220話:ロッサリーナ
他視点
二日目にしてクリムゾンヴァンパイアの仲間だったバルバロイが逃げた。
契約違反は私たちにも危険が及ぶため、契約の範囲内での言い訳はあったのだ。
それが大地神の印。
あれは私たちの本拠に確実にある。
だからそれを確かめに、一度首都を離脱するというものだ。
「では、片方は残って護衛を続けてもらいましょう。まさか一人で帰れないなどとはおっしゃらないでしょう。そんなことなら、まずあれらから逃げるのが土台無理な話。それならここで七日間耐えたほうが賢明です」
其れらしく言う女教皇の魂胆なんてわかってるし、こっちの魂胆も見透かした上での牽制で。
ドワーフどもは一日で軍を動かし、二日目の午前中にはこの女教皇に指揮権の委譲を行った。
ドワーフどもは一日で思い知ったのだ、劣等種では太刀打ちできない強者だと。
すでに防衛も意味がないことを理解するまでに、一万もの兵と民を犠牲にした鈍さには辟易する。
「こんな所いられるか」
「それは同意よ」
女教皇の条件を飲み、離脱は許された。
その上であてがわれた部屋に引き、お互いに目を向ける。
瞬間、麻痺毒を纏わせた爪が互いに向けられた。
「ぐ!?」
「はは、俺は帰るぞ!」
私の爪は空を切り、バルバロイの爪は私の頬を切り裂く。
すぐさま麻痺して動けなくなった間に、バルバロイは窓へと身を翻した。
私はなんとか痺れる体で窓に縋りつき、飛び立つバルバロイを見る。
次の瞬間、空気を揺るがす羽虫の音が響いた。
「な!? こいつら! 羽虫如きが俺に追いつけると思ったか!」
バルバロイを追って人間の顔のついた醜悪な虫たちが空を舞う。
顔は人っぽいだけで人ではなく、嫌悪を押し殺してよく見れば顔もそれらしいだけの模造品。
目は羽虫特有の複眼で、食らいつこうとする口は左右に別れてぎちぎちと音を立てた。
バルバロイは高くたかく螺旋を描いて上昇を図る。
すぐさま追いつけない虫たちだけれど、刻一刻と数は増し、遠くなっているはずの羽音は大きく強くなるばかり。
雲霞の如く黒く密集して追われるバルバロイは、振り返るとそのあまりにも醜悪な虫の群れに動きを鈍らせる。
それが命取りだった。
「さ、触るなぁ! 虫けらがぁ!?」
足を掴まれ鋭利ではないが引っかかりのある爪をかけられる。
そこからうぞうぞと虫にたかられ、姿が見えなくなったと思ったら、ほどなくズタボロで地面に叩きつけられるのが見えた。
「…………言ったとおり、逃がす気はないようですね」
声に振り返ると、女教皇がいる。
「わかったでしょう? 七日、いえ今日も合わせてあと六日を耐えなければ、我々もそちらも先はないのです。精々仕事をなさい」
言い返せない私に背を向けて、今やドワーフの中でも強権を握った女教皇は去って行った。
「あとがないのはそっちじゃない」
誰もいなくなってから、私は七日の間に滅亡してもおかしくない国に吐き捨てた。
グレイオブシーの時点で自慢の防衛網を突破され、無力化されている。
その上外円の者は逃げて、ここでの惨状がすでに広まっていると見るべきだ。
勝敗など関係ない。
こちらがあの大地神の信徒とどんな会話をしたかも関係ない。
ただ首都が内側から食い破られた。
その事実の拡散を規制できなかった時点で、ドワーフ賢王国の権威は地に落ちている。
「私たちでようやく戦いになる相手がいるのに、虫よ? 確実に手加減されているわ」
グレイオブシーは強敵だった。
最初に私たち二人では相手にならないと言われた時にはプライドが逆なでされたけれど、一日を耐えることに専念するしかなかった状態ではただの事実。
運河から退いて湖に陣取ったグレイオブシーは今も健在。
そして次に送り出さされたのは力が劣る虫のエネミー。
殺さないよう気を使われているのがありありとわかった。
その上でしのぐしかない状況を強要される苦痛は、筆舌に尽くしがたい。
「あぁ、もう! 性格の悪い!」
私は窓枠を叩いてひびを入れてしまう。
けれど本当に性格が悪いところを知るのは三日目以降だった。
「わ、私の回復魔法が効かない!?」
女教皇が戦場だというのに、周囲を混乱に陥らせる叫びを上げた。
三日目はグールを中心とした耐久性の低いエネミーが送り込まれている。
力も虫と同程度、もしくはさらに劣る程度だ。
ただし嫌がらせのように多種多様な状態異常を付与する者たちばかり。
私はその豊富さに戦慄したというのに、女教皇は好機とばかりに神官を引き連れて光魔法を放ち目に見える戦果を挙げた。
回復魔法も大盤振る舞いで、神官たちを引き連れた姿にすでに疲れが滲んでいた兵も奮起し、清く正しい女教皇様の顔で戦意を高揚させていたというのに。
「それは病の状態異常よ! 錬金術師、もしくはアイテムによる回復しか受け付けないわ!」
結局は長老という特権階級のお嬢さまだ。
実戦経験がなく、レベルだけが高いせいでお守りをしないといけないのに。
「バルバロイ! 離れすぎないで!」
「うるさい! 俺に指図するな! 巻き込まないように気を使ってやってんだろうが!?」
バルバロイの怪我はすぐに回復させられた。
女教皇の護衛ということで優先されたのだから体は以前のまま。
けれど逃げ出して虫に負け、多くの目の集まる中失態を演じたために傷ついたプライドはズタズタだ。
でもそれは自業自得。
その上で気が立っていて無駄に大技ばかりを使い疲労を蓄積するのはいただけない。
弱い相手は広範囲の火炎放射くらいでいいのに。
役立つと言えば役立つし、敵を近寄らせなければ状態異常もかからないけれど非効率すぎた。
そう思っていたら、バルバロイを横から魔法が襲う。
見ればねじくれた杖を持つライカンスロープ?
