157話:二十一士寛容
他視点
「何が…………あったというの…………?」
帝国西の端の港町に戻って、私はさま変わりしてしまった様子に声を詰まらせました。
王都から戻る途中で配下から急報を受けたのです。
十日の行程を可能な限り縮めて戻っています。
王都で司教に会うため僧形を取っていました。
本当はそれも解いて港町に入るつもりだったけれど今はその手間さえ惜しいほど。
荒れた雰囲気のある、決して洗練はされていない町。
それでも活気と人の行き来で明るさはあったはずでした。
それが今や誰も口数少なく足早に歩き、重苦しい空気が見えるようです。
「もし、道をお尋ねしたいのですが」
私は港の警邏の屯所へとあえて近づきます。
「ここは港で尼さんのくるところじゃないだろ?」
「どうした?」
警邏の一人が私に答えて怪しみます。
その声に気づいてやってくるのは警邏の隊長であり、私の部下の一人。
疲れてふらつくふりをすれば、すぐさま隊長が手を伸ばして支えるふりをします。
「すみません、慣れない町で迷ってしまい、歩き続けて足に力が…………」
「そりゃいけない。ちょっと奥で座るくらいしちゃどうだ? 今町はちと危ない。その辺りの説明もしてやろう」
親切めかして部下が私を奥に誘導しました。
警邏たちが冷やかすのを怒るふりで人払いもします。
ただ私を促す手の力が強すぎるのは、潜伏するにあたってあまり褒められたものではありません。
きっと私に状況を伝えようと焦ったのでしょう。
「申し訳ございません」
「謝るよりも先に状況の説明をしてくださらないかしら。ガトーが死んだとの報告を受けましたの」
急報は港町にいた『砥ぎ爪』の壊滅でした。
ガトーは行方知れずで死んでいる可能性が高く、生き残りは十人ほど船番をしていた者だけと。
「こちらが掴んでいる状況は、まずガトーが半獣人の少年を少女に間違えたことの報復を行ったこと。商人と行動を共にする半獣人の少年を首尾よく捕らえたところまでは配下が確認をしています」
それは私も知っているのです。
焦れる思いを堪えて、私は続く報告に耳を傾けました。
ガトーは『砥ぎ爪』と港の倉庫へと集まり、仲間の一人に怪我を負わせた竜人との混血を呼び出していたそうです。
けれど竜人の混血が来る前に異変が生じたと。
激しい咆哮が轟くと、応じてライカンスロープたちが狂ったように吠えて暴れ出したというのです。
「中で何があったのかは皆目見当もつきません。倉庫自体が半焼しており損壊が激しく、死因も不確かな死体も多くありました。ただ倉庫の外の目撃者は何人かおりまして、突然狂ったライカンスロープを、正気を保ったライカンスロープが抑え込もうと乱闘になっているようだったと」
警邏に入った第一報も、突然ライカンスロープ同士が殺し合いを始めたというもの。
目撃者は倉庫の外だけで、それでも殺し合って凄惨な死体は確かにあったそうです。
警邏が倉庫に踏み入った時には、中にも遺体は散乱していたと。
「噂に聞く精神を惑わせる薬を疑う声もあり調べましたが見つからず」
「自分たちに害のある物を気軽に商うわけがないでしょう。ましてやここへ来た目的は商売ではないのですし」
「はい。ただ問題が…………実は船番の生き残りを捕まえた時、探索者ギルドの職員をなぶり殺しにした死体を船底で発見しておりまして」
私は思わずため息を吐きました。
それも知っていますし、ガトー本人が話していたので犯人がライカンスロープであることに疑いはないでしょう。
まさか警邏に見つかるとは隠蔽のしようもないことですが。
「船を捜してもガトーはおらず、狂乱についても生き残りは知りませんでした。ただ、船の前にあったライカンスロープの死体は仲間のものだと」
「船の前に? 倉庫ではなく?」
「はい、死体ともう一つ血だまりがあり、それをライカンスロープたちはガトーの物だと、臭いでわかると言っております。死体は見つかっていませんが、本当ならば生きてはいまいと思える出血量でして」
「殺害したものの痕跡は?」
「わかりません。残っていた遺体の殺害方法さえ分からないほどで」
聞けば上から超重量を落としたような轢死体であるのに凶器となった物品は見つからず。
