275話:ヴァン・クール
他視点
重苦しい空気が立ち込めるここは、かつて人々が笑いあって生活していた王都だ。
今ではその多くが疲れと不安を抱えて過ごしている。
何より負傷兵から避難民まで多くが道に溢れて行き場を失くしていた。
決して状況はよくない。
悪いとさえ言える。
何せもう王都を守る街はなくなったのだ。
あとはここを守って援軍の当てのない籠城戦をするしかないが、やっても勝てる見込みはなく数日恐怖を長引かせるだけになる。
つまりは、負け戦だ。
「あぁ、将軍! 鎮都将軍!」
「俺たちを守ってくれ! 助けてくれ!」
俺が歩くとそれだけで人々が声を上げる。
どの声も救いを求めていた。
「私は決して諦めない! どうかこの命、最後まで使わせてくれ!」
できる限り答えながらも、俺は足早にその場を過ぎる。
もう助けられはしないなどとは言えない。
だからこそ、俺は命を懸ける約束をするしかなかった。
「はぁ、はぁ、間に、合った…………」
声に聞き覚えがあり見れば、片腕のない男が目が合うと笑いかけてくる。
「アーノルド!」
「戻りました、ヴァンさん」
北の戦地から一緒に戦って来た部下であり、ホージョーの自爆で屋敷の倒壊に巻き込まれ片腕を失った。
生き残れただけまだいいと言えるくらい、かつての部下はもういない。
「すぐにお耳に入れたい報告が」
「こっちへ」
俺はアーノルドの表情から緊急性を察して、王城のほうへ向かって民から離れる。
急報が城に届いたということで俺も向かっている途中だった。
アーノルドは片腕を失くして前線を離れている。
しかしその姿から逃げる負傷兵に紛れられると、王都から出て帝国軍の動きを探る役を買って出ていたのだ。
「実は、落とされた街で生き残りから情報を集めたところ、どうも内応されたらしいという話があり、当時の様子を知る者を捜し回ったんです」
「何? 新帝が突発的に起こした侵攻じゃないのか? だが、それだけ仕込んでいたとなると、まさか先帝の時から?」
わかりやすく北の国境を襲うことで目を向けさせておいて、王国内部へ手の者を忍ばせていた。
そう解釈した俺に、アーノルドは首を横に振る。
「いえ、どうもそうではないようなんです。一つだけその内応がなかった街があったんです。どうやら内応を防げた様子で」
「内応するまで露見しない相手を、どうやって?」
アーノルドさらに声を低くする。
「実は、戦闘に探索者も加わっていた街で、死を覚悟して手持ちのアイテムを全て使ったそうです。その中に、魔物寄せの薬もあり、間違って街中で使ったとか」
ただそれが功を奏した。
街の中に潜んでいた魔物が引き寄せられ、討伐とはいかないまでも正体が露見。
追い出しに成功したところ、その街は内応がなく、他の街よりも落ちるまでに時間がかかったという。
「その魔物自体がどういったものかまではわかりませんでした。それでも抵抗し、多くの街の者を死傷させて逃げ果せているほどの危険な魔物です」
「つまり、内応していたのは魔物? そんな手を使うほどなりふり構っていないのか?」
帝国は周辺でも救世教の熱心な信者だった。
なのに魔物を使うなど棄教にも等しい行いだが、それほど新帝が怨みに猛っているという証左のようにも思える。
「いや、今は本当にそれで内応が防げるのなら、やらない手はない」
王都は最大の探索者ギルドがあり、魔物寄せという薬もある可能性が高い。
「名目は混乱を避けるために、衛生管理にしよう。たまにネズミや虫の魔物が地下から王都に侵入することはある」
言って、俺はアーノルドに鎮都将軍として作られた記章を外して渡す。
親しんだ部下は余計なことは聞かず、探索者ギルドへ向けて身を返した。
北で共に戦った者たちには顔が通るので、魔物が出た際の対処も手配してくれるだろう。
俺は当初の予定どおり城へ向かった。
身分を得て使える人間は多くなったが、同時に許されているため、陛下には直接赴いたほうが時間がかからなくなっている。
「失礼しま…………?」
俺が陛下の所へ行くと、中からすぐさま扉が開き侍女が顔を出した。
そしてその後ろには別の侍女たちに両脇を支えられたオルヴィア姫がいる。
憔悴しきって一人では立てないような有様だ。
今まで気丈に振る舞っていたはずが、俺に気づきもしない様子で運び出されている。
「鎮都将軍、入ってくれ」
陛下に呼ばれて室内へ行くと、国の主もソファに身を預けて気力を失ったかのように憔悴していた。
王都陥落が見えても、お二人はまだ戦うつもりでいたはずだが。
「悪い報せだ。最初は東から、そして、もう一つ先ほど離宮からの報せを受けて、オルヴィアもさすがに耐えられなかったようだ」
