17話:ヴァン・クール
他視点
嫌がらせ以外の意味などないと思っていた南部国境への視察。
雲行きが怪しくなったのは突然発生した濃霧だった。
そして異変を決定づけたのは聞いたこともない唸り声だ。
「なんだ今のは? この辺りにいる魔物か?」
「い、いえ。英雄どの。あのような声初めてで」
顔を顰めたのは英雄などと呼ばれることに対してだが、それ以上に軽い威嚇でしかない唸りだけで、容易ならざる相手であると俺の勘が告げていた。
俺は戦災孤児だ。
だから戦災を起こした帝国への復讐を目的に生き、そして力をつけた末に英雄と呼ばれるほどの武功を立てた。
それは俺一人の力ではないし、俺だけが讃えられるべきでもないと思っている。
それでも生き延びた末に戦意高揚のためにも甘んじてその名を受けているんだが。
「警備隊長、兵は全て砦にいるだろうか?」
「はい、うん? 何? 英雄どの、どうやら少し前に哨戒に出た組がいるそうです」
警備兵に耳うちされて警備隊長が欠員を報せた。
「となると、その巡回が襲われている可能性があるな」
今度は俺の部下であるアーノルドが意見を上げる。
「この霧は唸り声の主の能力でしょうか?」
「霧に潜んで襲ってくるなら厄介だな。だが、どう聞いても獣の唸りだ。そこまで知能は高くないかもしれん」
ただ感じた強さで言えば、獣だからと言って気を抜ける相手ではない。
同時にこの砦の兵のレベルでは巡回の者たちはすでにやられているだろう。
「念のため、巡回に出たものの名前を教えてくれ。お前たちは霧を払って視界を確保する手段を挙げろ」
俺は警備隊長と部下に命じた。
そして俺は巡回に出た四人の兵の中で、聞きたくない名前を聞く。
(トレト・シルヴァ、か)
いつかの俺のように倦んだ目をした若者だった。
いや、幼いと言ってもいいくらいなのにもう立派な人殺しの目をしていた。
一瞬目が合っただけだが、それだけでその胸の内を焼く復讐の炎は感じ取れたのは、かつて俺の身の内も焼いたものだからだろう。
だからこそ危うさに記憶に残った。
あんな目をして俺を慕っていると言っていた部下は、誰も生き残ってはいないから。
「ヴァンさん、どうやら魔法抵抗はないようで霧は風で一定範囲を払うことができます」
「そうか。アーノルド、霧に対処できる者を一隊に一人は入れるよう指示を」
俺の部下には魔法を修めた者もいるがこれは珍しいことだ。
それに練兵が難しくなる。
その労をおしても魔法使いを入れているのは俺の拘りというより師の教えだった。
俺の運が良かったところは兵として指南役についた人が、伝手を持っていたこと。
その指南役から紹介され俺の師匠となった方は、魔法と拳闘を得意とした特殊な戦法を使う強者だったこと。
俺に魔法の才はなかったが、知っていて損はないと魔法について教えてくれた。
訓練をするなら同じ兵科が指導者としては好ましいが、パーティを組んで攻略を目指すのなら足りない部分を補い合う構成が好ましいとも言っていた。
「十人は残れ。魔法職、騎乗職、戦闘職、伝達係だ。もしものことがあればすぐに王都へ」
「もしもですか?」
アーノルドが疑問の声を上げるが、俺の判断を疑っているわけじゃない。
こいつも俺の下について戦場を生き残った分勘も働く。
敵の脅威はわかっているだろう。
ただ俺はさっきの唸り声の持ち主が、気のせいではなく格上と確信しているだけだ。
「平民出だからって王都追い出されて、向かった先でこれってなんだってんですかね」
アーノルドのぼやきに内心で頷く。
今回の視察は俺が武功を立てて声望を集めることを嫌った貴族の工作だろう。
(これで俺がいない間に帝国を追い返して戦功を立てるくらい息巻いてたら、まだ救いはあるんだが)
実際は半年前侵攻されてからすぐさまの危機はないと見て、慰労と称して北の戦線の将軍を懐柔しようとしていると、反対派閥の貴族からご注進が来た。
だが現場が求めてるのはそんなことじゃないとわかっていない。
逆に足並みを乱すだけの妨害ですらある。
「北でうるさい思いをしたとは言え、まだ東に回されたほうがましだったな。妙な勢力争いに巻き込まれたくないと反発したのがまずかったか」
「あれも中央貴族の考えなしの下策じゃないですか。お蔭でヴァンさんが抜けた穴を突いて村や町が焼き払われた。北のことは任せてくれてればそんな失態なかったのに」
そうだ。そして時期からきっとトレト・シルヴァはその時の生き残りだ。
配属されたのが北ではなく南で良かったのではないかと思ったのに、あの唸り声の主に遭っているなら永らえた命ももう…………。
「…………無駄話はやめて支度をするぞ」
俺は感傷を振り払いアーノルドに声をかける。
何処かの帝国貴族がペットにしていた小竜の皮で作った鎧を着る。
