293話:ライアル・モンテスタス・ピエント
帝国は波乱の時代を迎えたと言えるだろう。
「また東の小国で独立を煽る動きが…………」
「独立されるのも時間の問題と…………」
帝位に座った俺に、打つ手もない臣下が訴えだけを聞かせる。
「今は耐える時だ。父と兄が行った戦で戦費はこれ以上捻出できない。であるならば、残る民を飢えさせないためにも、いっそ手の回らない小国には独り立ちしてもらうべきだ。防衛にのみ注力するようにせよ」
俺は決まった台詞をそれらしく言うだけ。
ここで注意すべきは俺のせいじゃないと訴えることだ。
征服を推し進めた父帝、そして王国で凄惨な戦争を起こした先帝の咎だと。
その上で俺は民を理由に戦わず、保身を図る。
実際戦費と共に兵糧としての食料の備蓄も問題ではある。
そんな状況で主戦派は王国で死んでいるので、今この場にいる者は進んで戦えなどとは言わない。
「先帝を生かすと強弁した時にはどうなるかと…………。有情であることが知られて反乱の動きも激しくはないようだ」
「うむ、話し合いを持ちかければ武力蜂起をとどまってくれる。何より皇帝自ら赴き話すという姿勢が支持されているらしい」
すぐさまの解決はないが、すぐさまの破綻もない。
そんな状況を保つ俺に、臣下の評判も安定し始めていた。
正直、俺も最初はどうなるかと思っていたが、やってみればやれる。
何せ俺は決まった台詞を言うだけでいいのだから。
「陛下、ヴィリーが面会を求めております」
「そうか」
俺の返事を応諾と見て、乳兄弟でもあるキリクが案内に立つ。
予定にはなかったが、また神の側近からの指示だろうか?
従うのはやぶさかではない。
何せそのお蔭で上手くいっているんだ。
独立勢力はあちらが統制しているし、俺への反乱分子の処分もあちらがやってくれる。
言われたとおり従えば、都合がいいとして生かされるし、無駄に状況に悩む必要もない。
正直、最初に想像していたよりもずっと気楽でいられた。
…………上手く従っていれば、神を名乗る異形が俺の目の前に現れることはないんだ。
「陛下、お時間ありますでしょうか?」
「ウィスタリア?」
廊下で声をかけて来たのは妹であり共犯者のウィスタリア。
元共和国への嫁入りが内定しており、今はまだ秘密裏に準備をしていて忙しいはず。
俺も今では神の側近の構成を理解して来た。
俺と接触を持ったヴィリーは、神の命令で帝国で引っかかる者を待っていた者だが、直属の上司はダークドワーフという種族の女将軍。
その女将軍は白い外見で本職は船長だという知者と組んで帝国を操っている。
そしてウィスタリアについている紫の蜘蛛の女は、また別の上司がいるという。
見たことはないが知者とは言い難い人物ながら、別の者と組んでライカンスロープ帝国をすでに掌中に収めているとか。
「ここでいいのか?」
俺は別方向からの神の指示を懸念して確認する。
俺が皇帝となってから、周囲にはキリク以外にも常に人がいる状態だ。
ヴィリーという友人に会うというていで、人払いをしなければほぼ余人の耳目がある。
「はい、少々人を動かしたく許可をいただければと」
目を向けると、微かに頷く。
続いて上に目を向けると、今度は首を微かに横へ。
つまり、神かその直属の者の指示らしい。
わざわざ俺に許可をとるのは、表向き帝国が動いていると繕う必要があるんだろう。
「何をするかは?」
「小王国から元共和国にかけての道の状態を確かめるための人手が欲しいのです」
婚約は公にしていないが、一部には知らせてある。
この場でその理由に疑問を抱く者はいない。
婚礼のための安全確認とでも思ったことだろう。
だが神の関与があるならば裏がある。
とは言え俺が気にかけるべきじゃない。
俺にそんな指示はきていないのだから。
「わかった。人を手配しよう。そちらで指示を出すように」
「ありがとうございます」
ウィスタリアは裾を摘まんで礼をし、俺はそのまま廊下を歩き去る。
以前は部屋に呼んで相談もした。
だが今となってはこうして向こうが用事のある時だけ姿を現す。
元から交流などない間柄であったのだから、落ち着くところに落ち着いた形だ。
「どうせ向こうのほうが、俺よりも重んじられているしな」
部屋でキリク以外を人払いして漏れるのは、現状の些細な不満。
正直、皇帝となってもウィスタリアのほうが価値があるという対応は変わらず、思うところはある。
「おや、どうしました?」
俺が椅子のひじ掛けに頬杖をついている姿に、こつ然と現れたヴィリーが声をかけて来た。
こいつは自分で言うとおり、ダークドワーフという仲間内で重んじられない。
女将軍は美しい少女に見えるが、ヴィリー曰く、自分など平手一つで首が折れるほどの強者だとか。
相手がそれほど強いと同時に、ヴィリーが一族でも極めて弱いらしい。
だからこそさらに弱い人間の中に紛れ込むという仕事を請け負った。