それにしては顔が人間だけれど、羊の角が生えているという見たことのない姿。
「雑魚がぁ!?」
「バルバロイ! そんな安い挑発に乗ってどうするの!?」
嘲笑うように踊る羊角の男に襲いかかり離れようとする。
私は隙を狙う別の羊角男を攻撃して、バルバロイをフォローしなければいけなかった。
その上でまだ対処できない女教皇に指示を出す。
「これ以上前線を渡っての回復は無理よ! 退いて後方で運ばれてくる状態異常を回復して少しでも多くを防衛に復帰させるべきでしょう!」
女教皇のデモンストレーションにこれ以上つき合えないことを、実益を含めて指摘した。
そこはさすがに利益に聡いだけあって、女教皇も即座に応じる。
ただ、本当に性格が悪い!
神官系ジョブの本領かと思えば、対処できない状態異常を交えて来てるなんて。
調子に乗った途端に足元を掬いに来るし、逃げ場はないし、手を抜かれてるし。
「バルバロイ! 退くわよ!」
羊角男を吸血せず嬲るように攻撃していたバルバロイに、私は苛立ちのまま声をかける。
護衛としての冷静さを失くしている相方とは、もう二度と組むこともないけど今は仕事仲間だ。
初日は恐慌、二日目は恐怖からの結束、それが三日目には不安に変わった。
ドワーフたちの感情のあり方がわかっているかのように、四日目にはありえない大風が吹き荒れ、無駄に考える時間を与えられた。
「これは自然現象ではない! 我が国の歴史の中でこんなことはなかった!」
「だったらこれはなんだ!? 人為的に起こしているとでも言うのか! ありえん!」
外に出られず寄り集まった者たちは不安と恐怖に掻き立てられ、不毛な言い合いをする。
その間も途切れず何処かの窓が割れた、扉が外れた、誰かが飛ばされたと報告がやって来た。
休憩と称して退いて来た女教皇も苛立たしげに座った椅子のひじ掛けを叩く。
「これが魔法だというの!? ありえない、あってはいけないわ!」
「お前の世界じゃな」
バルバロイも感情的になっているせいで、女教皇との関係は険悪だ。
私は仕方なく間に入ることで少しでも生き延びるだけの猶予の捻出を計る。
「落ち着いて。バルバロイが言いたいのは、種があるということよ」
「心当たりがあるのですか?」
女教皇はすぐさま食いつくが、嬉しい話ではない。
「高位の魔法なら可能なの」
「それが無理だと言っているでしょう」
「無理じゃねぇんだよ。第八魔法や第九魔法なら風くらい吹かせられる。雨降らせるだけなら第二魔法だろうが」
「範囲と持続時間がおかしいと言っているのよ! それにそんな最上位の魔法を使える者などあなたたちのような不老の怪物以外にいるものですか!」
バルバロイに女教皇が噛みつくけれど、これもまた不毛な応酬でしかない。
そして可能な範囲はあくまで私たち個人の範疇での話。
ノーライフキャッスルの上位者ならば、私たちが使うよりも強力な魔法を扱える。
持続についても、扱えるだけのレベルと数を揃えれば決して不可能ではない。
まさかこれを一人が魔法で起こしているわけもなし。
絶望的な気分で暴風を過ごし、夕方には嘘のように鎮められた。
やはり相手の意志で起こされていた現象だったようだ。
けれど女教皇は自らの手柄にして演説をすると人を集める。
したたかだけれど、防げもしない強者の手の中で何を偉ぶるのだか。
「五日目は太陽が中天に昇るまで何もなし、か」
それが不気味だと思ったけれど、女教皇の演説で意気を盛り返し攻勢に出ようという者もいると聞く。
ただ結果的に私の勘は当たっていた。
「太陽が!?」
女教皇が恐怖の叫びをあげ、私も、悪態ばかりだったバルバロイも声が出ない。
太陽が黒く塗りつぶされるように消えてく。
前日、女教皇が太陽神の加護を謳ったことをあざ笑うかのように。
大地神という名の闇の神が、その力の片鱗をのぞかせるような光景だった。
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