18話:ヴァン・クール
他視点
「恐ろしい敵だった。…………だが、まだ気を抜くな! 霧に紛れて接近を許せば命とりだぞ!」
俺は息を切らせて剣先を下げる部下を叱咤した。
霧の中に入り込み、斥候が四人の足取りを追い、念のため索敵魔法をしたところ見たこともない魔物が現れた。
犬のように四肢を地面につけているが、溶け出た膿のような青い粘液でできた不定形の魔物。
忌まわしい見た目に七孔はなく、それなのに飢えた妄執だけはその存在自体から叩きつけるような確かさで感じられた。
今思い出しても寒気を催す邪悪だ。
「あれはなんだ? スライムの亜種か?」
「あんなの見たことも聞いたこともない。スライムがあんな猛獣みたいに動くなんて」
「動きからして相当な知能でしょう。霧の中に逃げなかったのには何か訳があるはず」
俺の疑念に、アーノルドと魔法伍長が意見を上げる。
確かにスライムと断定するには早い。
そして素早さを生かせば霧の中に逃げられたのに逃げようとはせず、残っていたのには理由がありそうだ。
「この霧の奥で一体何が起こっているというんだ? それを知るためにも魔物の遺体を回収したいところだったが、消えたな」
「いや、あれは止めを刺される前に逃げたんじゃないんですか? あんな攻撃が効かない相手、どうやったら倒せるかわかったもんじゃない」
「ですが確かにあの粘液の体を削ることはできました。動きが鈍っていたことを思えば倒したと言っていいのでは?」
化け物は何も残さず消えた。
まるで最初からいなかったかのように青い煙と刺激臭を放って姿を消したのだ。
「思い出したら、臭いが…………」
魔法伍長が強く風を吹かせた。
魔力の無駄遣いと言うべきだが、俺もあの悪臭を思い出していたから正直助かる。
しかもそれは結果的に当たりと言える行動だった。
「…………む!? 死臭?」
「えぇ、俺も感じましたよ、ヴァンさん。こっちです!」
偵察伍長が死臭の方向を確かに睨んで先導を始めた。
俺たちは隊列を整えて霧を払いながら警戒を怠らず進む。
すると少し開けた木々の合間に、砦の警備兵と思われる死体が三つ転がっていた。
「…………おかしい、なんだこの死に方は?」
一人はズボンを降ろし、一人は明らかに靴型が股間にあり、最後の一人は剣で大けがを負っていた。
獣ではない、それにあの未知の魔物の仕業とも思えない。
そして最後の一人、トレト・シルヴァがいない。
「…………誰だ!?」
「怪しい者ではありません、などとこんな場所で言っても信憑性などないでしょう。ですが、言わせてもらえれば、私たちはあなた方の敵ではない」
気配に霧の中を睨めば、フードを被った偉丈夫が現れた。
俺も長身の部類だが、フードの人物はもっと高い。
そしてその割に足音が軽かった。
さらにフードの人物の後ろからは別の黒い肌の男が現れる。
こちらも俺に並ぶ長身だ。
(怪しい…………。怪しいが、見てわかる武装などはしていないのなら、相手が魔法使いであることを警戒すべきだろうな)
俺は背中に隠した手で部下に待機を命じて、ともかく会話する意思のある相手に問いかけた。
「名を、聞かせてもらおうか?」
「英雄どのに覚えていただくほどの者でもないのですがね」
どうやら向こうは俺を知っているようだ。
それなりに名は馳せているから全く違う文化圏の者ではないのだろう。
「…………グランドだと紛らわしいか。…………ダイチとでも」
どう考えても偽名だ。
そんなこちらの疑念に気づいたのか、フードの偉丈夫はすぐさま謝罪をする。
「あぁ、すまない。決して偽りを言うつもりはないのですよ。ただ生まれて初めて呼ばれた名など覚えていない身の上でね。それ以来他人から色んな呼び名はあるものの、私個人の名と言われると知らないのだ」
おかしな話だ。
孤児でも孤児院に入れば名がつけられ、スラムでも呼び名はつけられる。
この人物は逆にそれが多いと言い、その反面自らの名を知らないと言う。
親に名付けられなかったのならありえないことではない。
ただ自らの名と定義すべき名が多すぎるというのは想像しにくい。
「こちらの者には名はある。ネフだ。それで、私たちの事情を説明したいのだが?」
殺気もない、害意もない、敵意もない。
どころか武装し、攻撃態勢を解かない俺たちを前にダイチを名乗った人物は普通だ。
いや、俺の持つ刀は気になるようだ。
見たことがないのかもしれない。
(ただ威圧するでもなく慌てて弁明するでもなく、まるでこちらの力など無視するようだ。まさか…………)
そう思った時、ネフと紹介された黒い人物が前に出た。
その動きだけで勘が告げる。
このネフはただものではないと。
俺は戦いに生きた。
だから初対面の相手にどう攻め込むかを考える癖がある。