そういう陛下も顔色が悪い。
よほどのことと俺も覚悟をして耳を傾ける。
「…………まず、東だ。…………フラウス兄上が戦死なさった」
第二王子は俺も知ってる。
あの気の良い方が亡くなったという事実に胸が痛んだ。
だが今俺は陛下に仕える鎮都将軍だ。
拳を握って感情を押さえ込み、事務的に確認をする。
「砦に籠城したとは聞いておりませんが、いつどのように?」
「どうも三つ巴で戦っていたが、レジスタンス側に刺客が放たれたという。それが逃げた先が王国側で、レジスタンスが小王国軍を追い散らした後に、王国の国境を守る防衛軍を破り、そのまま兄上のいる砦までも襲ったと」
「フラウス殿下の性格から、刺客を送るなどとは考えにくいのですが?」
「もちろんだ。この場合、小王国が矛先を王国へ向けるために仕組んだ可能性がある」
言いながら、陛下は沈痛な様子で俯いていた。
兄が死んだ、しかも謀りの中で。
芳しくない情勢に耐える中でも、やはり重い事実だ。
「レジスタンスは王国と敵対すると見て?」
「そうだ、国境を通らせて王都に招く算段もあったが、命令が届く前に意味がなくなった」
援軍はありがたいが、時間的に王都を救うことは無理だろう。
ただレジスタンスは帝国の敵。
であれば、敵の足止め程度はという策か。
そこに過大な期待はない。
第二王子の死も遅かれ早かれの可能性はあった。
では何故、王女はあそこまで取り乱した?
「そして、もう一つの報せだ。…………離宮が、帝国軍に襲われた」
「それは…………! 陛下、いえ、先王陛下は?」
追い落とした先王の幽閉場所であり、その分主要な都市からは離れていたはずだ。
狙う理由がるとしたらそこに先王がいると知られたこと。
だが、戦いが始まってから退位され、交通は帝国の侵攻により機能せず、噂で広がるような情勢ではない。
いつ帝国軍に知られたのか、内部の情報を売り渡した者がいるかもしれない。
「いくらか、離宮から連れ去られた者はいるそうだが…………少なくとも男はいないそうだ」
俺は絶句して答えることもできなかった。
つまり、先王陛下はすでに亡いのだ。
ましてや連れ去られたとなれば若い女である可能性は高く、王妃もまた生存は絶望的だった。
陛下はうつろな目で言葉だけを漏らす。
「これから、再起をかけて、離宮に向かう予定だった。オルヴィアが、立てこもるための準備もしていてな…………」
悪い案ではない。
王都はもはや人が多すぎるため、味方内を統制できないありさまだ。
何より食糧や水にも限りがある中、戦えない者を抱え込んでも足手まといだった。
たとえ都落ちであっても陛下さえ生きていればまだ希望はある。
「今となっては無意味だ」
「陛下」
俺の呼び声に、陛下は一度硬く瞼を閉じる。
開けると、そこには決意の色が宿り、俺を見返した。
「私は戦うぞ」
「陛下? しかし、王都は長く持ちません。いち早く脱出を」
逃げるよう促す俺に、陛下は笑いかける。
「鎮都将軍ならばそう言ってくれると思っていた。だからこそ、私はもう逃げるのは嫌だ。何より、王統はもはや限られた。であれば、こんな私よりももっと正統で足場を固めた者がいる。そちらに希望を託すべきだ」
決意は、すなわち全てを諦めたからこその覚悟。
陛下は、命はもちろん、王であることさえ諦めてしまっていた。
「鎮都将軍、数は少なくなったはずだが、精鋭はまだいるな。どうかその者たちを貸してほしい」
「陛下をお守りするのは我々の責務です」
「いや、守ってほしいのはオルヴィアだ。あの才知は王国復活の糧にできる。なんとか兄上のほうへ生きて届けてほしい」
自らは玉座を放棄しながら人々と共にあり、オルヴィア姫をこそ脱出させろと、おっしゃるのか。
今の陛下に皇子だったころの浮薄さはない。
ただ、命を見限った静かな覚悟があった。
「…………お供いたします」
「できれば、オルヴィアを守るために一緒に行ってほしいんだが、それはやはり受けてはくれないのだろう?」
「私は人々のために命を賭すことを誓いました。今この時を置いて他にありません」
「先々を考えてもいいだろう。鎮都将軍の強さは頭抜けている。その生きながらえる強さこそ、未来の王国には必要だ」
ありがたいが俺は答えないことで答えとした。
「そうか…………。できれば、私よりも戦い続けることのできる英雄に生き延びてほしいものだ。もし、機会があれば戦うために生き延びてくれ」
陛下は諦めたようにそう命じる。
その後、私を見据えて小さく笑いを漏らしていた。
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