250話:傾ける者
他視点
私に個としての名前はない。
アイリーン、ロベリア、ハンナ、ニコル、ホリー、ヘザー、タバサ…………。
呼ばれる名前は数あれど、最初に生み出された時聞こえたのは、傾国の美女という呼び名だけ。
あれがどれくらい前かなんてもう覚えてはいない。
こちらに来る前の世界のことだ。
さらに言ってしまえば、前の世界でも私が私として活動を始める前のこと、そんな気がする。
つまり私を傾国の美女として生み出した、神の声なのだろう。
「大地神の分身であるという自覚があるのでしたら、創造主の降臨を喜んではどうですか?」
黒い、髪も肌も黒い男が、無防備そうに両手を広げて問いかけた。
「そんな敬虔さがあるなら、私と目があった時に自ら父たる神を捜し求めるでしょう」
水色の髪に緑のドレスの少女は、居丈高な様子で反論する。
「はぁ、やっぱりその言葉からして、あなたたちも同じ分身なのね」
できれば当たってほしくなかったけれど、こうして顔を合わせれば確信する。
共和国に探りを入れようとこの地へと舞い戻った。
その中で突然視線を感じ、既視感にも似た、何か通じるものがあったのだ。
この生まれた世界とも異なる世界にあって、同質の者と視線が合った感覚は、前の世界でもなかったのに。
同じ分身までは予想がついたけれど、まさかもう一人いるとは思わなかった。
その予想外の黒いほうがまた口火を切る。
「確かに自ら捜し求めるが道理。ですが効率を考えればこうしてことを起こし注目を集めることで自らの所在を明確にするのも一つの手ではあります」
黒いほうの推測に少女が驚く。
「え、そういうことなの?」
しかも私に聞くの?
ちなみに分身ではない女は、箒を取り出して宙に座っている。
以前の世界で森に隠れ住むことのあった魔女だろう。
一緒にいるところを見る限り、大地神を信奉する者で、背格好から私の能力によって見極めた当時首都にいる最もレベルの高い存在。
見た限り重傷を負わせた形跡もないことから、回復アイテムかスキルを使ったことは想像できた。
「…………私が何者かを知っているの? 私はあなたたちのような分身がいた記憶はないわ」
向こうが数で有利であるため、こうして話を続ける余裕という油断がある。
「それがしは神の領地と共に封じられていたので、外のことは何も」
「私は一応外にいたけど、この世界で目が合うまで分身だとは知らなかったわ。プレイヤーの国を亡ぼす赤髪が」
少女の言う赤髪、それは私の外見の特徴であり、プレイヤーがつけた呼び名。
どうやら赤紙という言葉が強制的に戦うことと同じらしく、私が起こす戦乱ともじってそう呼ばれていた。
「今まであなたたちのような者はいなかった。五十年前にでも来たなら、ここが以前の世界と違う理であることはもうわかっているでしょう?」
私が聞いたら少女が苦い顔をすることから、何かしら以前の世界との違いで痛い経験をしたようだ。
黒いほうは顔の前に黄色い布が垂らしてあって表情は見えない。
「理が違っても、それがしは宣教師。神に従うという存在理由を見失うことはありません」
敬虔そうに言うけれど、そんなことないのは少女の胡散臭そうな表情でわかる。
「そう言う割に、一番父たる神にそれらしい振る舞いしないの、ネフじゃない」
「おや、神を怒鳴りつけるイブにはかないませんとも」
とんでもないことを言っている。
それと同時に私との立場の違いが明確になった。
「そう、あなたたちは神の近侍を許された分身なのね」
だから未だに神という絶対者を賛美するだけのお人形なのだ。
「ま、まぁね。私は神に特別に生み出されて神性も持っているし?」
「それがしは神の信徒となることを望むものを祝福する役目を担っています」
少女は誇らしげなことを隠せず顎を逸らす。
確かに神性を与えられるというのは、神を父と呼び、娘として振る舞うにふさわしい特別扱いね。
そんな少女の横で黒い男は敬虔そうに言いながら私を見るようだ。
「ですが、あなたにもお役目はあったはず。神よりの命令は?」
外見どおりの精神性であることはここまでの会話でわかった。
その上で私よりも自由に動いているようだ。
私は神への反論なんて許されなかった。
いつも一方的、いつも決まって命令だけ。
いつも、結果的に私に死ねという命令だった。
「悪性のある国の上層に入り込んで、国を二分し、より悪性の強いほうへと加担すること。商人だろうが、貴族だろうが、王族だろうが。入り込み、篭絡して、国に戦乱を招くのよ。国を停滞させ、民草の生活を乱し、反乱さえもあえて誘発させる」
とんだ貧乏くじよ。
それを私一人、才覚のみでなせというのだから。
神に命じられれば、気づいた時にはその国にいる。
あとは命じられたまま、望まれるとおりただ動くだけ。
「こちらに来た時もどこかの国の王城だったわ。また姿なき神の命令と思い篭絡を目指した。けれどいつもと違う。いつもよりもずっと難しい。それでも神の命令ならばとやり遂げたわ。なのに、今までと違って、私を殺しに来るプレイヤーは現れなかった」
国は滅んだのに、私は生きていた。
以前の世界なら、私の暗躍に気づいた政府派のプレイヤーが必ず現れたのに。
もしくは反乱が起きてそちらにくみしたプレイヤーが私を殺す。
国が残ろうが滅びようが、終わるには私が倒されることは変わりなかった。
そうして気づけばまた殺されるために神に配置されるだけの存在、それが私という分身の存在意義。
「そんな馬鹿馬鹿しい運命から逃れられたというのに、今さら神?」
私の言葉に少女は剣呑な光を目に浮かべる。
黒いほうは変わらずゆったりと喋った。
「おぉ、なんと憐れな生きざまでしょう。ですが、そう。理の違うこの世界だからこそ、神の下に安住するという手もあります。我らの神は幾千もの側面を持つ方。あなたに命じていた神の側面はそうした方だったでしょうが、我ら大地と共に封じられた信徒を救い出された大地神は有情ですよ」
「そう見せかけて動かしているだけ。あくまで側面だからこそ本質は変わらないわ。生み出した者、従う者、なんであれ命を遊び消費するだけの存在が大地神よ」
「なるほど、違いありませんね。こちらでも以前の世界のように命で遊ぼうとされているのですから」
やはり!
