182話:七徳の節制
他視点
僕は森の中をひたすら北へと進んだ。
朝の光が木々を透かして照らし、視界の端に赤いものが舞う。
「く、乾いて来たか」
それは乾いてはがれた血の欠片。
発生源は黒くなり始めた乙女の骸布だった。
包まれた者の存在は零れ落ちる水色の髪しかわからないほど動きはない。
乱暴に抱えて森を移動し、足場が悪い分運搬も雑になるが声一つ漏らさなかった。
「節制、やはり止めを刺すべきでは? このまま乙女の骸布の血が乾いてしまえば効果は切れてしまいます」
その目でイブと呼ばれる吸血鬼と思しきボスの力を見た二十一士が焦りを含んで提言する。
共に捕まえたからこそ、もう一度捕まえることはできないとわかっているのだ。
「僕は…………殺しきれなかった。それが答えだ。すでに追っ手がかけられていてもおかしくない。今は馬の元まで走るしかない」
不測の事態を想定して、ダンジョンから離れた場所に馬が用意してある。
馬に乗って移動する先は帝国だ。
「もはや止めを刺せる方は英雄しかおられまい」
「しかし、それまでもちません」
帝国に隠棲される、五十年前の異界の悪魔と戦った英雄。
齢八十だが確かな強者であり、帝国で活動する中で幾度かお目にかかった。
数々のアーティファクトを操るあの方なら、このイブに止めを刺せると僕は確信している。
「今からまた攻撃すればどうでしょう? すでにダンジョンは遠く、今なら死ぬまで攻撃を続けることもできるのでは?」
「だが、グレーターデーモンは外まで追ってきた。あのグレーターデーモンだけが特殊だとは言えない」
今までのダンジョンでは、ダンジョン内部で発生した魔物は訳もなく外には出なかった。
出る時にはそれだけエネミーが満ちて時間も経っていることなど条件がある。
「ダンジョンと共に現れた異界の悪魔はダンジョンを住まいとして守る。知能の高い者が住んでいれば、時間と共にダンジョン外でも活動をするが、それとともに人口にもあがる」
だが今回のダンジョンは違う。
いや、そもそもイレギュラーだ。
外から魔物を招き寄せるなど聞いたことがない。
そして知能が高いと思われるのは悪魔やイブなのだが、ダンジョン内部で生活を営んでいるような形跡はなかった。
つまりエネミーがダンジョンに満ちて外へ出て行くという条件を満たしていない。
だいたい独自に動くようになると、ボスとして待ち構えてることも少ないと聞く。
ダンジョンの機能をそのままにはせず、防衛に手を入れることが多いそうだ。
友好的か、もしくは防備を設えて自らの領地を保全するならば亜人と呼ぶ。
ただ人を襲い害するなら異界の悪魔として討伐し、ダンジョンを攻略してそれまでいた者たちを殲滅するのが七徳での決まりだった。
「あそこは何かおかしい。英雄どのであれば知っていることもあるだろう」
「しかしやはり時間が…………」
二十一士は不安げに乾く乙女の骸布を見る。
「馬と共に可能な限りの弱体化アーティファクトを用意してある」
「節制が削り切れなかったのに、それで押さえられますか?」
「やるしかない。僕の魔力を使い切っても無理だったんだ」
殺しきれなかったのは魔力切れを起こして薬で回復しても足りなくなったせいだ。
女性特化の杖で魔法を放ってもなお、無抵抗のイブは息があった。
「不安はわかるがあそこで撤退を指示した節制の決定に間違いはないだろう。オークプリンセスは逃げ、グレーターデーモンが現われた。援軍の用意があったんだ」
イブと戦ったもう一人の二十一士が厳しい顔で僕を支持する。
僕たちはイブを袋叩きにしたけれど、二十一士では肌を赤くすることもできなかった。
僕の魔法を撃ち続けても、怪我はさせられたが致命傷にはならず。
薬が最後の一つになった時に、聖堂内部に潜んでいたオークプリンセスが逃走した。
確実に逃げるため、僕たちが疲れ切るのを待っていたんだろう。
つまり、隠れ続けるよりもあの場を脱すれば生き残れる可能性、援軍を呼べる当てがあるのだ。
「まるで岩を殴るような手応えだった」
「下手な打ち方をすればこちらが怪我を負うほど強固な肉体とは」
「そうでなくても体力を消費しているところにあれは致し方ありません」
僕の感想に二十一士もイブの異常性を思い出すようだ。
オークプリンセスを追おうとしたけど、僕たちは疲れで反応が鈍っていた。
さらに外まで追うとした時、グレーターデーモンが襲って来たのだ。
「グレーターデーモンも出入り口が一カ所という利点がなければ危うかった」
逃げ場のない相手を的にして削り切ったが、その時点で僕は消耗が激しかった。
これ以上の継戦は無理。
だからと言ってイブをこのままにはしておけない。
この機を逃しては次はないだろう強敵なのだ。
倒せる方の下まで運ぶため、イブを抱えて聖堂を出ると、別のグレーターデーモンに襲われた。
一体でも強敵な上に間をおかず次が現われたのだか、あの場に留まっていては複数のグレーターデーモンにこちらが袋叩きにされていたかもしれない。