その間に偵察を主任務にする伍長がやって来た。
「先行して生存の確認でもしますかい?」
「いや、危険だ。行動は四十人で固まって行く」
「逆にそれも山際の林では悪手ではないかな?」
そう言ったのは魔法を主任務にする伍長だ。
「四人の巡回がなんの報せを発することもなくだ。ばらけたほうが霧に紛れて知らない内にやられると考えている」
定石は隊を別けての索敵と救出だが、俺はもう生きていないと思っている。
そして警笛を吹く暇も与えない相手に少数は悪手だ。
「やるならば索敵などと甘いことは言っていられない。接敵と同時に撃破を目指す」
俺は刀と呼ばれる独特の武器を腰に下げながら方針を示した。
刀はアーティファクトで、時折ダンジョンや誰かの秘蔵品として発見される。
どういうわけか経年劣化をしない上に、よほどの大魔法、もしくは同じくアーティファクトでない限り形を変えないし破壊も不可能という逸品だ。
「それもヴァンさんの刀なら可能でしょうけど」
「いや、わからんぞ。五十年以上前に現れた異次元の悪魔にはアーティファクトが通じなかったという言い伝えがある」
「まさか。悪魔は全て討ち滅ぼされた。生き残りでもないでしょう?」
「新たに現れたとしたらどうよ?」
「それこそまさかですよ」
偵察伍長の軽口を否定するアーノルドに俺も同意する。
(だが、未知の敵だ。それなら警戒しすぎて困ることはない)
格下と見た相手に隙を突かれて殺される、そんなことは日常茶飯事だ。
俺も若い頃はそうして武功を上げた。
「ただ、やっぱりヴァンさんならそのサークレットの力もあって勝てるとは思いますけど」
このマジックアイテムを手に入れられたのは儲けものだった。
よほど負ける気がなかったのだろう。
これを家宝としていた貴族は向こうから俺に一騎打ちを持ちかけたほどだ。
お貴族さまなせいか一騎打ちを行う誓約書まで用意していた。
向こうはサークレットを、俺は刀を。
賭ける物を決めての個人の果し合い。
そして勝った俺はサークレットを手に入れた。
(帝国貴族に限らず王国貴族もサークレットを寄越せとうるさかったがな。そこで陛下が所有を認めると言ってくださらなかったら、俺は生きていなかったかもしれない)
このサークレットの力に助けられたことは何度もある。
その度、公平な陛下に忠誠を誓ったものだ。
「さて、打ち合わせと行こう」
俺が会議室へ向かうと、すでに部下の隊長格が集まっていた。
将軍職を降ろされて部下は減ったが、こうしてそれでもついて来てくれる者たちがいるのは俺にはすぎた財産だ。
「まず、罠を疑って行動しろ」
俺の言葉に全員が頷いた。
嫌がらせの南部視察、そこに来て不自然な霧。
そして今までいなかったような魔物の唸り声。
疑うなというほうがおかしいだろう。
「同じ王国に住まう者としてあいつらどうかしてる」
伍長の一人が唸るように吐き捨てた。
確かに帝国という敵を前に内部で争うなんてどうかしてる。
自分で言うのもなんだが俺は戦力になるのだから、自らの足を切るようなものだ。
俺の部下は平民である俺の下についても文句のない者、つまり同じ平民出が多い。
だから自然とこうした会議に品はなくなるし、貴族に対しての敵意を隠さない。
そんな中で魔法職の伍長が挙手をした。
同じく平民だが王都の商家で育ち魔法を学んだ知能派だ。
「王国と限定するのは早計です。魔物を使うなど何処かの帝国貴族のようでは?」
「なるほど。北を進行していると見せかけて南で工作か」
「あ、でしたらこの情報も頭の隅においてくれ」
偵察の伍長が手を上げた。
「実は、『血塗れ団』が周辺で活動してる。まだ未確認だったんで報告してなかったんだが。場合によってはあの狂信者たちがまた糞みたいな儀式でやらかしてるかもしれん」
『血塗れ団』は邪教集団で子供や生娘を攫って生贄にする。
かの異次元の悪魔もそれで呼び出されたのではないかと言われるほどのおぞましい集団だ。
どんなに取り締まっても排斥しても目の届かない場所に巣食って犠牲者を出す人民の敵。
それが国内に入り込んでいただけでも問題だった。
もしここで世界が手を取り合うほどの化け物を呼び出していたとなれば、全く別の大問題になる。
「はぁ…………ゲームほど上手くいかない、か」
「なんですかそれ?」
「俺の師匠の口癖だ。世の中ままならないってことさ」
アーノルドに答えながら、ままならなくてもやるしかないことを改めて覚悟する。
復讐はまだ終わってない。
そして何より俺は英雄と呼ばれることを耐えると決めた時に、この故国を守ると決めたのだから。
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