162話:七徳の謙譲
他視点
七徳を掌握する枢機卿に連れられ、私はスモーキーベイスというダンジョンへ下りる。
そこには所在不明ながらに協力者として名高い白き巨人がおられたのには驚かされた。
優位な体躯に男女の別のない細身ながら、感じずにはいられない静謐な威圧感。
さらには聞く話は理解が追いつかなかった。
預言に語られる闇が変化し夜空になったと枢機卿からお話は受けていたが、まさかそれに合致する異界の神が存在するとは。
さらにはかつて英雄が倒したという神の話など想像を越える。
四大神と呼ばれる異界の神の内三柱は倒す方法があるにしても、その実力は神使より上。
英雄が千人以上必要と言われる超常の敵は、巨人でさえも戦ってはいけないと言わしめる。
そんな理不尽があることに驚いた私に、白き方はある言葉を投げかけた。
「人間の原罪とは、いったいなんのことでしょう?」
巨人は人間と形はあまり変わらず、大きさが非常なだけだと聞いている。
これは異界から来た巨人と見分ける上で教えられたことだ。
異界の巨人は単眼や複腕といった人間とは違う特徴を必ず持つと。
だから白き方の表情はわかるし、私の不用意な言葉に不快にさせてしまったことも推察できる。
そして教師役として何かを語ろうとしていることも。
「どれくらい前だと聞いたかな? 私も始まりは伝聞だ。それでも五千年以上前に現状のきっかけはあった」
「それほど昔から? 巨人もドラゴンも多くあったと聞きますが、その時すでに人間はいたのですか?」
私の問いに白き方は皮肉げに笑う。
「私からすれば人間はその罪によって一度自ら力を削いで退行したんだよ。まぁ、巨人は残りも数えるほどで再興などできていない現状を思えば 人間の逞しさには感服する」
一度寂しげに目を細めると、白き方は気を取り直して話し続けた。
「異界の門というものは、知る限り人間が悪用する以前から存在した。我々でも壊すことはできず、開くこともできない。故に神という超常の存在が使うものだとか、世界の終わりに開くのだと言われていたそうだ」
それは巨人の間でももはや廃れた神話だという。
「ある時、小さくか弱い種族が異界の門を開く鍵を手に入れたという。最初、巨人たちは信じなかったそうだ。人間にとっては鼠に等しき者が、我々でさえ干渉することのできないものを開閉できるわけがないと。実際、人間は数千年、鍵を扱うことはできなかった」
大きさ的な比喩か、能力的なたとえなのか。
どちらにしても太古、人間がどう見られていたかがわかる。
昔を思うらしい白き方に代わって、枢機卿が短く告げた。
「今から三千年前、人間たちは異界の門を開く鍵を使って、召喚術を生み出した」
「召喚? 何を呼び出すのです、まさか?」
私は今までの話から悪い想像をしてしまう。
けれど枢機卿は冷徹に頷いた。
「そのまさかだそうだ。今現れる異界の者どもを最初に招き入れたのは人間だったのだよ。納得もできる。何せやってくる異界の者の主体は我々と酷似したプレイヤーなのだから」
「呼び出して、生存圏を確立するために争うだけならまだよかったのだけどね」
白き方は呆れも落胆も隠さず吐露した。
「人間は我々巨人などの強大な相手と対抗するために異界の者を使った。ただそれで得られた平安など二百年ほどにすぎない。その後四百年くらいを戦乱に費やしたらしい。主義主張の違う人間たちが、それぞれに異界の者を呼び出して戦争の道具にしたのさ」
この世界の人間では及びもつかない力を持った異界の者、それを兵器として戦場に並べるのが常態化して数百年と。
そんな世界、想像することも難しいが、否定しては今なぜ異界から現れる者がいるのか説明がつかない。
さらに白き方が言うには、召喚術という形で制御を握っていたためその頃はエネミーと呼ばれる存在はいなかったらしい。
「まぁ、けれど異界の者も大人しく使われるだけなわけがない。今から二千百年くらい前か。異界の者たちも策を講じて新たに召喚される同朋に情報を残していた。そして使い潰され続けたことを知った異界の者たちが手を取り合い集団で反抗を始めたんだ」
それは想像に難くない成り行きだろう。
強い力を持つ故に戦争に使われても、単体なら抑えられたが徒党を組まれれば元よりその力を頼ったこの世界の人間に抵抗など無理なのだ。
白き方は溜め息を吐き、私たちが突風に身構えると手を上げて謝罪の意を示す。
「その時の異界の者たちは良心的だったんだろう。召喚術は呼び出すだけで帰還法はない。だというのに自暴自棄にはならず、次の犠牲者を出さないために各国を回って召喚術の破棄に一生を捧げた」
「つまりもう召喚術は?」
「存在しない」
私の問いに断言をする白き方は、千年以上は生きているそうだ。
けれど二千年前のことは伝聞。
ただ召喚術で呼ばれた異界の者たちがすべて死んでから五百年以上は平和が続いたらしい。
人間は争わず、人間の生活圏から巨人やドラゴンも離れて戻らずに。
「だが平安は続かなかった。異変は起きており、私が生まれた頃には確定していた。人間の生活圏のほうから異様に強い人間や、今まで見たことのない生物が現われると」
今の状況が少なくとも千年は続いている?
