277話:ヴァン・クール
他視点
王都最後の戦い、俺はそこで命を使い果たすつもりだった。
だが目の前で陛下が倒れたことで、お救いするため一時戦場から逃走を選んでいる。
「早く治療を! 陛下がこれ以上はもたない!」
俺は一時隠れた林の中で懇願した。
木の幹を背にする形で陛下を降ろして座らせる。
息が浅く短い。
とても危険な状態だ。
だが突如現れるスライムのような魔物が、治療の暇さえ与えないとばかりに襲いかかった。
「邪魔だ!」
俺は両手が開いたことで刀を握り締め、気合と一瞬の集中で振る。
何よりここで陛下をお守りするという使命感によって、今までにない狙いすました攻撃を放った。
瞬間、一撃で化け物に対して致命傷を与える。
「おぉ、英雄の名は伊達じゃねぇのか」
戦場で声をかけて来た探索者が、追撃を行おうとした手を止めて呟く。
「この刀はそうした劇的な一撃を放てる逸品だ。今回は運よく一度で出てくれたに過ぎない」
俺は返す刀で化け物に止めを刺して応じた。
これをいつでも引き出すのが俺の強さの目標だったが、今はそれも二の次だ。
今は陛下をお守りすることこそ、鎮都将軍として任じられた俺の使命だ。
「はぁ、あれだけの乱戦、荷物抱えての逃亡。それだけやって今の気迫出るんなら、まぐれじゃないだろうぜ」
何げなく吐いたように聞こえた息だが、そこには隠しきれない疲弊があった。
よく見るとこの者も傷が深い。
すでに治療されてはいるが、動くには辛いことが立ち上る血の臭いでわかる。
なのにその探索者の目には活力が漲っていた。
いっそ動いていなければ立てないような追い詰められた気迫がある。
「トリーダック、あまり前へ出るな。これ以上負傷者が増えても手に負えん」
あまり傷のない細身のほうがそんな忠告を向けつつ、辺りを警戒していた。
まだ敵は絶えたとは言えない。
しかも神出鬼没。
強さも俺たちだけでここまで凌げたことが幸運だと思えるほどだ。
気は抜けない。
だが、もうこれ以上陛下が持たないのだ。
「…………頼む」
俺は治療を口にした細身に改めて願った。
同時に周囲の警戒を代わる。
もうここを動かないと態度で示した。
「どうする、忍耐?」
「何かこっちの位置を特定できる要素があるんだろうが。それがわからない限り逃げ続けるしかない。そうなると今以上の状況はないわけだ」
トリーダックは細身を忍耐と呼んで意向を確認した。
おかしな名前だが、陛下の傷を見る表情と手は真剣で慣れた様子もある。
何者かはわからないが、この二人、ただの探索者ということはないだろう。
ただ決して敵でもないことはここまでの行動でわかっている。
「これは…………」
その声に宿った色に気づいて、俺は忍耐を見た。
陛下が身に着けていた鎧を脱がせ、傷周りの衣服を裂いて除去している。
意識のない陛下は微かに動くだけで瞼も開けない。
ただ傷口からは生命を象徴するように、まだ新たに血が流れていた。
「俺に声をかけた。なら俺に用があるはずだ。従わせたいのならば、俺の主君を助ける以上にないはずだ」
「…………わかっている」
忍耐は短く応じた。
トリーダックが戦場で声をかけたのは俺だ。
そして忍耐は「王さまも」と言っていた。
最初から俺を助けに現れたようだが、意図は知れない。
だが陛下が言ったように俺は生き残りには実績がある。
お蔭で今も動けないほどの傷はないため治療は急務ではなかった。
「やれるだけはやってみよう」
忍耐が何やら薬を取り出し、陛下の傷に浸透する様子を観察しながらかける。
劇的な再生から、ダンジョンで得られる希少な薬であることは察せられた。
だが傷が塞がり切る前に薬の効果は止まる。
「このままじゃだめだな。急いでもっと治療できるところに」
「何処だよ。この国は帝国に侵攻されてるんだぞ。まともに治療できるなんてところあるもんか」
忍耐が陛下の腹を自らの服や何かを使って覆い出すと、トリーダックが現実を突きつける。
俺こそこの国の人間だ。
だから忍耐の求める場所を記憶から探す。
「…………確か、帝国軍は信心深さから教会は襲っていなかったはずだ」
「よし、さすが帝国。近場でそれなりにでかいところは?」
忍耐が何かあてでもあるのか、教会と聞いて声を弾ませた。
「馬で一日。徒歩で状況にもよるが三日はかかる」
陛下はもつか?
それは誰にもわからない。
だが陛下が目を開けて答えを口にした。
「無理だ。そこまで私はもたない」
「陛下! 気をお強く持ってください」
励ます俺に、陛下は微かに口の端を上げる。
「すまないな、希少な、薬を。お蔭で、辞世の言葉は、残せることに、感謝する」
「陛下!」
この方は諦めていたが、今それが悪い方向に働くとは。
もしかしたら気力で死の淵から戻ることもあるかもしれないというのに。
俺が悪いのか?
