203話:七徳の謙譲
他視点
八芒星をかたどる机が中央を占めるだけの部屋。
他に装飾品など一切ない石造りの室内は、ただひたすらに静かだった。
けれどここには私を含む七徳の五人が揃っている。
「そうか、節制までもが…………」
沈黙の後、筋骨たくましく四十を前にした落ち着きを纏う男が、悲哀を込めて呟いた。
七徳の慈悲の名を受ける年長者だ。
「悪い予感はしてたんだよなぁ。救恤が消えた理由もわからないのに、王国の突発行動に乗っかるなんて」
時折未来視にも似た勘を発揮する七徳の忍耐。
細身だがひょろりと身長の高い忍耐が後悔を口にした。
「悪い報告の後で申し訳ないんだけど、帝国のほうも芳しくないわ」
迅雷の如き移動速度を誇る妙齢の女性である勤勉が旅装のまま口を開く。
勤勉は半月前に起こった皇帝暗殺の真相を調べに向かい、戻ってすぐこの集まりに出ていた。
神聖連邦を離れていたことで、今まで節制と共に救恤の死亡も伝えられずいたのだが。
「当ててやろうか? 暗殺犯の目星も犯行動機も何もわからなかったんだろう?」
「そういうこと当てても何もないから」
忍耐の言葉に勤勉は眉を顰める。
私も自然と目元が険しくなった。
目星がつかないのは半月もかかったことで予想していたが、犯行動機もわからないとは。
「王子の誰かではないのか?」
私の問いに勤勉は改めて報告を行う。
「確定的な要素が何もないの。やり方はシンプル。皇帝の寝室に深夜忍び込んで寝ている首を掻き切った。ただそれだけ。侵入経路上で三人殺されていたけど、それを信じるなら外部犯になるわ」
「まさか。帝国の皇帝の住まいに外から入り、一直線に皇帝の寝所へ気づかれず入り込むなどどれほど周到な計画と腕が必要か」
慈悲の疑念はそのとおりであり、逆に外部犯を疑わせるためのブラフに見える。
「うーん、皇太子はどうだ?」
勘を働かせるようにこめかみに指を当てた忍耐が話を振った。
「確かに一番最初に暗殺に気づいたのが皇太子よ。例の直観のギフトを持つ妾が変事ありと告げたとか」
「それを言い訳に自作自演はあり得そうだが、目星にならなかったということは不可能か?」
私の指摘に勤勉は肩を竦める。
「まずどうやって皇帝の寝所に気づかれず行くかね。周囲を買収なんてそれこそ皇帝のギフトで無理よ」
帝国皇帝のギフトは魅了であり、心奪われた者は自らの全力を持って助ける。
特に近くにいる者ほど影響が強く、皇帝の側近は買収不可能であり、こちらからも人を送れば痛い目を見るのだ。
そのため慎重に影響が及ばない場所から、幼少より教育を行ったと聞く。
過去の七徳が乳母や家庭教師をコントロールしながら、今の皇帝を育てたと。
結果、魅了の力を帝国繁栄のためにのみ使う理想の皇帝になったはずだった。
「皇太子も周囲に人が多い。抜け出せば必ず知られる。ましてや殺す動機がないであろう」
「皇帝は継承争いを放置してたが、それでも皇太子を降ろすような意向も見せず。皇太子としてはこのまま皇帝が波風立てずに死んで、順当に継承することが一番だ」
慈悲と忍耐の指摘に、私と勤勉も頷く。
「そうなると他の王子も条件は似たようなものだ。皇太子を脅かす一手もない現状、皇帝を殺して利することもない」
私の意見に皆が頷くと、勤勉はさらに外部犯であっても足跡不明だと明かした。
逆に外部ならば恨みつらみはいくらでもあり、疑いは多いが同時にやり遂げられる猛者は上がらないとか。
帝国を広げるために周辺国からは怨みを買い、同時に攻め滅ぼす間に強者は潰している。
後々使えると判断した強者は、我々が引き抜いて国外に逃がしたがあまり多くはないしこちらの統制下にある。
確かに暗殺を実行しえる目星などつけようがなかった。
「うーん」
忍耐がこめかみに指を当てて唸り出す。
「…………何も考えてないし、利害関係も薄い狂人?」
出てきたのは益体もない言葉。
それでは特定のしようもなければ、命がけとなる暗殺を敢行した収支が合わない。
忍耐を無視した勤勉が、神聖連邦に詰めていた私に目を向ける。
「枢機卿はどちらに?」
「あぁ、そうだ。そのことも確認するよう言われていた。まず枢機卿は白き方の下へ赴かれている。同行者は横笛どのだ」
横笛と呼ばれるのは、五十年前の異界の英雄の一人。
すでに齢八十を越える女性だが、あのダンジョンを踏破できる実力の持ち主だ。
勤勉は頷いてさらに報告を続けた。
「こっちは畑の株どのについてね。節制の二十一士寛容が今、畑の株どのと一緒にこちらへ向かっているわ。私は報告のため先に帰還したの。直接話を聞いたけど、俄かには信じられない内容よ」
寛容は生き残った節制の直属だが、今回の騒動の現場にはいなかったそうだ。
「節制が連れて行った二十一士とその部下は全滅。概念的な全滅じゃないわ。一人も生き残りはいない。そして寛容が率いた援軍も壊滅。突然敵が退いたことで生き残った者がごくわずか」
慈悲が静かに犠牲になった者たちのために祈る姿に、私も瞑目して倣う。
