210話:聖蛇
他視点
声をかけられても意識が覚醒しない。
瞼のないこの目がなかなか現実に焦点を結ばない。
見たくもないのに、一瞬夢の情景が鮮明に像を結んだ。
迫る命の終わりを見た途端に、長大な我が身が跳ねた。
「聖蛇さま!? 如何されました? お加減が悪いのですか!?」
ここは我が住まい、我が神殿。
同胞の竜人である神官長が、以前にも聞き覚えのある問いを投げかけた。
「なに、少々の悪夢だ。かつて、そうかつては幾度も苛まれた悪夢よ」
「また予知が悪い未来を見せたのですか?」
「さて、どうだろうな。そちらも報告があって来たのだろう。まずは聞かせよ」
神官長は最近心配ばかりだが、まぁ、自覚はある。
身を揺らすほどの予知を得た、あの大いなる星空の未来に我は不安を語った。
それからほどなく幾つもの変事がこの竜人の島にも聞こえている。
「今度はリザードマンを名乗る紫の者がライカンスロープ帝国に現れたとの報告です」
「同じ個体か?」
「おそらく」
人間の帝国にもいた紫の者は、竜人をスネークマンと呼んで怒らせた。
それだけでも以前の世界の存在と思われるが、圧倒的な力で帝国にいた実力者のライカンスロープたちを皆殺しにしたという。
確定だとは思うが、リザードマンというのは我も知らぬ種族。
五十年前の残滓か、この世界に根付いて五十年で名を変えたか定かではない。
わかっているのはその程度、であるはずだった。
「リザードマンとはいったい何者なのでしょう? 我々に似ているようですが敵対を選ぶとは始祖たる大神への信仰を捨てたとでも言うのでしょうか?」
今の我は首を捻る神官長に対して答えを持っていた。
「同胞だ。大神より出でた個体を祖神とあがめる我らと同祖の存在であった」
「お、それは予知で? ではずぬけた無礼者ですな。とは言え同胞であるなら庇護を考えねば、いや、その前に謝罪と教育をした上で…………」
神官長の思案は気が早いというしかないが、同胞ならばそのように遇せとそう導いたのは我だ。
その末に育った神官長であるなら当たり前の思考だろう。
ここで生き延びるためにはバラバラな村落では耐えられない未来を見た。
かつての世界でもそのために多くの同胞が潰えたのだ。
だから寄り集まり外界の侵入を防ぐ島を得て国を建てた。
「あぁ、名乗った。いずれ我が前に現れて、あの紫の者は名乗る」
奴らはここに来る。
煌めく鎧を見につけたリザードマンの騎士団が。
紫色のリザードマンは人に似た姿に変じてはいたが同胞だ。
名をヴェノス・ヴィオーラスといった。
「ヒセメの系譜を祖神とする我らの同胞。だがヒセメは以前の世界で人により滅ぼされ、行き場を失くした一族をとある神性が拾い保護した。ヒセメは呪いを残して愚かな人間とその子孫を滅ぼし、復讐を達した。それを区切りとしてヒセメの系譜は我々の大神以外を奉るようになった」
「なんと不遜な。我らが大神ほどの偉大な神などおりませんのに」
「いる」
我が言葉に神官長は驚愕し、列を作って従っていた巫女や神官たちも耳を疑う。
今まで言わなかったのは、言っても意味がないからだ。
団結が必要だった、そのために自尊心も必要だった、だから語らなかった。
かつての世界が我々の大神以外に牛耳られた世界であったなどと、言ってどうなる?
「ま、まさか。天におわす神であられるというのに」
「天の神は我らの大神だけではない。同じく天の神をリザードマンは戴いた。故にリザードマンが奉る神もまた大神だ」
「そ、その名は?」
「言わぬ。力ある者の名を軽々しく口にすれば、それは世界へ渡る声となって周知される。故に、言わぬ。我とて大神の直属。だが、格の違う神との差は絶対だ。神であるからこそそれは覆せない」
我が不敬を働けば、リザードマンの大神は我を消す。
これは決定事項だ。
我では奴に敵わない。
大地神。
それはかつての世界を争った四大神の一柱だ。
風神は姑息、海神は傲慢、太陽神は乱暴で、大地神は酔狂だった。
原初の混沌から生まれ落ちた純粋にして善悪の別を持たぬ神が、天から降りて大地神などという枠にあえてはまった故の封印を受けている。
同時に幾千もの側面を分割して現われるという性質故に、大地神という側面が封じられたところで痛痒はないのだろう。
故に酔狂、度し難いほどの破滅的な酔狂だ。
「…………いるのか? この新天地に」
もしや封印されたままこちらに?
それが何らかの要因で解かれたとしたら?
我は気づけば自らを守るようにとぐろを巻いていた。
「神とは、それほど絶対なのですか? ですが、かつて人間たちは異界の英雄と共に神に並ぶ暴威を退けたと伝わるではありませんか」
「神使のことか。あれは神の駒に過ぎない。駒として使われる者が、使う者を越えるわけもないだろう。あんなもの、お遊びだ」
そうお遊びだ。
四大神はかつて我々がいた世界で遊んでいた。
それがまた繰り返されるとでも言うのか? 大地神の降臨は、そういうことなのか?
