314話:七徳の謙譲
他視点
大地神が突然現われた。
神聖連邦が建国して以来、盤石の態勢を敷いていた監視も防御も意味をなさないまま。
本拠地だからこそ堅牢な備えをしていたはずが、準備さえままならず何一つ機能しなかった。
大地神の到来は、預言でしか捉えられなかったのだ。
だがその預言も直前も直前で、揃って会議をしていたからこそ駆けつけることだけはできた形。
さらには預言の力を利用してこちらを攪乱するという、凡そ人知を越えた策謀を披露してみせ、その上で隙を突いて忽然と現れた。
まさしく神と呼ぶにふさわしく、人間の浅知恵を嗤うような所業。
「ドラゴンに乗って帰って行くとか、本当に演出染みてるわ」
「ドラゴンもパッと現れたけど、召喚みたいなエネミーのスキルか?」
「同族呼び出すのはいたが、どう見てもドラゴンいなかっただろ」
異界の英雄たちが言うとおり、大地神とその配下は呼び出したドラゴンに乗って去った。
侵入経路もわからない奇襲から、ドラゴンを呼び出し悠々と去る。
あまりにも実力差、戦力差を見せつけるやり方だ。
「とんでもない策士だな」
どさりと音を立てて忍耐が座り込んで言った。
その顔色は土気色だ。
思えば重傷を負い、そこから突然の回復の上、あの恐ろしい大地神の死角を狙うという酷い緊張の中にいたのだから、仕方ないだろう。
「惜しいと言いながら、こちらの戦意をことごとくへし折った。あれは神という別種の存在故の傲慢だろうか?」
慈悲は言いながら、もう動かない金髪の巨人へと向かって礼をする。
「勇ましき戦士の遺骸を晒すのは忍びない。骸布を用意するので、覆うのを手伝ってはいただけないか? 白き方」
「あぁ、あぁ、もちろんだとも」
白き方は大地神が去ってから、仲間の遺体の前に膝を突いていた。
その身は激戦を物語るようにぼろぼろだ。
本当なら遺骸は屋根の下に運ぶべきだが、こちらも建造物が損傷している。
それでもせめて、野ざらしにだけはすまいという慈悲の名に恥じない気遣いだ。
ただその慈悲も、無理をして立っていることがわかる姿。
話に聞いたダークドワーフだろう少女は、投げ斧という武器をあえて手にしたまま慈悲と戦っていた。
速度で負け、技巧で負け、力でさえも慈悲が負けていたのは私も見ている。
それでも生きて足止めできたのは、ただただ、相手がこちらを殺さないよう大地神に命じられていたからだ。
「あ、あぁ、うぅ…………」
「勤勉、呼吸を保て。恐怖に呑まれるな」
叫び出しそうな口を覆う勤勉に、枢機卿が厳しく声をかけて正気を保つよう叱咤する。
戦闘の緊張が解けて、大地神から受けた精神的な衝撃がぶり返したのだろう。
私も、心の中の恐怖に目を向けそうになって胃の腑が重く感じた。
だが、忍耐に言われた考えるなという言葉を自分に言い聞かせて正気を保つ。
あれは駄目だ。
強さでは覆せない、根源的恐怖を呼ぶ大地神。
違うものだと見てわかる、心で知れる存在。
だからこそ、自らでも手を入れられない心で感じた恐怖がぬぐえない。
もう一度挑む、あの存在の前に立つと思うと、私でも挫けそうだった。
それでも歯を食いしばって今もここに立っているのは、信仰という自身の心にある柱があるお蔭だ。
あんな者が神であるはずがないという、人々を守る使命があるのだという確信。
それこそが今いる理由だと、自らを決定づける存在意義が私を支えている。
「なんで、どうして平気なんです? 枢機卿、私が、弱いのですか?」
「平気ではない。ただ耐えるのみだ。だが、それも異界の英雄は違うようだがな」
弱音を吐く勤勉に、枢機卿が言うと、異界の英雄たちは顔を見合わせた。
「まぁ、他の神もあんなのだったし。姿自体は怖くないかな」
「うわ、動いてる。とは思ったけど、そこまではな」
「俺たちは情報社会で育ったからだろ。想像の範囲内だっただけだ」
なんでもないことのようにおっしゃる。
その上で、この方たちは異界で四大神の内三柱を倒したからこその余裕らしい。
いや、一時的に弱めるだけで、完全に消し去ることはできなかった?
何やら復活するとかなんとか?
