどの力と世界の常識を覆す悪魔的な…………)
そう考えて、一つの答えがひらめいた。
異界の悪魔。
それは突如として世界に現れる災厄。
こことは別の理を持つ異界から現れると言う、常識の違う者たち。
「早い、早すぎる。いや、私のことを知っていたなら、まさか五十年前の残党? あの大戦を凌ぎ、雌伏していたと言うのか?」
五十年前、諜報機関最高戦力の七徳さえ知らされていない神聖連邦秘匿の預言者によって神の啓示が下された。
『悪魔が来たりて笛を吹く』と。
そしてそのとおり、異界の悪魔が突如として現れ、開戦の笛を高らかに鳴らした。
(奴らは好戦的で自尊心が強く、我欲に忠実。五十年前の戦争で功名心で次々と湧いて出ていたと聞いたが、まさか雌伏する能のある者がいたと?)
悪魔と呼ばれるだけあって、異界から現れた者たちは私たちの常識を逸脱する能力と技術を保持しているという。
例えば、あの空飛ぶガレー船のように。
(だが…………多すぎる!)
五十年前に確認された異界の悪魔については大記録庫にあった。
倒された十一人の悪魔はその数が少ないと懸念され、潜伏についても付記されている。
五十年前当時から、百五十年前に現れた異界の悪魔が八十人以上確認されていることは知られていたのだ。
だから隠れ潜む存在を疑う記録を私は見て知っていた。
(だが、だが! 戦斧を操るあの者たちですでに百を越えた。さらにはガレー船の上にも相当数! 八十人以上で類を見ない多数の悪魔とあったのにもかかわらず!)
いや、今は驚愕に打ちのめされている時ではない。
なんとしてもこの情報を伝えなければ。
人類のために、世界のために!
私は周囲でも呻きや枯れた声で恐怖の叫びを上げる者の存在を知覚する。
視界が暗いのは、どうやら硬く目をつぶっていたせいらしい。
ずれた仮面を直しつつなんとか辺りを見回した。
「あ、あの…………大丈夫ですか?」
赤い頭巾を揺らして、少女が一人森の中を小走りに駆け寄って来ていた。
金色のおさげが頭巾から零れ、スカートらしい布地は白く汚れはないため文明を感じる。
ただ、揺れる金色の尻尾と野蛮さを感じる裸足には辟易した。
「け、怪我してますよね? 助けたほうがいいのかな…………ど、どしよう?」
おどおどした少女は、ひとを真似て二足歩行をする獣のようなライカンスロープとは違う。
そしてライカンスロープは人間に変じるなら完全に人間になるはずだ。
知らず入り込んで血肉を貪る悪鬼のような性根の生き物であり、私も何度か潜り込んでいたライカンスロープを邪教の儀式を模して駆除したことがある。
幼い見た目と言動から考えると、もしかしたらライカンスロープも未熟だと人間を真似るのが下手なのかもしれない。
どちらにしても卑しい獣風情だ。
だが、こいつ一体ならどうとでもなる。
今は上空の強敵を警戒しなければいけない。
「皆、状況を報せよ」
私の指示で動ける者が寄って来る。
「負傷者多数。すでにこと切れている者は船上で手ひどく甚振られた者たちです」
「十人ほどが死体になっています。総数としては三十人ほど足りません」
死体がないのは最初の暗闇の中で減った者だろう。
戦斧を持った黒い肌の子供も恐ろしい相手だった。
私たちの不審の目を受けて赤い頭巾の少女は怯えた様子を見せる。
だが人がいいのか私たちを置いて立ち去ることもできないらしくその場で何度も足踏みをしていた。
私はハンドサインで指示を出しつつ、赤い頭巾の少女に話しかける。
部下に出したのは周囲の警戒と頭上の警戒だ。
「答えろ。ここは何処だ?」
「封印された神の地です」
訳の分からないことを言うが、今までの様子と違いはっきりと答えた。
そして頭巾に隠れた目と正面から見合う。
瞬間気づく、こいつはまずいと。
その目は邪教集団を謳う『血塗れ団』でもそうそういない、本物の、信仰がある。
どんな摂理よりも、神の絶対を盲信する者の怪しい輝き。
こいつは、狂信者だ!
