186話:イブ
他視点
悔しい悔しい悔しい悔しい!
私は上手く動かない口の代わりに心の中で叫んだ。
けれど溢れる涙は止まらないし、声を放って神のお耳に入れるなんて恥ずかしい真似もできない。
「ふぐぅ…………! うぅ…………」
私が気が付いたのは神からのメッセージが届いた瞬間。
それまで自分が気を失っていたらしいことすらわからなかった。
周囲は暗く視界は利かない。
耳に聞こえる音は何かを隔てているせいで判然とはしないけど、草木を踏む音は確かにわかった。
乱暴に運ばれ明らかに異常事態で、体の痛みで負けたこともわかる。
けれどどうして負けたかわからない。
あと臭い!
血塗れで不愉快!
せっかくのドレスが、髪が! なんてこと!
「助け、なんて…………」
父たる神は私の失態を知っている。
その上で助けようかとお声かけくださった。
なのに私はどうしてこうなっているのかもわからないし、意識はあるのに身動きが取れない。
力を入れて脱出すべきなのに体が言うことを聞かず、無力さと屈辱に涙が溢れる。
きっと今、私はとても情けない姿をさらしているのだ。
こんなの神としてありえない。
父たる神はそんな私にも助けの手を伸ばしてくださる。
なんて慈悲深い方だろう。
それと同時に分身である自分の私の矮小さが身に染みた。
だからこそ悔しい。
「魔剣は胸に刺しておこう。僕は魔法使いだし剣は使いにくい。けれど刺すだけなら効果も発揮するだろう」
人間がゴチャゴチャうるさい。
しかも乱れる感情のまま涙していたら、いつの間にか草木をかき分ける音はしなくなっていた。
なんて失態だろう。
状況の変化にもついて行けていない。
こんなことでは父たる神に分身として不相応だと見限られてしまうかも…………。
そう思ったら血なまぐさい布が捲られ視界が開けた。
何処かの室内で、私を覗き込む人間たちに囲まれている。
警戒して辺りを見なきゃいけないのに涙が止まらない。
そのせいで視界がぼやけてむき出しの木の板の天井くらいしか判別がつかなかった。
「泣いてる? あれだけ強気だったのがいったいどうしたというんだ?」
「やはり意識があったか。だが、敵意はないように思える。これも効果の内か?」
「泣くのはどういうことだ? 死を前に恐怖を覚えたという感じでもないだろうに」
私を囲んで人間たちは勝手に喋る。
こいつらも状況は把握していない?
けれどこれだけ近く私の側にいてのんきに意見交換なんて。
私が今動けないのはこいつらの思惑どおりということね。
人間如きにいいようにされているなんて屈辱以外の何者でもない。
これが強者が相手ならまだしも、伝わる空気感から絶対私のほうが強い。
なんとか指の一本でも動けば指先を切って凍える血を撒き、この場の人間すべての肺を凍らせるのに。
実らない努力をしようとした時、さらにメッセージが届いた。
『そちらはどうなっている? 無理はするな』
なんて優しいお言葉!
私は神の慈悲深さに打ち震えた。
「ひぅ…………!」
「さらに泣きだした? これは本当に乙女の骸布のせいか?」
「動きはしないならまだ効果は続いているのは確かでしょう」
人間がうるさい。
大神のお言葉を噛み締めているのに本当に邪魔ね。
普段素直にお言葉を聞く機会なんてそうないし、私はずっと一人で神の領地の外に出されていたから父たる神だというのに意地を張ってしまって…………。
いえ、これはこのままでは駄目よね。
そうよ、神は手助けはと聞かれたのよ。
か、神が私を気にかけて手を差し出してくださってるのよ。
ここは意地を張る必要もないし、手を貸すってことは主体は私。
だったら今も私が対処すべきだとお考えの上での御下問のはず。
ここでさらに期待を裏切ることなんてできない。
私は涙で滲んだ目は使えないから耳を使う。
呼吸の数と足音、声の質、高さで個人を特定し、室内には十五人がいることを捉えた。
別の部屋にも同じくらいいそうな音がする。
「やることは変わらない。剣をくれ」
そう声を出したのがトライホーンの少年だ。
たぶんこいつに負けたはずだけど、どうして負けたのかわからない。
けれど現状動けないのは事実なのだし、だったら今のまま私一人では対処できないかもしれない。
素直に、何も恥ずかしある必要はないわ。
一時手を借りて、自分で挽回するのよ。
大神が自らお声かけくださったのに、意地を張って差し伸べた手を叩き払うほうが駄目。
そんなことしたら、可愛げがないって今度こそ見捨てられてしまうかもしれない!
