181話:彭娘
他視点
「これはわたくしの失態なの!?」
堪らず頭を抱えて声をあげると、その動きで卓の上のグラスが落ちて割れる。
硝子だけでできたそれはぜいたく品だれど、もはやガラクタになっていた。
「そう、一度のしくじりでもはやガラクタ! 神のご期待に応えられなかったこの身など!」
「どうしたというんだ、ホージョー? こんな朝方に」
わたくしに与えられた部屋の寝台から、パトロンにしている貴族が迷惑そうに声をかけて来る。
閨ごとの後にまで居座る無作法者は、王国で活動するためとはいえ、気遣いのなさには辟易していた。
今まで好きにやって来た貴族の継嗣で、白髪になっても美しい妾を囲って息子に諌められても反対に叱り返す傲慢。
それが操りやすかったから増長させていたけれど今この時に勘気を呼び起こすだけ。
「ホージョー! それを割ってしまったのか!? なんてもったい、な…………は?」
わたくしは姿を偽る黒い扇子を落として、幾つもある肉の触手で寝台に歩み寄る。
状況がわかってない馬鹿をすぐさま足元の触手で拘束できた。
「ひうぅ!? ぶぃぃぃいい!?」
あとは本能のままに耳から口の役割をする触手を差し込み思のまま吸い込む。
「すぅ…………、ふぅ」
耳から細い管を差し込んで吸い込んだ脳は、悪くない。
わたくしは魔法使いなどの知力の高い者ほど攻撃力が高くなるエネミー。
理由はきっと、こうして知能の高い者の脳を吸う欲求のため。
白髪になるまで生き残った貴族らしくそれなりに物は考えていたようだ。
ただ下半身を中心に傲慢だっただけで。
飲みほした殻を放り出して、私は少しのどを潤したことで冷静になれた。
黒い扇子を拾って肉の塊に似た本性から、普段の擬態を取り戻し、大地神の大陸の状況を整理する。
「イブさまを誘拐するとはどういうこと? 教会勢力が入り込んでいただけでもわたくしの確認不足だというのに。そんな手段知らないし、そんなことをして喜ぶ者もわからない」
そんなこと言えるわけがない。
今吸ったパトロンも知らず、まず誘拐して売りに出すなら客の確保が必要だという人身売買に関する知識は持っていた。
確かに美しい容姿のエネミーに対する倒錯趣味はある。
けれどニッチだからこそ余らせることはできない商品であり、売るなら事前に売りに出されるという情報が出回り客を集めるはずだ。
「教会自体がイブさまを求めた? でも調べた司祭にそんな性癖も前科も」
そもそも調べが後手に回っているのが言い訳のしようもない失態。
第三王子から目が逸れていたのだ。
というのも第一王子が私を暗殺しようと画策していた。
それを逆手にとって側近排除に暗闘をすることに集中しすぎたのだ。
第一王子は周辺を確かな者で固めているため切り崩しにくい。
それでも王妃を操り間接的に国王も操り、父子の間に不和も撒けた。
結果、第一王子に対しての工作は上手くいっている。
第三王子もダンジョンの情報に食いついて第一王子ほど困ることもなく操れた。
すべてうまくいっている、そう思っていたのが隙だったのに。
「あぁ、どうすれば。挽回を、けれどすでに神に見放されて? うぅ」
涙が溢れ、あまりの絶望に膝から力が抜ける。
そこに人の気配が現われた。
床に座り込んだまま顔を上げると、白い淑女が泣きぬれる私を見下ろしている。
「これは、スタファさま!?」
「まぁ、泣いていたの? えぇ、気持ちはわかるわ。今回のことはあまりにも愚かしすぎる。けれど、神はそれさえも操り笑う方。さぁ、お立ちなさい」
スタファさまは私の手を取って立たせる。
「神は呼び戻すこともせず、あなたに成すべきことを成せとお命じになられたわ。つまりは計画続行の意思がおありよ。同時に行動は制限されず、今自らイブを誘拐した者への対処へおいでになった。つまり、その他はまだこちらにお任せになられているわ」
「ですが、すでにことは第三王子の手を離れております。いえ、それとも今から王国の教会を押さえよとのご命令なのでしょうか?」
私は不安と混乱で思いつきのまま聞くと、スタファさまは苦笑を浮かべた。
「それは拙速ね。何より継続のためにはそのような危険を冒す必要はないわ。そちらは神が手を出さない理由がおありのはず。では私たちが命じられ、やるべきは?」
「王国の継承争い?」
「えぇ、そう」
スタファさまは私の手を引くとソファに共に座られる。
転がる死体は気にせず、私を優しく見つめた。
割れたグラスの代わりはスライムハウンドが持ってきて卓へと据える。
「神が動かれたからには王国はただでは済まない。そして第三王子が引き金と知れれば王家の瑕疵。挽回のために動くことは想像に難くないでしょう」
「この国を神が滅ぼすことは?」
「ないわ。追うだけで人間に死者が出ても王国自体は揺るがない。だいたい王国を中心に他の国へも手を伸ばす状況を作られている。ここで神が王国を鎧袖一触にしては全体のバランスを欠くわ。ここを激震地にしなければいけないの。そのための手を、神は私たちに打つようお命じなっているのよ」
酒も大地神の大陸の物が饗され、私は久しぶりの美酒に溜め息が漏れる。
こちらの時と共に酸味のますワインよりも華やかで味の深みがあるのだ。
脳を吸った後に上質なワインで気持ちがほぐれる。
そうして考えれば神の示すシナリオが見えて来た。
「えぇ、えぇ、わかります。その挽回のためと言って前に出てくるのが第一王子なのですね?」
微笑みを浮かべるスタファさまに、今度は私がワインを注いで意見を上げた。
「西の異変がこの王都に届くのは早くても昼頃でしょう。動くならこの早朝。第三王子にはことを真摯に謝罪して自ら解決に当たるようあえて助言をいたします」
