159話:聖蛇
他視点
辺りが揺れるのを、知らぬ者なら地震だと思うだろう。
けれどこれは我が体動、身を震わすほどの感情の揺れだ。
「聖蛇さま!? 如何なされました!」
我が身の起こす揺れと知って駆け込んでくる竜人たちは、我が同胞にして我を奉る信徒。
この地下神殿を揺らしたのが我だとわかっていて、血相を変えている。
「ここは、何処だ?」
我がことながら間抜けな問いだが、確かめねば落ち着かぬ。
我が想起したあれは、いったい何処でのことか。
もはや帰れぬ故地を描いた過去であるのか、今理不尽にも存在しなければならなくなったこの地であるのか。
「ここは異界の門より出でた地。我らを生み出された大神より隔絶されし異界。そして、異界において我ら竜人の故地とした北の海に浮かぶ島にして、竜人多頭国を名乗る故国北端の聖地にございます」
「そうであるな」
我が神官長が慣れた様子で答える姿に、我は落胆を飲み込む。
蛇の顔、人間に似た四肢に蛇の尾を持つ、本来はスネークマンと呼ばれる者だ。
ここにきてドラゴニュートと呼ばれたのは、ドラゴンの島と呼ばれたこの地を奪ったからだったが。
以前はスネークマンと呼んで襲うプレイヤーがいたためよい現地人との見分け方になった。
今ではそう呼ぶ者は以前の世界から来た者と即座に看破できる。
同朋だが同族ではないため、神官長たちに比べて我が身は長大。
手足もなく白一色の蛇のまま。
だというのに、何故か近年生まれ育つ者たちは、己を竜と信じて疑わないらしい。
特段の支障はないので、我のあずかり知らぬことではあるが。
「聖蛇さま、いったい何をご覧になられたのでしょう?」
神官長が汗を浮かべて問うほど、我が尋常でない反応をしてしまったのが今は目下の懸案事項。
我が七色の双眸は未来を見る。
予言と言われるが別になんの言葉もない。
我は見える事象を伝えるだけだ。
その意味がわからないことも多く、今もそうだった。
我が見たるものは何ぞや?
「…………わからぬ。わからぬ故に語らぬとなれば、我が身の意義を問われよう」
「いいえ、あなたさまはこの無辺の世界において我らが頼るべき神の一柱。いてくださるならば望外の喜び。ですが先ほどの揺れは、身震いでしょうか? それほどの動揺、何ごとかと」
神官長が我を慮る故に、我も悩ましい。
語っても意味はないかもしれないが、我だけでは判断つかん。
この聖域に籠っている現状、世俗に疎いところがある自覚はある。
これは思うところを問うてみるべきなのだろうが、何を思うかはわかるのだ。
我も思う故に身を震わせたのだから。
「…………闇があった」
これはすでに告げた未来であり、世界を見ていたはずが闇だけになった情景。
事実そうなるのか、何かを暗示しているのか、それは我をしても計れない。
ただ世界の終わりではないのだ。
見る我がいるのだから、そこに我の座所はあると反証できる。
かといって、特筆することなどないただの闇では推論のしようもなかった。
つい先ほどまでは。
「闇に、光が生まれた。幾千、幾憶…………闇は星の海となった」
星の海は揺れ動き、胎動するようだったが、ひたすらの闇であった時と同じく何があるわけでもない。
迷うように、探るようにゆるゆる動くだけだ。
けれどそれは我らにとって特別な意味を持つ。
「それは、まさか…………宙の蛇? 我らの大神では!?」
神官長の喜色を、我は早計と笑えない。
同じ思いで身を震わせたのだから。
我ら同朋を生み出せし最初の神にして、暗き天の大海より生まれし者。
神性を持つ我よりもなお高位である神。
「わからぬ。ただあるだけであった故」
「ですが、大神は高きに座し、我らの窮地にのみ動かれると言われております」
確かに現状我らを脅かす者はおらず、だから現れないのだと言われれば否定のしようはない。
同時に予言として見たからには、危難の前兆ともとれる。
けれど我は知っている。
以前の世界においても神は我らを救うために現れはしなかった。
この世界で生まれた神官長たちは知らぬことだが。
スネークマンが住処を奪われ、我が神殿にプレイヤーが押し入り不遇をかこった。
大神の伝承はあれども、あの世界は四種の神が争い風神が制していたためか我らが大神の介入はなかったのだ。
我らの大神が劣るとは思わぬ。
だが風神は地母神を味方につけているため、我らが大神一柱で相手取るには不利だったことは想像できる。
「やはりわからぬ。何より大神であるならいつ現れたというのだ?」
「それは…………」
神官長がつまる。
この世界の異界の門は、長くて二百年、短くても百年で異界の者を招き入れる。
以前招いたのは五十年前であるため、次にはまだ早い。
「五十年、大神の招来に気づかずにいたと?」
「そのようなこと、あってはなりません」
そうだろう。
ましてや我が身よりも長大な神だ。
気づけないわけがないのだから、いないのだ。
異界の門はそこから我らの世界と繋がり迷い人が現れる。
我らもそうやって現れ、未だ帰ることはできぬ。