いや、救世教の大本ができたのが二千年ほど前なら、もうその時には今と同じ逃れようもない窮状に陥っていたのだ。
「召喚術は破棄したが、異界の門は今も閉じられていないのだ。元凶とは言え人間と力を合わせて異界の者を倒しもした。だが、門が開いている限り異界からの侵入者は絶えることがない」
「異界の門が? それはもしや、その門を閉じれば異界の脅威が現われることはないと?」
「そうだ。異界の者は最初から異界の門も鍵も知らなかった可能性が高いから処理しなかったのはわかる。けれど人間は知っていたはずだ。なのに閉じなかった。そして私が生まれた頃にはもう、鍵は失われたと言われていた」
人間は争い、記録も散逸し、白き方が調べても異界の鍵は最初に召喚術を作った時の触媒として消滅したとか、誰かが滅ぶ国から持ち出してそのまま隠してしまったとか。
今をもって行方が知れないと言われ、私は落胆を表情に出さないよう歯を噛み締める。
「ただ確かなのは異界の門が閉じられなくなっていること。閉じるには鍵が必要だが、すでに鍵は消失していること」
召喚術という制御がなくなりエネミーも現れるようになったこの世界で、エネミーは人間に限らず巨人やドラゴンも襲った。
争いは人間に留まらず拡大し、今も続いている。
時期は百年から二百年の開きがあるものの、かつての五百年の平安などあり得ないようになったのだ。
人間の、せいで…………。
「わかったか、罪人の裔。これが人間の原罪。現状を何故と言いたいのはこちらだ。何故扱えない力を望んだ? 何故そこまでして争いに固執した? 何故自らの始末もつけられずに安穏としている?」
「白き方、我々は少なくとも手を講じております。そして今を生きる我々を謗ったところでなんの答えもありません」
枢機卿が毅然と返すと、白き方は頷いた。
「お前たち神聖連邦は心清いプレイヤーと組み、世界の安寧を願って戦うことを決めたのは知っている。私が生まれた頃に救世教を作ってこの先の世界を守ろうと志していることも知っているとも」
歴史の代弁者たる白き方は、自嘲を含んで笑った。
「それでも門を閉めてさえくれればと繰り言を止められん。私の生きた時代は争いばかりだった。人間なら百年を待たず死ぬ。だが召喚術を介さず現われる異界の者は長命もいれば不死かと思う者もいた。倒せなければ次に持ち越し。争わねば滅ぼされる」
そうか、白き方は疲れているのだ。
「お前たちには古き過去。故に過去から生きる私は徒労を覚える。そしてそれは他の巨人たちも同じだ。だから私以外手を貸そうとはしない。勝てない相手がいるとわかっている」
「神使ですか?」
私の問いに白き方は遠い目をした。
「我々もドラゴンも、数に物を言わせてようやく勝てた。足りないプレイヤーの頭数を補うには足りず多くが死んだ」
よほど神使に苦い思い出があるらしく、眉間が険しくなる。
「預言は神使のことでしょうか? それほどの相手であれば世界を覆う闇に匹敵するのでは?」
「だが異界の門が開くにはまだ早い。神使が新たに現れるにしても後五十年は」
「いや、いる」
私が白き方に意見を聞くと、それを枢機卿が否定した。
けれど白き方が肯定したことで、枢機卿も知らないらしく驚く。
「かつて忠告をした。知らないのか?」
「ぞ、存じ上げません。いったい何処に?」
「ノーライフファクトリーと呼ばれるダンジョンの地下だ」
あまりのことに私はもちろん枢機卿も息を詰め、その様子に白き方も眉を上げる。
「まさか、あそこは封鎖されていないのか? 封鎖するよう言ったはずだ。確かに封鎖したとも、いや、そう言えば地下を封鎖したと言っていたか?」
白き方が記憶をたどるように考え込む言葉に、私は枢機卿に目を向けた。
枢機卿は苦い顔で最近入った報告を白き方に聞かせる。
「先日、ノーライフファクトリーの地下を発見する探索者が出ました」
「発見…………そうか、再発見されたのが、最近か。…………まさか、預言に変化があったのはその頃?」
「否定、できません」
枢機卿の答えに白き方は天を仰ぐ。
「まだ起動はしていないはずだ。かつての友、プレイヤーが言っていた。ノーライフファクトリーの神使は起動したことがないと。ただ異界の者が再現した小型の神使を模したボスが襲ってくるのだと」
「起動? 神使とはいったいなんなのでしょう?」
「神の人形のようなものらしい。四大神が扱う強力な手駒。何かのきっかけで人間に試練と恩寵を与えるそうだ。君たちのところで伝承しているイベントアイテムと呼ばれる異界の物品の中でも特別優れた物は神使を倒すことで得られた物もあるそうだ」
初めて聞いたけれど、確かにかつての英雄たちの遺品などが神聖連邦の宝物殿には納められている。
「では、神がいなければ神使は動かないと?」
「そうとも言えないらしい。すでに起動条件が神使に設定されている場合、神がいなくても特定の条件を満たせば動き出すだろうということだった」
枢機卿は白き方の答えに苦渋の表情を浮かべるが、私も同じような表情だろう。
何故もっと厳重にノーライフファクトリーを見張っていなかったのか、ただの便利なダンジョンなどではないと周知されていなかったのか。
そう言いたいが、私もまさか禁忌を封じた危険地帯だったとは知りもしなかった。
「…………今からでも遅くはない。ノーライフファクトリーの地下封鎖を徹底しよう。そのために人員を送る。王国には今節制がいたな。そちらと連絡を取る」
枢機卿は切り替えて手を打つ。
それがこの方の強さであり、私が見習うべき先達の姿だ。
私も益のない後悔に囚われているべきではない。
預言があったのなら確実に何か世界は変わろうとしているのだから。
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