それで言えばこのネフに攻撃がとおるイメージができない。
逆にダイチは簡単に剣を届かせられる気がするが、ネフとの距離を考えるとそれも難しい。
どころかあえて晒した無防備な姿は、ネフを伏せた状態でこちらの出方を探るブラフだったのではないかとすら思える。
「某、ダイチさまにお仕えする敬虔なる信徒のネフと申します。あなた方は砦からいらっしゃった英雄ヴァン・クールとその配下でよろしいでしょうか?」
「あぁ、そうだ。未確認の魔物を確認し、この警備兵を捜しに来た」
「それはお気の毒に。実は我々もこの奥で少女の遺体を見つけて埋葬したのです。見知らぬ少女であったため辺りを探索したところここに」
「少女だと?」
俺は嫌な予感してつい棘のある声で聞き返していた。
脳裏に浮かぶのは、細い体に合わない装備を無理に着た姿。
言われて初めてもしかしたらと思ってしまった。
もう一度倒れた三人を見てもトレト・シルヴァは、いない。
「はい、それはもうあられもない姿で。余人の目に触れることのないよう、すぐに埋葬しました。きっと、この者たちがやったのでしょう。同じ服を着ていたところを見るに仲間でしょうに。なんと惨い」
ネフという男は首を横に振り嘆息をしてみせた。
「適当なことを言うな。警備兵の姿をした女など」
「待て。…………待ってくれ…………」
俺は自分の考えを否定できず、アーノルドを止める。
ありえないことではない。
あの目をしていて、己の弱さを受け入れることなどできないと、俺は身をもって知っているんだ。
「状況の、つじつまは合う。これは人間同士の争いの跡だ」
そしてズボンを降ろした死体の意味も、その死に方の理由も蛮行を返り討ちにされたとすれば。
(かつての俺にも似たあの燃え盛る感情を抱えた少女なら、これくらいはやれると思ってしまうな)
俺だけが知る真実故に、アーノルドは困惑してしまった。
「ですが、ヴァンさん。もう一人は?」
「…………こういうことではないのかな? 兵は四人いた。三人が少女を暴行した。一人が助け、服を与えて逃がしたが力尽きた。四人目は仲間を手にかけたことで逃亡、もしくはこの霧で迷って、魔物にでも襲われたか」
ダイチは聡い御仁のようだ。
同じ服を着ていた少女を埋めたのなら、借り物でもない服とわかっただろう。
わかっていながら、それらしく取り繕ってくれたのだ。
俺より先に、トレト・シルヴァの偽りに気づいていた者が蛮行を行ったのだろう。
時を見て復讐なんて虚しいぞと言おうと思っていたのに、戦場で死ぬことも叶わないとは。
ただ気遣いには感謝をするけれど、見逃す理由にはならない。
「この者たちの殺害に関与していないという訴えはわかった。だからこそ聴こう。ダイチどの、あなたは何者で、ここで何をしていたのだろうか?」
「ただの宗教者ですよ。あなた方とは奉じる神が違いますが」
つまり、救世教ではない?
(確かここには巨人信仰が残っていたな。救世教が広まる前まで広く信仰されていたんだったか?)
公国にも一定数信者がいると聞くが、この者たちも山の中でひっそり信仰を守っていたのだろうか?
「ヴァンさん、邪教集団の関係者じゃありませんかね?」
偵察伍長が俺に耳うちをした。
(『血塗れ団』か。一度戦場で暗躍しているのに会ったことがあるな。凄惨な死体を使っての醜悪な儀式を潰して、ずいぶん怨まれたものだ)
あの者たちも一定の知性を感じさせる言動をしていた。
けれど、ダイチどのとは雰囲気が違いすぎる。
少なくとも死者の身を案じてこちらに話を合わせるなどという気遣いを『血塗れ団』ならしない。
「砦であなた方のような者の報告は聞かなかった」
「山を越えてまで、その砦の者が情報を集めるでしょうか? 砦は国境と難民監視でしょう」
やはりこちらの事情を知る程度には事情に通じているらしい。
漫然と日々の糧を得るために働く農民にはない考え、視野の広さだ。
「では、この霧について何か知っていることはないだろうか?」
ダイチどのも魔物と言っていたのなら、たぶんあのスライムの怪物を知ってる。
けれどあえて遠いほうから俺は探りを入れることにした。
何故だかこの御仁の不興を買いたくないという思いが湧く。
「自然現象ですよ。あまりに濃く警戒なさったのでしょうが、誰かの魔法で起きたものでもない」
「周辺の者たちでも見たことないと言っていたのだが」
「それはそうでしょう。地形が変わって発生してしまったので」
「地形が?」
何を言っている?
そんな災害起きてはいない。
(いや、待てよ)
巨人信仰なら巨人という超人的な存在を大いなる自然と結び付けるとか。
まさか、そういうことなのか?
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