「英雄も動く事態なら、そう言うこともあるってわけか。…………五十年後に見据えていた世界の危機が、前倒しになったと思っていいのか?」
何か勘づくものがあったのか、忍耐がこめかみを押す指を下ろして聞いた。
「英雄はそう思っているようよ。生き残った三人だけでは手に負えない敵が現われた可能性が高いそうなの」
私たちの間に緊張が走る。
思えば横笛どのも急に現れた。
異界の英雄には遠く離れてもやり取りできる術がある。
それで危機をいち早く知り、白き方の下へと向かったのだろう。
「畑の株どのはレベル上げを推奨。レベル百が最低限になるかもしれないとのことよ」
「おいおい…………」
「むぅ、なんと遠き道のり」
勤勉も言っていて渋い顔になっていた。
忍耐が呆れて言葉が続かず、慈悲も難しいことを承知で唸る。
私もレベル六十という最低限には達したが、時間がかかったし常人以上の修練が必要だった。
私は節制と並んで若い上に、今生き残っている中では最後に到達している。
レベル百という頂への道のりが一番遠いのは私だ。
節制は師がレベル至上主義のような方で、年齢の割に早く最低限を突破したが、その分大変な苦難を強いられたという。
「異界式レベル上げをすべきだと言われたわ」
さらに続く勤勉の言葉に私でも溜め息が漏れた。
「それは、命を削ってでも早急に強さを得ろとおっしゃるのだな?」
異界式は死ぬギリギリを攻める狂気の修練。
異界の英雄が豊富に抱え込んだ物資に物を言わせての短期集中型だ。
けれどあまりの過酷さに戦意喪失する者や、力に酔って暴走する者が後を絶たない。
そうでなくても回復する機会を逃せば即死亡という過酷さだ。
勝てない相手にあえて立ち向かう方法でパワーレベリングと言うそうだ。
「俺ら、折り返しの五十年でしっかり後進育てるのが役目だったんじゃなかったか?」
忍耐が愚痴るように呟く。
忍耐は力もある、技術もある、魔法は不得手だが使えないことはないオールラウンダーだ。
すでに後進育成に手をつけようとしていたところで今日の集まりと、王国西での異変の報告。
私たちはあくまで次の五十年の間に異界の悪魔を倒しうる戦力を育てる育成者であり、即戦力はまだ育てられていない。
「節制は早すぎた」
慈悲が後悔するように首を横に振る。
筋骨隆々だがその力は耐久に優れ、器用なほうでもなく守りと補助を司る戦い方をする。
節制は次の五十年後にも生きていることを想定して若く才能ある者が選ばれた。
そして魔法を多様に駆使してアイテムを使い分け果敢に攻めていく攻撃のかなめに育ったのだ。
救恤は才能については私たちの中で一歩遅れるが、後方支援としての活動に優れ部下を使い人心を操ることに長けていた。
よく後進を育てていたが全員がすでに亡き者と思われる。
「やはり西に何者かが潜んでると見て?」
「いいと思うわ。そちらに強敵がいるらしいというのを寛容が言っていた。黒いドラゴンだったそうよ。ただ畑の株どのはもっと別の存在も示唆されている」
私に応える勤勉は、異界の英雄も明言を避ける何かがいると答えた。
だからこそ余計に思う。
「してやられているな。最初は公国と思っても?」
「いいと思うぜ。思えばあれが何者かの最初の一撃にして、こっちの対応を遅らせる痛恨の一打だった」
忍耐は取り戻せない過去を悔いるように天を仰ぐ。
公国で巨人が死んだ。
謎めいた死と、目撃者の発狂による不明確さと不気味さが今も印象に残っている。
そうして驚天動地の事態へ意識を向けている間に、王国で私たちの目の役割をしていた救恤が殺された。
それも部下もろとも一人も漏らさず完璧に。
これもまた動きを鈍らされる痛打だった。
「王国の継承争いなど問題ないと思っていたら、共和国が内部で殺し合いをまた再燃。そして帝国でレジスタンス。これもまだ補修可能と思っていたら皇帝暗殺。まさか全てが同じ者の掌ということはなかろうが」
「いや、どうだろうな」
慈悲のぼやきに勘の鋭い忍耐が否定をしないどころか、思い込まないよう口を挟む。
可能性があるという点を理解し、私たちは沈黙した。
ただ今度の沈黙は静かではない。
焦燥の混じった沈黙の音がしそうな緊張感が室内を満たす。
「このままでは人間の結束が遠のくばかり。英雄もすでに三人のみ。ここで世界の平和を守る要となるべきは私たちのはずだ」
私はあえて強く声に出した。
年若い私の言葉を笑わず、慈悲も忍耐も勤勉も頷いてくれる。
人々を救う崇高な目的は同じ仲間だ。
たとえ困難でも立ち向かう未来を提示されても、退くわけにはいかない。
それが私たち七徳に与えられた使命であり、七徳と名乗る誇りでもある。
欠けたとしても変わらぬ存在意義だ。
「レベル上げに使えるアイテムの確認が必要だ。そして、欠けた七徳の座に座れる者を枢機卿に推挙しなければいけないな」
心と意思は不退転だ。
だが、それはそれとして目の前の問題には溜め息を禁じえなかった。