「…………おぉ、神よ」
ただ不安は拭えない。
助けを求め手を煩わせる。
それでやっぱり信徒の一人もいない神なんて役に立たない。
そう思われたらどうしよう。
そんな焦りと恐怖で声が震えた。
『無事か、イブ』
呼びかけにすぐさま答えられる。
私の目には新たな涙が浮かんだ。
「お許しください、神よ」
「魔物が神だと? 気でも触れたのか」
「いや、神に許しを請う魔物など今までいたか?」
「まさか亜人だとでも?」
本当に人間がうるさい。
私と父たる神の会話を邪魔しないでほしい。
余計なことは言わないようにしないと。
強気な自分なんて今さら取り繕っても遅いんだから。
神としての誇りだって、父たる神に縋る今は邪魔よ。
「神よ、この失態を挽回したく存じます」
私が神に希うと、トライホーンの少年が息を呑んだ。
「待て、まさか竜人たちのようなことはない? 聖蛇のようにまとめ上げる高位存在がいるということは?」
その言葉で人間たちは息を呑む。
トライホーンの少年はいち早く声を上げた。
「すぐに馬を出して情報だけは! 我々はすでに捕捉されている! 行け、二十一士!」
「はい!」
「く、ご武運を!」
二人が駆け出すと、三人ほどが後を追う。
『落ち着け。挽回などと無理はするな。体力が五分の一だ。守りに専念しろ。私がやろう』
私の状態を把握する父たる神は自ら力を振るうことも厭わないようだ。
私を作られたお方、私の父、神である私の上に唯一おられる大神。
この方に恥じぬようあろうとしたのに。
いずれは側近く並びたてる神にも上ることを夢見ていたのに。
けれどそれがこの体たらくでは父たる神のお力に縋ることすら躊躇われる。
「そのようなお言葉もったいなく…………」
今はせめて挽回の機会が欲しい。
そう言おうとした私の言葉に、トライホーンの少年が剣を受け取りつつ鋭くこちらを見た。
「外部とやり取りをしているのか!?」
言って、手に持った剣を振りかぶる。
そして体重をかけて私の胸に突き立てた。
衝撃と共に布が破れる。
「ぐ、少しは通るけど、やっぱり剣だと本来の力は出ない…………!」
トライホーンを扱えるだけの魔法使いであるからこそ、剣を持っても威力なんてひっかき傷程度にしかならない。
それでも何度も私の胸に突きたてようと振り下ろし続けられれば痛みは増していく。
『何があった? 体力が少しずつ削れているぞ?』
心配してくださる言葉も、神は私を見守ってくださっている証左で喜びを覚えた。
こんな程度の傷、いえ、だからこそもしかしたら神としても分身の失態を我がことのように重く受け止めておられる?
だからご自身が対処なさるとまでいうのかしら?
これはやはり私自身が挽回しなければいけない。
だって私は大地神の分身なのだもの。
「神よ!」
「口を塞げ!」
トライホーンの少年の指示で他の者が私に殺到した。
「神よ!」
殺到しすぎて逆に私の口を塞ぐ邪魔になり、呼びかけ願う言葉を阻止できない。
「どうか私の封を解き! 本来の力を!」
本来の力さえあれば戦える。
神としての力を振るうなら人間などには負けない。
神の定めた海上砦の選別者としては失格だけれど、分身として挽回するならば持てる力を発揮せずしてどうするのか。
「この! 刺され!」
剣先が皮膚を破って入ってくる。
父たる神が言うとおり私は弱っているようだ。
それだけの傷で死を感じる。
父たる神が望まれるとおり、私が守りに専念するならばそれもまた本性であるべきだ。
そして本性に戻れたならば負けはしない。
「神、よ…………」
きっと私は父たる神の求めに答えられる。
けれど、やはり神の決まりに背くのはいけないことかしら?
私は本来、大地神の大陸を踏破した勇者の前に現れるべきなのに、こんな海上砦の謎も解けない者相手では…………。
『いいだろう』
父たる神の返事に私は目を瞠る。
「もう少しだ! 茨と金冠の準備を!」
トライホーンの少年が吠えるように指示を出すと、周囲も動く。
私は乱暴に口を閉じられたけれど、神はすでに決められた。
もう遅い。
『プログラムコード、イブリーン・ティ・シィツー』
神が告げた言葉に私の体は反応する。
イブリーン・ティ・シィツー、それは私の神の名。
体がその名を受け入れるように変化が起きた。
「なんだこの光の膜は!? 押しのけられる!?」
トライホーンの少年は、押さえ込もうとするけれど、私に突き刺そうとした剣が浮いて、自身も光の膜により後退させられる。
私の口を塞いだ者たちも光に圧されて意に添わず距離を取らされた。
どころか狭い室内で私を中心に広がる光が膨らみ逃げ場を失くしていく。
「まずい! ともかく室内から退避だ! 結界の類なら破壊には手順が必要だ!」
トライホーンの少年の号令で室内にいた者たちは一つしかない出入り口へと向かった。
「ぎ…………!」
出入り口から遠く、部屋から逃げ損ねた者が壁に挟まれて血反吐を吐く。
それでもなお広がる光は壁を押し曲げ崩壊させた。
「あぁ…………」
私は解放を感じてゆっくり目を閉じる。
光の膜が広がると同時に力が満ちた。
解放が近づく。
光の中、私の体は溶け崩れ、汚らしい布から解放されたのだった。
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