194話:二十一士寛容
他視点
王国で任務に当たっていたはずの節制からの連絡は予想外でした。
上手くいってると思っていたのに、まさかの敗走の報せとしか言いようがありません。
こちらの苦しい状況を言っている場合ではないでしょう。
王国でダンジョン調査にかこつけて、救恤が消えた謎を追っていたことは想像できます。
ただ強敵に出会い、とどめが刺せず、五十年前の英雄を頼るとの指示には理解が追いつきません。
その報告だけでも耳を疑ったのですけれど、国境の山に分け入れば、節制を戸惑わせる異常はすぐに私にもわかりました。
恐ろしい数のレイスが湧いているのです。
死者が変質すると言ってもあり得ない数の上、しかも強い。
強いレイスだなんて、なんと言う矛盾でしょう。
「寛容! 新たに届いたのは三の零、九十六の三と四、六十六の六、零の五十二!」
部下が私に符丁を報せます。
次々に届くけれどどれも思わしくない報告ばかりでした。
その中でも零がつく符丁に、私は思わず息を詰めてしまいます。
「節制…………」
朗らかな少年でした。
届いた符丁の意味するところは、敵の情報により節制死亡の可能性濃厚。
いいえ、今は私の感傷などどうでもよいのです。
まだ届く符丁の意味を理解し、託されなければ。
「次に四十の十! 三の二十四! 七十五の六十! 五十九の零と六十一!」
未確認の魔物、亜人の可能性、畑の株へ連絡、追跡、執拗な追跡。
頭の中に暗号表を叩きこんだ私にわかる内容から、さらに伝えるべきと判断した意図を探ります。
追跡と重ねているのはもう近くまで来ているという警告では?
「すぐにこの陣を払います! 私は先に出ます! 必ず二人一組、ですが固まらず行動を!」
すぐさま用意していた馬と節制を迎えるために用意した陣を発つ私に、部下が四人ついて来ました。
隊長格の一人が意を決した様子で質問をします。
「戻らぬ者は、七十を越えました」
「この事態で情報が途切れない僥倖を喜ぶべきでしてよ」
人数を集めていたのはライカンスロープのためで、船でやってくる集団を相手にこちらも頭数が必要でした。
同時に戦働きをしてもらうためにも負けないよう、情報をいち早くライカンスロープに届けるための協力体制を思ってのこと。
それがこうした使い方になるとは思いもよりません。
「ライカンスロープがいないことで全員を動員できる状況になったのは、幸か不幸か」
用意した駿馬に乗って、今ある情報だけでも畑の株という符丁で表される英雄の下へ届けるのが今の私の最優先事項。
「符丁の内容をお聞きしても?」
この部下は慌ただしく指示だしをしていたので、全てを耳に収めたのは私だけ。
そして節制が指示した符丁全てが届いたと見て移動を始めたことは察したようです。
すぐ走って目立つわけにはいかず、今はまだ徒歩でいるため話す余裕はありました。
ただレイスは周辺に迫っている上に、どうやら追っ手と連携している様子。
刺激しないように離れる間に、必要なことは伝えておくべきでしょう。
「節制は斃れた可能性が高いようですわ。敵は仕留めきれず、英雄に止めをお願いしようとダンジョンから移動しました。途中追っ手に遭い、異常に強いレイスは私たちも確認しましたね。その他にダンジョンで死んだ探索者がゾンビ化しており、ネクロマンサーの可能性があるため、自害を推奨されています」
「本当にネクロマンサーが?」
「節制が霊がいるなら操る者がいた時のためにと、鎮魂の霊薬を求められたのは正しかったのでしょう」
一度ダンジョン調査を出直した際に、二十一士とその部下の分の毒ともなる霊薬をかき集めるよう帝国にも指示が来ました。
慎重すぎるという部下もいたけれど、私たちは秘匿された集団であり、情報漏洩が最も案ずべきです。
そう納得して送った結果がこんなことになるとは。
届く符丁の中には声を繋いだ部下が追加情報を加えています。
けれど最初のほうに節制は残って対処とあったのですから、きっと霊薬を使用したことでしょう。
「符丁に巨大な化け物とあったのはなんだったんでしょう?」
「巨人か別の何者かかはわかりませんけれど、山向こうで目に見える異変があったのは確かですわね」
山の陰で確かに見えずとも、光を伴う異変があったことは確かに私たちにも見えました。
中には爆発音や木々が燃える音を聞いたという者もいます。
そんな中、届いた符丁は五種類。
そこに次々追加情報で符丁の数は増えていました。
中には意味のないダミーの符丁をあえて伝達した者もいますが、こちらは私が増援として放ち、帰らなかった者の策でしょう。
ただ最初の三つから四つ、そこが二十一士からの伝言。
節制が何をしようとしていたかの伝えようとした内容でしょう。
節制でも殺しきれなかった女性型の魔物を移送中であること。
五十年前の異界の英雄の下へ向かえと節制に命じられたこと。
それ程の脅威であり、同時に女性型魔物の殺害には失敗したこと。
「節制と別れてから巨大な化け物が現われ、それが未曽有の混乱を招く攻撃をした。それとは別に追う者がいる。レイスでもない屍霊でもないそうです」
「節制が対処できないなど、いったい何者が…………」
「それを聞くためにも。さ、ここまで来ればよいでしょう。馬に」
そう言うと同時に、上から影がかかりました。
見上げるとそこにはずらりと並んだ牙。
声を上げる暇もなく、すぐ近くにいた部下が牙に挟まれ釣り上げられます。
「走りなさい!」
私はちょうど跨った馬をすぐさま走らせ、残った三人の部下も一拍遅れてついてきます。
私は山林から出て街道へ踊り出し、目立つなどとは言っていられない状況からの逃避を選びました。
そして振り返って後悔します。
「ドラゴン…………!?」
空を飛ぶ黒く長大な体、広げた羽根は蝙蝠に似ていますが、禍々しい爪のようなものが生えていました。
口から涎と血を溢れさせる醜悪なさまは、怖気を催す邪悪。
けれど同時に嫌がるように遮るもののない街道を離れます。
忌々しげに太陽に吠え、影へと逃げたのは神のご加護のように思えました。
「太陽を嫌うなら屍霊系? けれどそんなドラゴンなんて今まで…………いえ、未確認の巨大な化け物!」
これのことですのね!
