227話:ウィスタリア・ノースケラー・サーピエス
他視点
私は帝国の姫として生まれ、母からも王子ではないことで落胆された。
だというのに、皇子と生まれて争いに生きることがないことに安堵したのだ。
だから、きっと最初から母の子として相応しくない者だったのだろう。
そんな諦めの中生きてきた私のこれからなんて、激しさなどなく、ただただ平凡に、代わり映えもしないものだと、思っていた。
けれど人生とはわからないものね。
今ではアラクネと名乗る魔物との不思議な友誼を交わしているのだから。
咄嗟に他の人を逃がしたことで、有情なアラクネは私の献身として受け入れ、憐れみ、優しく話しかけてくれたのが始まり。
「か…………神よ…………」
そのアラクネが、喉が張りついたような声を出す。
私は茫然と聞くしかなかったのだから、本当に人生はわからないもの。
私とアラクネの花畑での交流に現われたのは、マスクをつけた何者かだった。
鳥のようなマスクではあるけれど、見た目は人間だと思う。
ただ現れた異様さは私にもわかる。
何故なら突如として現れたから。
足音もない、呼吸さえない、身動きする気配もない、とても不気味な立ち姿。
「ここで何をしているんだ?」
突然声を発したから、私は驚きと恐怖で首を竦める。
マスクだからどんな表情をしているかわからないし、前触れも感じ取れない。
けれど、声は、人間のよう?
いえ、今は内容が問題ね。
これは問責なのかしら?
アラクネは突如現れたマスクの男を神と呼んだ。
つまりアラクネほどの者でも恐れる、絶対者の降臨。
父である皇帝を即断即決で殺してしまった存在だ。
堅牢な城が意味を成さない部下の質、アラクネほどに見る者を圧する力強き存在さえ委縮させる力。
そして何より隙のない知謀という、もう私ていどでは恐れ多くて顔も上げられない神。
「その人間はなんだ?」
私に矛先が向くと、委縮していたアラクネは弾かれたように声を発した。
「きょ、協力者です! 多角的に城内の動きを見るために引き入れた者となります」
「ふむ、それはスタファか誰かの指示か?」
「いえ…………ですが! この帝国の姫であり、相応に出入りの自由が許される立場にある者ですので、決して、エリアボス方の邪魔には、ならぬと…………」
微動だにしない神を相手に、アラクネは言葉尻が弱くなっていく。
どうやらアラクネより上の者は、私たちの交流を預かり知らなかったようね。
そんな気はしていたわ。
私の存在をアラクネは他に秘匿していたことは、なんとなく察していた。
それは友情、そして私ていど相手にされないという軽視。
また、保身であり私を守ろうと慮ってのことでもあるとわかる。
何より、たぶんアラクネは同じ地に住む者たちを、信用していない。
「…………私の、独断です。申し訳、ございません」
アラクネは、まるで断罪を待つ刑徒のように項垂れる。
ここで処分される可能性もあると、怯えているようだ。
そうなれば私もただでは済まないだろう。
秘匿していたアラクネ、この逢瀬を狙ったかのように現われた神。
つまりは私たちの秘密の交流をわかっていて、問い質しに来たのね。
神自身であるそうだけれど、まるで罪の告解を促す司祭のようにも思える。
そこに、可能性を見出しては駄目なのかしら?
「そうか、困ったな」
神の呟きに、アラクネは肩を跳ね上げた。
私も震えるばかりで、何か不快を催すことをしただろうかと考える。
それとも私と通じることが何か、不都合でもあるの?
あり得ないとは思うけれど、相手は深淵なる知者なのだから、私の考えが及ばない知略を巡らせていて、そこに皇帝の娘である私は不要だった?
「こ、この者は決して神に歯向かう者ではなく、もちろん私に反意などありはしません。ご報告が遅れましたのは、この者を測るための期間を設けたためでして」
「あぁ、それはわかっている」
つまらないことでも聞いたように、神はアラクネの言葉に応じる。
完全に配下を、その思考までも掌握し、そうとわかった上でここに来ているというの?
