279話:ルージス・シュクセサール・ソヴァーリス
他視点
オルヴィアの乱入はあったが、話し合いは穏便に終わった。
オルヴィアは監視付きで、後から話を聞くため一室へ押し込めてある。
アジュールの死を利用し帝国に媚びようなどと見苦しい提案をしたにもかかわらず、レジスタンスは怒りもせずにいてくれたのはありがたかった。
そうしてレジスタンスたちが部屋を出て行く中、一人残る人物がいる。
角獣の乙女、ベステアと呼ばれるバイコーンに乗るほうの女性だ。
「何か?」
目が合ったことで、できる限り柔らかく声をかける。
不興を買うのはまずく、凶悪な魔物を倒し生き残る実績がある人物だ。
何よりレジスタンスよりも人助けに熱心な、穏健なグループだと私は見ていた。
「えっと、生まれが低いもんで、ご不快になるかもしれない、いえ、しれませんが」
「気にされるな、角獣の乙女。どうされた?」
市井で育ったからには、言葉遣いがまずいのはわかっている。
こちらを気遣ってくれるくらいの心持ちであるなら、我慢のし甲斐があった。
「私はファナたちと違って神を信仰はしていないから、ちょっと忠告を」
内容は、危ういかどうか微妙なところか。
私は入り口付近で振り返っているローブ姿の人物に目を向けた。
顔つきが判然としないが目立たない風貌の、長身の男。
この角獣の乙女も帽子を脱がないため、賢人と呼ばれる者もフードを被ったままだ。
「あ、ト…………賢人もいたんだ」
角獣の乙女は苦笑いで手を振る。
そこには気安さがあるばかりで、警戒はない。
賢人はあまり喋らないし、喋っても短い。
だがそれでレジスタンスの主要メンバーには意思が通じる、警告として耳に届く。
それほどに信頼された人物であると見ていいだろう。
「あっちはいっそ神に近すぎて、神のおおらかさわかってるから気にせず。ね、賢人」
「よほどでなければな」
ここでこの賢人が異教の神側だと判明、か。
しかも近すぎるというほどの人物らしい。
戦力ではないが影響力は大ならば、個人的に交流を持つべきか?
「で、忠告は一つ。神を直視しないほうがいい。あれはただの人間とは違いすぎる。神以外に形容しようがないから神であって、祈ってどうこうよりも、もう全身全霊で声に出して助けてほしいと人の限界を示したほうがいっそ慈悲深い、です」
思い出したように言う角獣の乙女。
けれどそれ以上に気になるのが内容だった。
「抽象的過ぎて、なんとも…………。礼を尽せということでしょうか?」
「いや、えぇと…………一番は直視しないほうがいいってことを覚えていてもらえば」
妙な忠告だが、そういう宗教性か?
それにしては角獣の乙女の言葉から、神と呼ぶ者への敬意は感じられない。
賢人も無反応だ。
私が考え込んで黙ると、角獣の乙女は慌てて手を振った。
「別に企みなんてない、です。同じ人間としての同情心から言ってるだけで。あたしも神には命助けられたけど、近寄るのは怖いくらいで。優しいのはわかってても、やっぱり見た目が、違いすぎて…………」
賢人が何か言いたげにしている様子に、振り返った角獣の乙女もばつが悪そうだ。
「怖がりだな」
賢人は短く言って、肩を竦めるような動きをした。
私の視線に気づいた角獣の乙女は、今度はこちらに真剣な表情で訴える。
「こういうところは完全にあたしのほうがファナたちよりも人間側。本人、じゃなくて賢人も気にしてないから、直視しなくても怒られないんで、見ないほうがいいです」
強く言われてなんとなく頷くが、横で聞いていた大公は呆れぎみだ。
そんな会話があった、数日後。
神がやってくるというので、私たちは森の際へ出向いた。
天幕や絨毯などで迎える用意を行っていると、ファナ・シルヴァが声を上げる。
「あぁ、神が降臨なさいます」
何処か酔い痴れるような危うさのある声だった。
私は天幕から出て、手はずどおり儀仗兵を並べ少しでも見栄えよくしようとする。
誰もが打ち合わせどおり動こうとしていたが、森の変化に動きを止めた。
「…………な、んだ? 森が、光っている?」
私は森の内側から光が膨れ上がるように迫るさまを見た。
それとは別に小さな虫のような光が舞い広がる。
風もないのに木々は光に押されるようにたわみ揺れるさまは何処か幻想的だが、場所がレイスが蔓延る森となれば警戒心のほうが勝っていた。
「あ、あぁ、あぁ!? 夜だ! 夜が来た!?」
大公の声に驚いて見れば、空を仰いで震えている。
言われて見上げれば、いつの間にか辺りは夜のように暗く、空から太陽が消えていた。
そのため余計に森から溢れようとする光が強く感じられ、私は今から現れる超常の存在を強く意識する。
「神がいらっしゃるので、どうか、拝してお待ちを」
ファナ・シルヴァが喜色さえ滲ませて指示を出した。
私はもちろん、聞こえていた兵士たちが片膝を突く。
だが隣の大公は空に釘づけであったため、少々乱暴に引いて地面に膝を突かせた。
その際、心配そうにこちらへ目を向ける角獣の乙女二人が見える。
「大地神のお出ましです」
ファナ・シルヴァが誇らしげ告げた。
私は咄嗟に角獣の乙女の忠告に従って視線を下げる。
けれど、隣の大公は顔を上げたままだった。
冷風が微かに前髪を揺らした次の瞬間、隣で大公が崩れ落ちる。
「た、大公? …………父上!?」
慌てて大公の子息たちが立て直そうとするが、異変があったのか声が切迫した。
しかし、冷風が流れてくる方向を見た者から、また地面に這いつくばるように倒れる。
それぞれ浮かぶ表情は恐怖。
この世のあらゆる恐怖を目の当たりにしたような表情だった。
あまりのことに、私は顔を上げないようにしつつ角獣の乙女を見る。
二人は視線を下げるだけで、上を見ない。
「王国の者たちよ、怯えるな。私はお前たちに対して怒りはない」
随分高い位置から降る声は、冷風の漂う方向であるようだ。
どうやらこれが神の声であり、思ったよりも普通の人間のように聞こえた。
「ひぃ!?」
また誰かが、恐怖の声とともに倒れた音がする。
やはりこれは直視をしてはいけない相手なのだろう。
私は角獣の乙女に従って、相手の足先があるだろう辺りに視線を彷徨わせる。
しかし何もない。
いや、地面から浮いた辺りに揺れる裾がある。
つまり…………相手は浮遊している?