撒いて逃げると街の中でも別のグレーターデーモンに追われ、そのままダンジョン外に逃げても追走された。
二十一士の配下たちも加勢してようやく倒したけれど、いったいグレーターデーモンだけで何体いるのか。
「アイテムの消費も多い。つぎまた揃えられるかはわからない」
悪魔と霊に特化した武器防具を、七徳の権限で帝国から持ち出している。
「帝国に戻ったら、イブは結界に入れて様子を見る」
「そこまでもてばいいのですが」
馬は潰すつもりで行くしかない。
馬の命にかかわるが、速度上昇も限界までかける。
神聖連邦ならもっと対処もできるけれど、ここは本来僕が担当していなかった場所だ。
備えと手段の少なさを嘆いてもしょうがない。
「事前情報がなさすぎるのがまずかった。せめて強さの片鱗でも聞こえていたなら」
「救恤はやはりあそこで消息を絶ったのでしょうか? 手がかり一つ残す暇もなく」
二十一士の問いの答えなど、僕にもわからない。
強ければ強いだけ被害が聞こえるもので、五十年前に現れたなら前例があるはずだ。
調べてもなかったため、枯れダンジョンか知能の高い魔物はおらず対処可能と見たのは間違いだった。
「…………五十年何も問題が起きなかったのは、巨人のせいかもしれない」
神聖連邦に協力する白き方と呼ばれる巨人がいるが、ここにも白き方の同朋がいると聞いた。
この山脈にいるという巨人は、人間に積極的に手は貸さない。
けれど周辺に異界の悪魔がいた場合は対処すると約束するくらいには世界のために戦う心づもりのある方だった。
その巨人が最近動いたために、奥地から見知らぬ魔物が現われたという。
もしかしたら見知らぬ魔物とは、あの未踏のダンジョンから悪魔が出て来た可能性があるのではないだろうか。
今まで報告なかったのは巨人が押さえていたからでは?
「この五十年、あのダンジョンについては巨人が対処をしていた。けれど何かあって動き、その後対処ができずイブたちが動いた?」
「なるほど、別の脅威の可能性ですか」
二十一士は深刻な顔になる。
黙々とイブを運び周囲の道を開く部下たちもこちらの声を聞いて緊張を高めてしまう。
だがその可能性に気づいたからこそ僕は逃げを選んだ。
イブで終わるなら命がけで殺す。
けど他の脅威がいるなら僕がここで潰えては意味がないし、イブが殺害可能であることを確かめなければいけない。
「あ! 帝国側から連絡が参りました!」
魔法を纏った伝書の鳥を見つけ、二十一士が声を上げる。
動物に魔法はかけられるが、体の小さい者は魔法で強化されると寿命を縮めるためあまり行われない。
それでも鳥を飛ばしたとなれば、帝国側の二十一士がこちらの窮状を知った上で寄越したのだろう。
部下が鳥を捕まえて伝書を開き確認する。
その間も僕たちは足を止めない。
「すぐに越境のための人と馬を用意するとのこと。帝国内部での移動も請け負うとあります。ただライカンスロープの助力は問題があり無理だそうです」
ちょうど西の港で活動していた二十一士からの連絡らしい。
ライカンスロープは別に動かす予定だったのでしょうがない。
いたら戦力になるだろうというついでだ。
ライカンスロープは生まれながらに人間より優位な力を持ち、その上で『砥ぎ爪』の中でも荒事担当が来ているはず。
二十一士より腕力があるだろうからイブに傷がつけられる可能性もあったがいないなら固執する必要もない。
「馬が潰れるのを気にしなくてもいいなら十分だ」
この山脈沿いの森から北上し、救恤も使っていたアジトへ向かっていた。
そこに物資を溜めてあるのだ。
そこまで走って、できるだけイブを封じる手を講じる。
そして馬でさらに北上し、国境を目指すのだ。
馬に乗った後は街道を急いで時間短縮を優先することを周知する。
「状態異常をできる限り強くかけて、いや、それよりこれ以上血が乾かないよう対策をしてからのほうがいいか?」
僕は走りながら対策を上げた。
「五十年前の英雄でも殺せなければいったい我々はどうすれば?」
部下の中から不安の呟きが聞こえる。
僕はあえて軽く応じた。
「神さえ殺せると言った方だ。何より神聖連邦本国に納められる強力なアーティファクトと同じものを持ってさえいる。かの方曰く、異界では英雄たちが殺せない存在はいなかったそうだ」
調子のいい方ではあった。
けれど実力は確かだし、見せていただいたアーティファクトも本物だ。
本国を頼るより確実に僕より強い方が近くにいるのだから頼らない手はない。
難を言えば、帝国を育てるために王国の有望な人材を移動させてしまったことか。
イブを殺せたとしても強力な魔物が巣食うダンジョンを抱えることになる王国の艱難は続くだろう。
そう考えた僕は、背後に何かの気配を感じて思わず足を止めた。
「なんだ?」
他の者も気づいて振り返る。
この感覚は屍霊系の魔物がいる時に感じられる神官特有の怖気。
僕たちが見上げる先には、森を覆うように広がる暗雲が急速に育っていた。
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