今まで気づかなかったなんて、いったいいつの間に迫っていたというのでしょう。
何より未曽有の混乱を生むという攻撃も持っているのです。
今は食らいついただけで、ごく単純な動きですが、もっと恐ろしい手を隠してる可能性が高いでしょう。
「全霊を賭して逃げますわよ!」
そこからは地獄のような逃走でした。
「は、はぁ、はぁ…………」
息は乱れ最初の馬はすでになく、部下の一人もおりません。
ドラゴンは人間を食べる衝動が強いらしく、いくつかの村を囮にしてしまったのは痛恨事でした。
今乗っているのもそうして犠牲にした村にあった馬。
さらには異臭を放つ獣が現われつかず離れず私を追いかけました。
符丁に迅雷の如き速度とあったけれど、この獣のことかもしれません。
つまり、符丁で届けられた情報は複数の敵の可能性も考慮しなければなりませんでした。
「はぁ、はぁ、もう、少しで…………」
私は帝国をひたすら東へ逃げ、隠棲する英雄を求めて走りました。
節制のため、二十一士のため、部下のため、民のため、私が伝えなければならないのです。
何より節制が倒しきれなかったなど、世界のためには放置はできない問題。
私がここで斃れれば、誰に知られることなく存続させるだけ害悪が蔓延ってしまいます。
馬が倒れましたが、鞍もつけずもったほうでしょう。
ただ疲弊しきった私は受け身も取れず転がるしかありません。
それでも立ち上がり、僧形のための頭を覆う布をはぎ取って先へ向かいました。
「見え…………あぁ!? いや! 来るな、くるなぁ!」
私は異臭の獣の姿を見つけて叫び、目的の家へと目を向け、棒のような足を動かして向かいます。
その目を離した一瞬で距離を詰められ、その姿をはっきりと見ていしまいました。
顔はないのに顔のような部分があり、鼻先と思しきものは突き出た口の一部でしかなく、耳だと思っていたものは角のようにも結晶のようにも見えます。
黒っぽいと思っていた体はぬるりとした光沢があり毛がないためでした。
「ひぃ!? 誰か!」
凡そこの世のものとは思えない獣に、私の口をついて悲鳴が漏れます。
すると私ににじり寄っていた異臭の獣が跳びのきました。
そう思った時にはすでに、醜い獣は両断されているのです。
「こりゃ驚いた、スライムハウンドじゃないか。こんな所で見られるとはな」
「あ、あぁ、あぁ! 英雄! 異界の英雄さま!」
両断した大剣を握っているのは、老いてなお壮健な肢体を持つ白髪の英雄。
八十を越えるはずが六十程度に見える奇跡の方。
異界の英雄は老化が遅いそうで、その血を受けたこの地の者もごくまれに同じように老化が遅くなるそうです。
そう節制に聞いた時には、まさかその異界の英雄をこれほど近くで見ることになるとは思ってもおりませんでした。
「大丈夫か? ずいぶんぼろぼろだ。それに、異界なんて言うってことはお前さん、七徳関連だろ?」
「はい、はい! わたくしは節制の…………!」
「ちょい待て。こりゃどういうことだ、はは」
英雄が私を後ろに引いて、大剣を構えた先では異臭の獣が次々に現れていました。
六体が現われた時点で私は眩暈がしますが、さらに四体増えて絶望が湧きます。
だというのにさらに五体増え、十五体になってしまいました。
「逃げるどころか揃ってお出ましとは、こりゃ、ゲームほど上手くいく気はしないなぁ」
ぼやくような英雄のお言葉は、何処か嬉しそうな響きがあります。
その逞しい背を見つめていると、肩越しに振り返られ、目が合いました。
「あいつら何処にでも現れる。俺から離れるな」
「は、はい!」
向けられる笑顔に私は声を上ずらせて返します。
疲れていました、弱気になっていました。
その上で私は、老いたりと言えど英雄の力強さに頬が熱くなったのでした。
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