「総員、戦闘態勢!」
私の号令に警戒を隠していた部下たちが一斉に武器を構えて赤い頭巾の少女を狙う。
叩きつける殺気に目を瞠るけれど、その様子はあまりにも普通すぎる驚き方だ。
「あ、もう大丈夫ですか? だったら、僕も、行きますね」
少女が軽く両手を打ち鳴らす。
瞬間、私たちを囲む動物の群れが現われた。
いや、群れなどではない。
火を噴く狼の横には、鋼のような毛皮を持つ鹿が並び、頭上の木には尋常ではない発達をした肩を持つ猿や、爪と牙が異様に長い大型猫がいた。
影から黒豹が湧き出たかと思うと、黒雲でできた鬣から雷電を光らせる獅子が躍り出る。
液体状になる虎がいて、見上げるほどの狸がいた。
「なんだ、こいつらは…………」
「森に棲む、僕の下僕です。い、いつもは神に与えられた森を傷つけないように言ってるんですけど、今日は特別です」
強い仲間に囲まれ調子に乗ったか、簡単に答えを示唆する。
ジョブがわかれば対処可能だ。
明確な上下関係、種々雑多だが一種類ずつの下僕、こいつは調教の能力を持つテイマーだ。
「皆凌げ! 活路を見出すのだ!」
言葉ではそう言いつつ、私は特定の部下へハンドサインを送る。
指示は、テイマーを殺せ。
テイマー自身に戦闘能力はほぼない。
そしてテイマーが死ねば操られていた魔獣たちは統率を失い、一時的な混乱に陥って攻撃行動には出ない。
(幼い癖にそのジョブに辿り着いた研鑽、これだけの凶悪な魔獣を従えた運は誉めてやろう。だが、もっとジョブは隠すべきだったな)
ジョブとは明確な能力の適性であり、そこを潰されると途端に無力化する紙一重の研鑽であるのだ。
「敵を近づけるな! 一撃でも受ければ終わりだぞ!」
消極的なことをあえて口にするのは、我々『血塗れ団』が使う手口だ。
こうして押されているふりで相手を増長させ誘い込む。
何人もの敵がこれで葬られた。
テイマーの少女から魔獣を引き離すのが最初の目標。
押していると勘違いさせてテイマーの守りを薄くさせる狙いだ。
そこに隠密行動のできる狩人や密偵などのジョブを持つ者たちを嗾ける。
「今だ!」
私は少女に殺到する刃のきらめきを見定めて魔法を放つ。
場合によっては部下を巻き込むが、ここで確実に仕留めなければならない。
あの狂信者の目をしていたならば、決して諦めない。
損得や己の命など関係ないのが狂った生き物の厄介さだ。
「…………なん、だと? なぜ、何故傷一つついていない!?」
届いたはずの刃は折れ、私の魔法は掻き消えた。
Lv.3なら十分な殺傷能力の魔法であり、熟練度も十で外すことも不発であることもない。
なのに、何故!?
「えっと、攻撃力足りませんよ?」
「何を言っているんだ!? この化け物!」
「ありえない! クソ! 尻尾丸出しの半端者が!」
新たな得物を構えて襲いかかる部下が、次の瞬間三つに割れた。
いや、切り裂かれて、いたはずの場所には血煙しか残らなかった。
「え…………?」
自分でも間抜けな声が漏れるが、あまりに異常な光景に言葉もない。
幼く華奢な少女の片腕が、黄金の毛に覆われた凶悪な太さの剛腕に変わっているのだ。
「ぼ、僕だって…………僕だって! ちゃんと変身しないと、尻尾隠さないといけないのわかってるのに! できない、できないんだ! 恥ずかしいのに、こんなんじゃいけないのに、けど、できないんだもん!」
甲高い声で駄々をこねるように叫ぶ。
けれどその姿は見る間に膨れ上がり、羞恥と怒りに染まっていた少女の顔が歪んで獣へと変貌していく。
「上手く騙せない! 僕はできない! できること、やらないと! 神に、神に捧げて! 僕に、できる、こと!」
狂ったように叫ぶ声には心胆を寒からしめる咆哮が混じる。
それは血に飢えた獣の声であり、幼げな言葉に潜む残虐さだった。
「噛み千切る! 引き裂く! へし折る! 引きずり出す! 神よ! ご覧ください! 血の贖いを! 肉の彩りを! 殺して殺して殺して殺して殺しつくします!」
いっそ笑うような声で少女であった化け物が叫ぶ。
そこには金色の体毛を持つ狼がいた。
ライカンスロープという獣たちは見たことがある。
けれど目の前の黄金の獣は見たことがないほどたくましく、そして残忍な気配を漂わせていた。
そして気づけば、私たちに迫っていた魔獣たちは逃げ散っている。
恐れているのだ、本能が走らせたのだ、凄惨な獣が顕現したことに。
「…………にげ…………にげろぉぉぉおお!」
私はそう叫ぶのが精いっぱいだった。
叫ぶ間に黄金の獣の牙で肩周りだけ残して頭を失くす者が出る。
踏み込んだ一撃で足の爪に皮膚を割かれ、押しつぶされ血反吐を吐くだけの肉になる者がいる。
私は爛々とした獣の視線を振り切るように走り出すことしかできなかった。
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