あんな邪神、現れたなんて悪夢でしかないじゃない!
「私は今さら神の人形に戻る気はない! 自分の意志でこの世界を生きるわ!」
「でもやってることは変わらないじゃない」
少女が鼻白んだ様子で吐き捨てた。
「そこに自分の意志があるかどうかが違う! そんなこともわからないお嬢さんは黙っていて! 私は私が望むように人間を嘲弄するの! 玩弄するの! 翻弄するの!」
「おやおや。どうやらこれが、神が直接お声かけしなかった原因のようですね」
黒いほうは冷静に私の言動を推し量るようだ。
怒りをあらわにする少女よりやりにくそうな相手。
落ち着いているからには私がこうして現われただけ、策があるとわかっているはず。
なのに全く危機感を覚えていないように見えるのは、あちらも備えがあるから?
「防人であるイブ、宣教師であるそれがしと違って、あなたには強制する以外に自ら神に従うようには造られていないのでしょう」
「はん、お気の毒さま」
「いえいえ、それがしはそうして使い捨てとして作られ、絶対者に縋ることさえ許されないあなたにこそ、同情を覚えます」
あまりの侮辱に声がでなかった。
だからこそ力任せに攻撃を繰り出す。
地面が変形し、分身たちの足元を崩した。
同時に減った土が岩石混じりの巨大な手となり拳を振り下ろす。
「あのかつての王都で、大量に手に入れた死霊を気づかれないよう潜り込ませて用意していた一撃! たとえレベルが上限に達したプレイヤーでも、かつての世界の理を越えて、硬く死霊を詰め込んだこの一撃に重傷は免れ…………え?」
魔女は宙にいたため私の攻撃から逃げた。
上空からこちらを見下ろしている。
けれど拳の直撃を受けた分身二体は大幅に命を削ったはず。
なのに、拳が下から押された。
一時的に死霊を押し固めるようにして詰め込んで強化する、かつての世界にはなかったネクロマンサーの技法だ。
時間と共に死霊は抜け、作ったゴーレムは形を崩す。
そのためちゃんとしたゴーレムの形を作るよりも一部だけを生み出して使うほうが効果的で、かつてこの世界で出会ったプレイヤー相手でも、この攻撃は有効だったのに。
「おや、この身にダメージが通りましたね。三分の一も減りました」
「ネフにそれだけのダメージを入れる上に、それがゴーレムの腕だけしか作っていない状態って。全身を作る隙を与えたら面倒ね」
重戦士のジョブにも見えないのに、ネフという黒いほうは防御に自信のある類だったようだ。
黒いほうがすべて受けて、少女は無傷。
しかも重傷を負わせる一撃のつもりがたった三分の一程度?
「宣教師なんて神官系じゃない。何よその耐久力!?」
憎々しげにいうと同時に、私はネクロマンサーのジョブで自らの影武者を作る。
半分の体力と魔力を消耗して、自分と同じ能力と能力値で戦えるゴーレムだ。
見た目もそっくり同じになるため、この世界に来てからは文字どおり影武者として使ったこともある。
以前の世界でこの影武者に騙されるかどうかは問題ではなかった。
私もろともに倒すだけという野蛮なプレイヤーばかりだったから。
「あなたも素晴らしい能力のネクロマンサーのようですね。この一撃を跳ね返せなかったのが残念です」
そう話すにこやかさが怪しい。
そう思った時に、少女がいないことに気づいた。
瞬間、仕掛けておいた防御用ゴーレムが起動し、側の木が動いて盾になる。
次には木のゴーレムが切られる上に燃え上がった。
炎の向こうに現れるのは剣を持った少女だ。
「ち、刺突にするべきだったわね」
こっちも攻撃力と動きが予想以上、つまり攻撃と防御の二人組。
私の口元に笑みが浮かぶ。
手数の多いネクロマンサーにはうってつけの相手だった。
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