「何故よりによって…………」
「聖蛇さま、どうかお鎮まりを! ど、どれほどの厄災が待っているというのです?」
いつの間にかとぐろからはみ出た尾の先が懊悩とともにのたうっていた。
「ふぅ、取り乱した。許せ。…………我は、死か服従かを迫られるだろう」
「そんな馬鹿な!? なんたる不遜か!」
「不遜? 我が身を超越する格上の神の使者の前でそれを言うことはできぬだろう」
同胞であった騎士たちは、おぞましい血の道をやって来た。
その中にこの神官長もいたのだ。
不遜などとえない物言わぬ骸となって、血の道を作る骸になり果てて。
「だが、我は問われなかった死か服従か」
「当たり前です! 神になんと! なんという!」
「違う。最初からその選択肢を与えられなかった。あちらの大神は、遊びを提案した」
おぞましく恐ろしい誘いだが、断ればもはや用なしとされる。
予知で我は答えなかったのだ。
いや、応えられなかった。
何故なら絶望しかなかったからだ。
かつての同胞は告げた。
我らの生まれた世界はすでに神々に見捨てられ終わったと。
「神の、遊び? それはいったい?」
「知らずとも良い。加担することなどないのだから」
世界を消費して滅ぼす遊びは、なんと神らしい壮大で無慈悲さか。
決して我では、この卑小な身ではなしえなかろう。考えも及ばぬだろう。
何より同胞をこの世界を、消費するなど考えられぬ。
予知で我はリザードマンに警告した。
破滅に突き進むことになるぞと。
だが大地神の役に立つなら死も恐れずと豪語したのだ。
「あぁ、そうだ。そういう種族だった」
我々は神の遊びに消費される、そのために生み出された種族。
そしてそれを喜びとして生きていたのが、かつての世界の在り方だった。
別の世界、別の理にいてようやくその異様さがわかるとはな。
神が遊ぶには都合がいいだろう。
こうして客観視できたのは、もはや我が身も神の軛を外れた故か?
だがリザードマンは神の下で作られたままだった。
それは我が自覚するよりも変わっていたことを突きつけた。
「…………厳命する。リザードマンと接触するな。この島に入れることも許されない。そのようなことになればもはや安寧はないと知れ」
我が発する厳命に、神官長らは不安そうだ。
だが予知を回避するにはこれしかない。
「世界は滅亡するやもしれん」
「それは、い、異界の悪魔の手によるのでしょうか?」
「あぁ、いや。それももう心配はいらない」
やってくる世界が消えているのだから異界の悪魔に怯える必要はないのだ。
そして対抗できるプレイヤーも、もう新たに現われることはない。
そうなれば脆弱な人間たちだけが残り、我ら竜人を脅かす強敵はほぼいなくなる。
「いや、我が変わったのならば、人間たちも変わるのか? もしくは、我々もまだ?」
プレイヤーは神の遊び相手であり、神への反抗が許され救済措置も用意されていた。
今生きてるのは三人だけであり、それも老齢でいくら老いが遅いと言ってももはや戦力としては衰えている。
問題は、この世界で生まれた異界の血を引く者たちだ。
竜人とスネークマンと呼ばれた同胞の違いは、まずレベルが上がる、繁殖ができること。
この世界で生まれる者たちは弱いが、そこから育つ者はおり、異界の悪魔との対決にそうして育ったこの世界の人間たちは手を貸していた。
つまり、以前の世界のままである我以外ならどうだ?
この世界で生まれ育った同胞であれば、プレイヤーのように神へと反抗することが許されるのではないか?
「プレイヤー、五十年前の英雄に繋ぎは取れぬか?」
「は?」
神は遊びを提案する。
ならばそれまでに鍛えればいい。
神を弑する権利を持ったプレイヤーに育てさせればいい。
プレイヤーは神を倒す権利と能力を持ち、それを使ってこちらの世界の人間は危機を越えて来たのだ。
「ふぅ…………いつかくるとわかっていたではないか。その神の到来が今だっただけだ。ならば今は知れた優位を使わずしてどうするというのだ」
我が身に降った予知はまだ誰も気づいていない脅威のはずだ。
向こうに報せて優位と協力を取り付けるには十分な情報ではないか。
プレイヤーならば、四大神の脅威をその身で知っているはずだ。
無策で挑む愚を知るからこそ、協力の必要性も理解するだろう。
そう考えれば、亜人排除を掲げる神聖連邦より話が通じる相手と言える。
「生き残るぞ、この世界で」
「…………我々は神の子、聖蛇さまにお仕えする身。どうぞご随意に。最も近く居住する異界の英雄は確か人間の帝国にいる者。使者を立てて招く形でよろしいでしょうか?」
「うむ、世俗に疎くましてや人とのやりとりはわからぬ故、あちらが敵対するというようなことにならねば良い」
答える我が身に苦笑を禁じえぬ。
五十年前は神の到来を恐れて島に閉じこもり、我々は力を温存した。
今なら優位を持って結べるはずだとは思うが、保身が何に役立つかわからぬものだ。
だがなんであろうと使わねば、生き残るのだ、神の手から逃れて生き続けるために。
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