「王子よ、いや、元王子か。だがもはやこの王国にそう名乗れるものは他にはいまい。王子よ、私に何用かな?」
浮かぶという人間にはできないことをしているから神か?
だが、仕掛けくらいは疑えるし、それでは直視して立ち直れない大公たちがおかしい。
私は意を決してさらに視線を上に動かした。
すると不思議な光を纏っていることに気づく。
それは虹のようで、雷光のようで、凡そ人間が操れるはずもない天上の様相。
そして、見てしまった、私に向けた差し伸べられる手を。
それは手の形をしていたが、大きさからおよそ人間以上の身長を類推できる。
だがそんなのはどうでもいい。
問題はまるで夜空が凝縮したような手が、意思を持ってこちらに向けられていたことだ。
「…………は、ははぁ! お呼び立ていたしましたこと、まずは謝罪させていただきたい!」
私は混乱と怯えを隠すように、今一度顔を下げて謝罪の声を上げた。
そうしながら角獣の乙女の忠告の正しさを実感する。
「謝罪の必要などはない。いや、うむ、いっそこちらが謝るべきか? どうも様子のおかしい者たちがいる」
言われて視線を低くしたまま、私は儀仗兵たちを見回した。
すると、無様に倒れる者もいる中で、胸の前に手を握り合わせ、顎先からボタボタと顔中の穴から液体を垂れ流して神を見上げる者もいる。
そうして様子のおかしい儀仗兵を見上げても、神の全容は視界に映らない。
これは幸か不幸か? いや、今は神だ。
「お、お見苦しいことを。どうか、ご寛恕いただきたい!」
「そちらが気にしていないなら、まぁ」
戸惑うように言う声は何処までも人間のようだが、それが余計に違和感だった。
人間とは違いすぎる、なのに人間のふりをしている、神としか呼べない存在。
その忠告が間違いなかったならば、声に出して人間の限界を示すことも必要だ。
そうすれば慈悲が、慈悲をくれるだけの存在ではあるはず。
あぁ、なるほど、だからアジュールは死んだ。
そしてファナ・シルヴァや角獣の乙女という平民たちが生き残った。
神に許しを請い、命を請う。
そんな人間として当たり前のことが、王子である故にできなかったのだろう。
「それと共に弟アジュールがご不快を招いたことも謝罪を。しかし弟はすでにこの世にはなく、それこそ神の怒りを買った者の末路と罰。我々に神に逆らう意思はございません」
「あぁ、うむ、わかっているとも。そこのところはファナからも聞いている。だが、その上で私と会いたいと言ったのだろう。何か用があるのではないか?」
レジスタンスという武力を掌握する重要人物の顔を見てやろうていどの気持ちだ。
レイスを操るので邪法だが腕の良いネクロマンサーか、もしくは亜人を想定していた。
まさか昼を夜に変える、本当に神としか形容しようのない何者かだと思うか!
しかもこちらと対話できるだけの知性と教養を持つ、そんな者が森に潜んでいたなど、いったい誰が想像できる?
なぜ今まで誰も口の端に乗せなかったのか、考えるだけで恐ろしい。
無礼な探索者など送り込んで怒らないわけがない。
しかも送り込んだ者がアジュールだと知っているなら、下手な言いつくろいなど無駄だ。
私もまた、神を見て語る口を塞がれる側になるかもしれない。
「厚かましい望みではありますが、どうかこの窮状にあえぐ我々も神のお慈悲を垂れてくださらんことを!」
「まぁ、神への請願にしては情緒がないけれど、弁えた発言ですわね」
「神よ、我らはあなたさまに従います。ご裁定を」
気づけば朝焼けのようなドレスと、雲のように白いドレスの女性たちが神の脇にいた。
と言っても足元しか見えないものの、声はこんな状況でも聞きほれる響きがある。
「うむ、良いだろう」
短いが、私にはその返答が福音のように響く。
情けない命乞いでも、この許しを引き出した私の行動は賢明だ。
そう自らを肯定できるだけの成果だった。
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