「えぇ、そして実際にことの収拾に向かうのは第一王子にしなければいけない。そうすることで王都から出すの」
第一王子からすれば自らの存在感を示すため、勇んで赴くことだろう。
けれど実際西に行けば一朝一夕に解決できない状況が神によって作られている。
そして拠点とするのは親類であり王家に連なる大公家。
そこはかつて皇太子の血筋だった家だ。
「あぁ、つまり神は遅かれ早かれ西側でことを起こすおつもりだったのですね。気づけなかった己の不明を恥じるばかりではございますが、あの王女がまた邪魔をするかもしれません」
「封じ込めることもできない?」
「いえ、所詮は継承権もない小娘。けれどヴァン・クールに近づこうとする動きがあるのです。あちらは民衆からの指示があり、第三王女と組んだ時には別の勢力が生まれてしまいます」
懇意にしていた金級が瓦解し、そのため力を求めて英雄に阿ったか。
尻の軽いこと。
けれど自らの声望のなさを補う力ある者を使う能力は侮れない。
一度それで神にご迷惑をおかけした。
『水魚』を野放しにしていては、争わせるつもりだった第一王子と第三王子が既得権益のダンジョンを守るという共通の利害が発生するところだ。
もし神が対処してくれなければ、『水魚』の地位と声望を利用されていた可能性があった。
王侯貴族は普段民など顧みないけれど、決して無視もできないのが数を擁する民だ。
そちらから第三王女を推す声が上がれば無視はできないし、一定の発言権を得て重んじられてしまう。
王女本人になんら力がなくとも、力を求めた貴族が群がれば与党ができる。
「事態を簡単にせよというのが神のご命令であるのに。あの王女は本当に目障り。わたくしを排除する目的も明確にしております。面倒なのは第一王子のように裏ではなく表から攻めてくることです」
対処を間違えればこちらも公の前で火傷を負う。
自らの力が弱いことを理解しているからこそ周囲を巻き込む形に持っていこうするのが第三王女だ。
「王女排除につきまして、神は何も?」
「言っていないわね。一度くじかれてはいるけれど、あの時『水魚』壊滅の責任をなすりつけて再起不可能にもできたはず。しなかったのなら利用価値があるのかもしれないわ」
スタファさまも神のお知恵は深すぎて網羅してはおられないようだ。
私なら放置なんて恐ろしいことはできないし、邪魔なら排除し不確定要素を省いてしまいたい。
けれど神にとってはそれさえも掌の上で弄ぶだけの事象なのだろう。
「もしやあの王女を泳がせることであえて手の内を? そう言えば教会勢力と最も近いのはあの王女で…………」
慈善活動や奉仕活動の際には教会に必ず布施を行っていたはず。
「一度出し抜かれたわたくしは王女に注目するとみなして泳がされていた? けれど教会は第三王子に鞍替えし、あぁ、どうしましょう」
「落ち着きなさい。あちらのやり方は今回神も予想外のことよ。慈悲深き大神は誰を責めることもなさらなかった。ともかくあなたはここでなすべきことをしなさい」
「スタファさま、私に、できるでしょうか?」
「あなたの失敗は私の落ち度でもある。神を奉る司祭として恥ずかしい無力さよ」
「いいえ、スタファさまはわたくしどもを集めてよくお話を聞いてくださいました。神の意に沿うため時間を惜しまず相談に乗ってくださいました」
「そう、意に沿うためよ。神は今も私たちに期待をかけ任せてくださっている。ならば、この王国を混乱の底に落とす渦として周辺国を巻き込む大乱を成す大事を預かる身として、嘆いてばかりはいられないのよ」
それこそ神の意志であり、王国という周辺国が無視できない位置に狙いを定めた理由。
そして今この時に王家は内部争いを行っており、王国で生まれた大乱の渦から、人間が争い、神の手の内に落ちて来ることだろう。
「神は猫に爪を立てられるのもまた遊びの内とおっしゃるお方」
「人間の愚かにも不遜な行いを許すと?」
「元よりプレイヤーを試すのがお好きな方よ。あえて穴をあけて気づくかを試すほどに」
確かに大地神の大陸には攻略方法という穴がある。
そこを神はあえて作り辿り着く者がいるかを試そうとしていた。
結果としては誰もイブさまの海上砦から先に進めず、世界の終わりに神自身が暴いたけれど。
新たな世界でもまた人間を相手にそうしてお遊びになられるのか。
「わたくしどもがなすべきは、人間を躍らせて神を楽しませるかでございますね」
「えぇ、神はこの世界の人間を遊び相手に選ばれたわ。時にはその拙さを面白がるようにいくらかの人間を招いて教化の上で外へも出している。大丈夫、神に従う限り慈悲は降り注ぐのよ」
スタファさまは手慰みにこの国のワインを一口。
途端に美麗な白いかんばせを顰める。
「不味い…………。今度スライムハウンドに神の地の蒸留酒を持ってこさせるわ」
「そんな勿体ない」
「この王国の今後の動きはあなたにかかっているのよ。励みなさい。そのために必要なものは嗜好品であっても求めなさい」
「はい、それでは西の大公近くに潜ませている同朋の下に侍女として手勢を送りたく」
「年齢などの条件があるならば知らせて、手配するわ。ただ今は」
「神のお示しになったこの好機を潰さぬよう励ませていただきます」
私の答えにスタファさまは満足して転移をし、私もすぐに考えごとと動きを確かめるべく立つ。
「あら、この食べかすどうしましょう?」
そうして、脳を吸ったパトロンが床に転がっていたのを思い出した。
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