覚悟を決めた陛下にもっと声をかけるべきだっただろうか?
だが一カ月以上も籠城が成功したのはひとえに陛下の存在があってこそだ。
諦めず逃げろと言っていればよかったかもしれない…………だが、もしもはない。
「鎮都将軍、私が言ったことを覚えているか?」
俺に後悔の言葉を言わせず、陛下はこの戦いの前に告げた言葉を思い出させようとなさる。
「できれば、私よりも戦い続けることのできる、英雄に、生き延びてほしいものだ。もし、機会があれば、戦うために、生き延びてくれ」
なぞるように陛下が今一度おっしゃった。
「今が、そうなのだろう?」
目を忍耐に向けて、陛下は確認する。
すると忍耐は一度瞑目するように目を閉じて、同情など一切ない表情で応じた。
「おっしゃるとおりだ。私は神聖連邦から遣わされた七徳の忍耐。世界で暗躍する巨悪に対抗すべく、英雄の子孫を救い出し、より強くするために集める任務を担っている」
「ヴァン・クールは、まごうことなき我が国の英雄。だが、子孫?」
俺を見る陛下に、俺も忍耐を見る。
「俺は妻帯もしていなければ、子もいないぞ?」
「お前自身が、五十年、いやそれ以前に存在した英雄の血筋である可能性が高い」
忍耐が言うには英雄の子孫がこの世界には散らばっており、その中でも血が近いほど英雄としての力は発現しやすいそうだ。
とは言え、数世代を経て発現する者もいる。
トリーダックは孫の代だという。
俺は少なくとも五十年前の英雄の血筋ではないらしい。
だが英雄と呼ばれるものは長くても二百年経てば現われるという。
そのため誰に発現してもおかしくはないそうだ。
「ヴァン・クールは、その刀を使いこなせるだけの成長をみせた。何より窮地にあっても生き残れる身体能力、年齢の割に若い姿は英雄の子孫の特徴だ」
「は、はは、は」
陛下が苦しげに笑う。
「我が国の、英雄は本物の、英雄だった。こんな嬉しい事実が、あるだろうか」
「陛下」
「これで、貴殿を取り上げた、父上の、慧眼が証明、される」
何処か安堵する陛下は、自らを取り上げて名を落とした先王を思う様子だ。
けれどそれと同時に、英雄である俺に北を任せたことが先王の慧眼となるという。
「なんとしても、生き残れ。生き残って、どうかその話を、伝えてくれ」
「では、その時には私を鎮都将軍と任じてくださった陛下の御名もまた」
俺の答えに、力なく微笑むだけで陛下は答えない。
「どうぞ、陛下ご命令を。私はあなたに仕える者です」
握った陛下の手は冷たい。
すでに血が上手く回らなくなっている。
「こちらとしても、王国にはまだ存続してもらいたい。とは言え、お墨付きをいただけるなら、神聖連邦として記録に残すことはしよう」
忍耐の言葉に、陛下はもう動きの鈍い唇を動かした。
「私のマントの留め具を、証として、持て」
鎧に固定するための物で、金鎖と王家の紋章が一緒になっている。
「ヴァン・クール、鎮都将軍の任を解く」
「はい」
「代わって、これより、我が王国の大使となって、神聖連邦に赴き、世界の平和と我が国の国民のため、務めるよう」
「謹んで拝します」
俺が受け入れると、陛下はほっとように目元を緩める。
けれどすぐに陛下は忍耐へ目を向けた。
「勝てる、のか? 我が王都にも、魔物が、帝国軍を助けるため、入り込んでいた。すでに、相手は、数歩先を行っている」
確かにアーノルドの連絡で、内応の前に潜んだ魔物を排除できた。
だがそれ以前にはホージョーという国を蔭から操る邪悪な魔物が存在している。
思えばそうした者が帝国や他の国にも入り込んでいないわけがない。
ただの強さだけでは勝てない相手だろう。
「目星はついている、いや、今回のことでようやくついたのが正直なところだ」
つまりこの戦争で、敵にも大きく動きがあった。
それによって神聖連邦も正体を掴むことができたらしい。
「少なくとも我々神聖連邦及び救世教は、決して人類の存続を諦めることはない。それが、ただの一兵になったとしても」
忍耐は飾らない上に感情のこもらない声で陛下に応える。
だが、だからこそ当たり前の如く遂行するだろうと思わせられた。
「そうか、戦い、続けるか。強いな…………あぁ、つよい、者たち、だ」
陛下は忍耐から俺、そして警戒を続けながらも逃げず否定もしないトリーダックを見る。
「陛下、私が強くあれるのは、何よりあなたが信頼してくださるからです」
もう声もまともに出せなくなった陛下だが、聞こえているようで頷いてくださる。
「私は、あなたの剣であり続けましょう」
そんな決意の言葉の中、アジュール陛下は一度大きく息を吸い込むとそのままこと切れた。
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