異界の門自体を、かつて巨人が隠したと聞く。
通ったはずだが見たことはなく、スネークマンたちも時代も場所もばらばらに現れた。
それをこうして集めて国を作ったのは、かつてと同じく不遇にあった同朋を救わんため。
「言えぬことよ。なんの益にもならぬ」
「そうでございますな。しかし意味のないことでもありますまい。聖蛇さまのご覧になられる情景は未来。そして変化の兆し。戦争が終わるというようなことを早く知られるならば利益につなげられます」
「以前の未来視か。あれも断片であった。帝国と思しき軍が王国を攻め、その後に情景は飛んで帝国軍は国へ帰った。そしてまたいつのこととも知れず終戦について語らう人の姿があったのみ」
そう長くは続かない状況から見て、帝国の勝利で終わったのだろう。
けれどそれが一年後か五年後かは判然としない。
「聖蛇さまがご覧になった草木の具合や人々の衣服などからすれば近く。そうした判断は世俗に触れる我らが行います故」
神官長の目には優越がある。
ただその欲も族のためになるなら良いことだ。
我も判断を委ねるのなら、これも伝えねばなるまい。
「我が見たる天の星海は、その深きに畏怖を覚えるものであったよ」
「畏怖、ですか。親しみや懐かしさなどは?」
「あったと言えば、あったかもしれん。それは懐かしさが適当であろう」
「であれば、ご自身を越える神性に触れた畏怖では?」
「わからぬ」
わからぬがこの不安はきっと天の星海を見たからだ。
ただ何故かはわからぬ。
今の安寧が変わるからか?
今や頂点となって久しい故にいらぬ欲でも生まれたのか?
いや、この世界そのものが我らの世界から異界の門を通して脅威を招き入れる。
今さらだ。
現状もかつての窮状の延長でしかなく、かつて乗り越えた危機はいつでもまた現れる。
そう思っても不安が消えぬのは煩わしくもあるのだが。
「神聖連邦はどうしている? あちらにも預言者と呼ばれる者がいるのであろう?」
「えぇ、五十年の折り返しの今、百年計画のために帝国で動きがございます。預言者が関わっているかは定かではございませんが、計画に邁進しているのであれば脅威となる預言はないのでしょう」
か弱い人間が存続するため、神聖連邦は抵抗を続けている。
それもこれもプレイヤーが時に同じ人間も害すためだ。
またエネミーも現れる。
こちらはプレイヤー、現地人関係なく襲うので、五十年前のような諍いから始まるのはやめてほしい。
そうすると足並みをそろえるため共通の敵を掲げることが安寧の道か。
エネミーでもある我らは標的にされやすい。
何より神聖連邦はエネミーが国を作ることを許さないので気を抜けない。
「勝手なことだな」
「はい?」
「あぁ、そうか。お前たちは知らないか。何故異界の門が開き、そして我らが迷い込むのかを」
神官長も他も知らない事実だ。
何故ならこの地で生まれた者たちだから。
現地人でも覚えている者はもう限られるだろう。
我もかつて争ったドラゴンから伝え聞いた。
その者は人間の愚かな行為をひどく憎み、同時に世界を犯す我らの存在を許さなかった。
「呼び出しておいて勝手なことよ」
「呼び、出した?」
「そうだ。我ら異界より現れる者は元をただせば力を欲した人間たちの業。すぎた力を得た故に暴走させた、数千年前の負の遺産よ」
現状の苦は人間の過ちに端を発する。
ただそれを元の世界の神々が看過するか?
…………するかもしれない。
もしかしたら面白がって放置もあり得る。
何せ遊び場として世界を創造してしまうような神々だったのだから。
「現状は一つの天罰かもしれぬな」
我の言葉に神官長たちは神妙な顔をするが、その天罰が己に累を及ぼすとは思っていないのだ。
確かに我は強大な力を得てはいるが、それでもかつての世界では危機に瀕した。
我は絶対者ではない故、危機感はある。
だが、この世界のかつての人間ほど愚かになり下がる気もなく、また、同朋をそのように落ちぶれさせるつもりもない。
「かつてこの世界の人間たちは異界の門を知った。そしてその扉を開ける鍵を得てしまった。想像できることはいずれ現実になる。人間たちは五千年もの年月を経て、異界の門を開き望む力を持つ人間を引きずり出す、異世界召喚の魔法を完成させたのだ」
「召喚? そのような魔法が存在するのですか」
神官長は他愛もなく我が言葉を信じる。
現在では決して再現できぬと否定してもいいはずなのに。
この信頼は少々面はゆいが悪くはない。
これならば我が言葉を聞き、スネークマンたちも身を慎んで生きながらえることができるかも知れない。
「今はもう失伝している。いや、失伝させた。結局は人間の手に負えず人間たちの自滅による形でな」
かつては弱ってライカンスロープに隷属する人間も現れたという。
そして今また人間たちは自ら国という社会集団を再生した。
「繰り返さなければいいが。それだけが心配だ」
我はただ、神なきこの世界で憂うばかりである。
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