それに比べて紫の蜘蛛の女は独自の裁量権を有しているそうだ。
他の仕事をしていたところを大抜擢のような形でウィスタリアにあてがわれたとか。
女将軍もあの紫色の蜘蛛の女には状況を聞くことはあっても、指示を出さない。
けれどヴィリーには口うるさいほどに、気をつけろと言い聞かせているのを見たことがあった。
「ウィスタリアが何をしているか、知っているか?」
「嫁入り準備でございましょう? 元共和国の新王は、神より直接見出されたお方。なんと幸福なことでしょう」
ヴィリーはなんでも神を讃える方向に持っていく。
これだからろくに情報も得られない。
もう話はさっさと聞いて、早く切り上げた分休憩しよう。
「それで、ヴィリーはいったいどうしたんだ?」
俺が水を向けると、神への賛辞を止めて笑顔で答えた。
「あぁ、そうです。すぐに対処しろと将軍と船長さまよりいいつかっていたのでした」
女将軍ならいつもの小言。
だが、あの白い船長からとなれば、相当に緊急性が高いと思ったほうがいいだろう。
聞こうとしたが、言いつけを守るほうに意識を持っていかれたヴィリーは、俺に口を挟ませずに何やら室内の四隅に鏡を設置し始めた。
正直趣味じゃないが、鏡の枠が何でできているかわからない光沢がある。
たぶん神に関する人知の外の技術でできているんだろう。
「さて、これで…………!?」
俺を振り返ったヴィリーが猛然とこちらへ跳びかかった。
一瞬のことで俺は反応できない。
俺よりも弱いキリクは目で追うことすらできず驚き固まっていた。
そしてヴィリーが目の前に迫った瞬間、座る俺の肩を踏み台にする。
椅子ごと蹴倒される勢いで転んだ俺は、ヴィリーが俺の背後へと跳んだのを見た。
「ぐ、おい!?」
俺は床を這ってヴィリーに声をかける。
だが、見たのはヴィリーの腹を、手甲をつけた腕が貫通している姿。
あの皇帝さえ殺したヴィリーが、負けた? いや、誰だ!?
「ふぬ!」
「何!?」
腹を腕に貫通されていながら、ヴィリーは抵抗をした。
いつの間にか手に構えていたのは、脈打つように赤く明滅する、見るからに魔剣。
しかもダークドワーフという小柄なヴィリーに合ったサイズの剣で、俺から見れば短剣より長いが、長剣には足りない長さの武器だ。
手甲に覆われた腕の肩口を切られた何者かは、ヴィリーを投げ落とすように腕を振った。
「ヴィリー!?」
俺は無闇に動かず呼ぶ。
俺よりも強いヴィリーがどうにもできなければ逃げるべきだ。
そう思ったが、ヴィリーは大量の血をまき散らしたくせに立ち上がった。
「弱いからと回復アイテムをお貸しいただいておいて正解でしたね」
「あれだけの傷を!? このアガートラムの一撃を受けて即死もしないなんて、馬鹿な!」
銀色の手甲をした敵に言われて、腹の傷が塞がっていることに俺も気づく。
血と破れた衣服以外に、傷跡はない。
「さて、この我がダークドワーフに伝わる魔剣は、斬りつけた相手が死ぬまで鞘には戻せない、生き血を求める魔剣。これで傷つけた傷は塞がらず、いつまでも剣は獲物を求めて切っ先を向け続けます」
言うとおり、魔剣はヴィリーが倒れていた時も斬りつけた相手に剣先を向けていた。
その執念深さに、俺はぞっとする。
相手も同じだったようで、攻撃には出ずすぐさま逃走を選んだ。
その際にまとった独特の服、あれは有名な暗殺集団『闇の彷徨』の揃いの服装。
そう思ったが、まるで掻き消えるように暗殺者の姿はなくなった。
「いない…………? な、なんだったんだ?」
「暗殺者ですよ。元共和国、そして王国でも国王を狙って現れたそうです。なのですぐに対処するように命じられて来たのですが」
聞けば鏡は姿を消して現われる者を感知する専用の道具だとか。
鏡に映る範囲にくると、隠蔽されていても見えるそうだ。
「つまり、あの銀色の手甲を突き刺されていたかもしれないのは…………」
今も残る濃厚な血の臭いに胸が悪くなる。
キリクなど、すでに吐き気を堪えて口を覆い一言もしゃべれなくなっていた。
対してヴィリーはウキウキしている。
腹に大穴あけられた者の機微じゃない。
「さて、神の追跡を撒いたという暗殺者は、しっかり我が一族の魔剣に囚われました。これで神に良いご報告ができますね」
あんな夜空を凝縮したような、訳の分からない化け物に会いたいなんて気が知れない。
だが、これはチャンスだ。
「そうなるとヴィリーは新たな命令で行動するな? 私を守ることはできないはずだ」
「そうですね、後任を探さねば。気づきませんでした」
狙われた今のさっきでとは思うが、今はいい。
「ならば、新たに警護に就く者はできるだけ強く、そして話しやすい者にしてほしい」
俺は心底からそう願って訴えたのだった。
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