いえ、私に計れない方だとわかっただけでも十分。
きっとここしかないわ。
私は覚悟を決め、今まで秘密にしていた力を使う準備を密かに始める。
私にはギフトがある。
それは他人の過去を見ることのできる力であり、最初に見たのは父である皇帝だった。
「見たからには知らぬふりもできないか」
神はやはり私たちのことをわかっていて来たのだ。
私は未だ怯えるばかりの自分を叱咤して、力を使おうと集中を始めた。
初めてこの力を使った時、見た父の過去。
それは、魅了のギフトを持つがゆえに周囲に恐れ嫌う者と、利用し近寄る者の二者に別れてしまった辛いものだった。
その上、信仰に逃げた後も、司教や教師たちがその力をどうするかと指示をだし操る姿が続く。
皇帝はそれが正しいと思い込んでいたけれど、私には、それが洗脳と呼ばれる皇帝の意志を無視した行いに思えた。
それ以来、ひどくギフトを恐れ、今まで秘匿していたのだ。
「…………ティダでいいか」
「お、お待ちを! ダークドワーフの将軍は今、ドワーフの国を落とす大業を…………」
「それはもう済んだ」
「は?」
誰かの名を上げる神に翻意を促そうとしたアラクネは、聞き間違いを疑うような声を漏らす。
私にわかるのは、知らない間にドワーフ賢王国という著名な国が、存続の危機に立たされていたことだけ。
「ドワーフ賢王国にはすでに力を示し、クリムゾンヴァンパイアも試したが、少々力が足りない。あれらはプレイヤー側に合流させる。元より太陽神を信仰しているために、こちらには敵対的だったからちょうどいい」
「滅ぼさずに、ですか?」
「ティダはそのつもりだったが止めた。殺して終わりでは、無駄だろう?」
あまりに超越した会話に、アラクネはもちろん私もついて行けない。
国のことを、人々の行く末を話しているはずなのに、まるでボードゲームを楽しむように言ってのける。
瞬間、私の意志とは別に、過去を見る力が発動した。
皇帝の過去を見て、ギフトの秘匿を決めてからは使うこともしないようにしていたけれど、時折この力は私の意志に関係なく発動する。
アラクネの時もそうで、突然知らない過去を見た。
アラクネが私を観察し続けていたことがわかり、すぐさまは襲われないと見て声をかけたのだ。
「…………ひぃぅ…………!?」
「どうした?」
「ウィスタリア!?」
神が先に私の異変に気づく。
アラクネは慌てて、胸を押さえて蹲る私のほうへやってきてくれた。
初めてアラクネの下半身を見るけれど、話に聞いたとおり巨大な紫色の蜘蛛だ。
恐ろしさはあるけれど、それよりももっと恐ろしいものを私は見た。
「あ…………あぁ…………何、なにが? …………あれは」
…………闇だ。
神と呼ばれる者の、過去はただただ闇。
何もない、何も見えない、けれどそこにいる。
喋っているし、行動もしているのに、過去が存在しないかのように闇に塗りつぶされていた。
そんな人は今までいなかった。
時折城に招かれるドワーフを相手でも、この力は過去を見通している。
また、魔物であるアラクネの過去も確かに見えた。
過去が存在しないなんてことはあり得ない。
どの時点の過去を見たのかは定かではないけれど、感覚からして十年以内、二、三年前かもしない。
その期間が存在しないなんてことはないはずだ。
神は何かが違う。
けれど、何が違うのかわからない、計れない、理解ができない。
それがひたすらに怖い。
「ふ、服従を」
私の絞り出した声に、アラクネは息を飲む。
そしてしっかり目を合わせて頷いてくれた。
それが正解だと言うように。
友人の励ましを受け、私は乾く喉をなんとか湿らせようと唾を飲み込んだ。
「神よ…………どうか、お慈悲を…………服従を誓います…………どうか」
恐怖に細い声しか出ない。
けれどなんとか言えた。
神は確かに私を見ているような気がする。
ティダという方が、神の指示で何をするのかなんてわからない。
それでもアラクネが止めようとするなら、きっと関わらないほうがいい相手だ。
私がここで縋れるのは、手を差し伸べてくれるこのアラクネだけ。
私は無意識に、伸ばされたアラクネの手を取った。
すると、勇気づけるように、友情の証のように、手を、握り返してくれる。
生まれた時から私に失望していた母は、こんな風に心を込めて触れてくれたことはなかった。
断罪を待つような気持ちでありながら、私は何処か安堵もする。
一人ではないことが、こんなにも心強い。
「ふむ…………いいだろう。では、ティダの配下が城で活動をしている。その者と協力を取りつけよ。まずはそこからだ」
また新たな人物だわ。
協力とは何をすればいいのかしら?
私は返事をするよりも先に、幾つもの疑問が浮かぶ。
しかも神はそれだけ言うと消えてしまった。
確かにいたのに、一瞬で姿が見えなくなり、最初からいなかったかのように痕跡さえない。
私は訳がわからず、この場でただ一人頼れる友を見た。
けれどアラクネ首を横に振り、神の真意が知れないことを示す。
「ゆ、許、されたの、かしら?」
「…………いや、きっと今のはウィスタリアが加わることを試すための条件だろうね。まずは、配下が誰であるかを捜さなければいけないだろう」
まだ問題はあるけれど、この場は凌げたということだけはわかった。
「…………怖かった、怖かった」
命が長らえたと気づいた途端、私は思わず泣きだす。
そんな私をアラクネは不器用な手つきで優しくなでてくれた。
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