…………やめよう、心が挫けそうだ。
「被害状況も気になる。だがその前に、覚えている内に情報を交換したい」
フルートリスさまがおっしゃると、枢機卿が応じる。
基本的な指示は慈悲が請け負い、勤勉は思い出さないようにあえて教皇猊下のほうへ安否確認と報告に向かった。
我々の動きに、白き方も応じてくれる。
「我が同胞を殺したあの魔法、知らないと言ったな? 地属性の第十魔法に似ていたが?」
「見たことあるならわかるでしょう? エフェクト、効果が私たちが使うよりもずっと強くなってるの。きっと神特有のエフェクト。だから私たちより強力なんだわ」
アンナさまに、他二人も頷く。
続いてプライスさまが思い出すように広場を眺めておっしゃる。
「それと配下のエネミーだな。一人はドワーフが言ってたダークドワーフ、一人はドラゴニュートが言ってたリザードマン。あの飛んでた奴はなんか見覚えあったな」
「イブだよ。海上砦のボスだ。あれが配下ってことは、やっぱり大地神の大陸に関わるダンジョンだったんだろうな。海神の所みたいに、灰海をクリアしないといけないみたいな」
フルートリスさまがいうには、大地神に並ぶ海の神にも、そのような順序があったとか。
海神の封印された地に行くために、ダンジョンをクリアしなければいけない。
そして異界でも、海上砦というダンジョンはボスを倒してもクリアにはならなかったという。
「後は狼男と白い蛙と、黒い顔隠した奴、白い司祭に、大角のエルフと黒いエルフ。戦い方からして白黒エルフは二体一組だろうな」
プライスさまの推測に、実際戦った私も頷く。
アンナさまは手にした強力な武器を見下ろして呟いた。
「ボスなら私たち三人でかかれば確実に倒せる。けど、配下がいるとまた違うでしょうね」
ここにはボスと呼ばれる強力な個体だけが来ていた。
けれどダンジョンなどの持ち場では配下がいることもあり、レベルの高いダンジョンほど、その場所で生じる特殊技能がある。
「神使も控えている。その気になれば、あちらは破壊の限りを尽くせる。であるなら、その気にさせないよう、今は従う素振りで、こちらも戦力を…………」
白き方が言いかける間に、枢機卿が呻く。
その姿はすでに、会議室でも見ていた。
「そんな、馬鹿な…………すでに大地神は、そこまで? なんと言うことだ、たった一年足止めをされた、目を暗まされた。それがこれほどの結果になるなど、いったい誰が思い描ける?」
何やら衝撃的な預言を受けたのは私たちでもわかるが、不穏な言葉に詳細を問うことが躊躇われる。
ただ白き方は同胞を失くした悲嘆の淵にあっても冷静だった。
「何を見た?」
「…………近く、王国、帝国、元共和国で三カ国同盟が結ばれる。ひと月もすれば、議長国とライカンスロープ帝国が同盟を結ぶ。そして、三カ国同盟に合流。その際、エルフの国も同盟に名を連ねることになる」
枢機卿は幾つもの場面を目にし、その場面の中で得られる情報を整理してどういう状況であるかを言葉にするという。
「ひと月の後となると、もうすでに議長国は…………」
私の口から漏れる言葉に、他も状況を察して表情を険しくする。
元共和国を平定するための誘いに、議長国は動かなかった。
保身の強い国だからと思ったが、すでにライカンスロープ帝国と結ぶ密約でもあったのだろう。
その上で、ライカンスロープ帝国はすでに大地神の手に落ちているという情報が聖蛇からもたらされている。
であれば、議長国も大地神の手が及んでいると見るべきだ。
エルフのような者がいたことから、エルフの国もそうなのだろう。
「おい、何が起きてるんだ!?」
「無事、ではないようだが。揃っているな、良かった」
荒れ果てた広場のがれきを越えて、トリーダックとヴァン・クールが現われた。
どちらも軽傷らしく、そのため広場周辺が崩れて確認できない私たちの安否を確かめにきたようだ。
「そちらの被害はどうだ。一体狼のような魔物が暴れたはずだ」
私の問いにヴァン・クールは答える。
「俺たちは修練場にいて、そこから固まって駆けつけた。同行した者たちは一名が死亡。あとは軽傷だ。だが、俺たちよりも先に戦っていた者たちは、概算三百はもう」
最初に集まったのは神聖連邦の兵だ。
そしてパワーレベリングのために集めた強者たちも後から加わったらしい。
ヴァン・クールは軍を率いた経験があるので、概算はある程度信用できる。
とは言え、手痛い損失に変わりはない。
「大暴れしてたのは巨人か? 敵が侵入したと聞いていたが」
トリーダックは状況を知らないからこそ、金髪の巨人を見て不埒な言葉を吐く。
倒れ伏した金髪の巨人を見ればそうと思い違っても仕方がないが、それでもあまりにも命を賭した者に対して無礼だ。
「そっちはお味方だ。敵の大将自ら来て、手抜きで帰って行ったが、この広場からは動かないよう押さえてくれた」
プライスさまが言うと、トリーダックは巨人に向き直る。
「早とちりだった。悪い」
不遜だが、即座の切り替えに白い方も特に怒る様子もない。
ヴァン・クールも遺骸に瞑目をして、私たちに問い返す。
「大将とは、異界の神だろうか?」
「そうだ、いや、そうよ。異界の四大神の最後、大地神。どうやらこちらでも人間と遊ぼうというお誘いだったわ」
フルートリスさまが口調を変えて答える。
けれど内容と周辺の破壊の惨状という乖離に、ヴァン・クールもトリーダックも言葉を失くした。
「無理よ。私たちでもボス相手にようやくなのに。大地神なんて、強さはもちろん数が足りないわ。私たちくらいの強さの人間、いったい何人用意できるっていうの?」
アンナさまの言うことはわかるが、頷けない。
「戦わなければ。我々は人間の未来のために」
「おう、今ここ以上ないってんなら弱音吐くだけ無駄だ」
私の言葉にトリーダックが迷いなく応じる。
その真っ直ぐさに、こちらも背を押されるような気持ちになった。
そうだ、弱音はやることをやってしまってからでいい。
確か、人事を尽くして天命を待つという言葉をかつての英雄が遺している。
「大地神…………? 大地、ダイチ…………?」
ヴァン・クールは何が引っかかるのかそんなことを繰り返していた。
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