血は飛び散っており相当な返り血のはずが逆に血が多すぎてどれが何やらわからないのだとか。
少なくとも生き残りのライカンスロープはガトーが倉庫にいるものと思っていたそう。
考えられるのは倉庫で不測の事態が起き、ガトーは船へ。
けれど船に乗る前に何者かに殺害された、考えにくいですが。
「考えにくいけれど、半獣人の少年が関与している可能性は? まだここに?」
「すでに出航しております。宿の者に聞き取りを行ったところ、竜人の混血が乱暴されたような姿の少年を連れ帰ったと」
「生きていたの?」
「はい、とても怯えた様子で受け答えもせず部屋に籠ってしまったとか。…………申し訳ございません。すぐに捕まえて倉庫内で何があったか聞きだしていれば」
できていればとは思うけれど、現場の倉庫もひどい状態のようでしたし、船番という生き残りの確保も必要だったでしょう。
そしてそこから出て来たギルド職員の死体という別の問題を抱えてしまったとなれば、後手に回ったことを責められはしません。
宿の者に聞いたということはまず半獣人の少年が生きていたと知ったのも後からでしょう。
ガトーさえ死んでいる状況で生きているとは考えもしなかったのはわかります。
「原因の究明は可能かしら?」
端的に必要事項を問うと、隊長は苦渋の表情で首を横に振り項垂れてしまいました。
「原因を掴めたところで、狂乱し暴れるライカンスロープに対する悪感情は拭い難いでしょうね」
ガトーという利益さえ提示すれば仕事を請け負う手堅い相手も惜しい。
けれど何より今回の計画を狙い撃ちにされたような状況に苛立ちと歯がゆさを覚えます。
五十年前の異界の悪魔の出現から帝国を作り上げ、弱った国々をまとめ上げる希望として神聖連邦は陰ひなたに支えました。
同時に時と共に憎まれ役として人々の団結と戦力を育てる土壌としても手をかけ、五十年の折り返しのこれからは衰退を狙いつつ、来る時に備えて戦力の増強を画策するはずだったというのに。
その中で手を結ぶ相手として西の帝国ライカンスロープを選んだのはやはり五十年前。
「実際に手を組む予定は私たちが死ぬ頃。この帝国が倒れ、新たな希望の国が生まれてからの予定だったけれど…………」
いったい今回のことでどれだけ計画が大きな修正を求められるか。
いっそライカンスロープ帝国と共に異界の悪魔に立ち向かうという構想自体破棄しなければいけないかもしれません。
「七徳に、いえ、こうなってしまえばもはや枢機卿に直接ご報告したほうが?」
計画を邪魔しそうな者として帝国司教がいるけれど、まさか、ありえません。
人を動かしたにしても時期が合わないのですから。
それでも力任せで尊貴な自ら以外の犠牲など考えないやり方を疑ってしまいます。
現場を知らないからこそ、何処までも非情で残虐になれる人間の悪性を感じずにはいられないのは、私のうがちすぎというものでしょうか。
「いえ、やはりありえないですわね」
どんな手を使ってもライカンスロープに手出しできる伝手など司教にはありません。
何よりライカンスロープが突然狂気に陥る理由がわからないのです。
しかも全員ではなく、正気の者もいたというのが事故か事件か曖昧にします。
「あ、ご報告が後になってしまいましたが。半獣人の少年と一緒にいた者の中に一人、帝国内に留まっている者がいるのです。ただすでにこの町からは離れています」
「誰? 何処へ行ったのかしら?」
「トーマス・クペスという探索者で、この町で探索者をしていた女性二人と共に発ったと。ライカンスロープの狂乱時には町の外へ出ています。殺されたギルド職員が指名依頼を出していたので、ライカンスロープ方からの要請で遠ざけたかと」
けれど同じ宿に事件後も泊まっていた。
なので何があったかを知っている可能性はあるという。
「船を追うよりも確実ではあるでしょうけれど。追う価値があるかどうか」
状況がわかっても原因がわかるとは限りません。
何より今こちらは人手が不足しているのです。
「忍耐のために大半を王国へ送っている今、人員を無闇に動かすのも無理ですわね」
私の部下は、目の前の隊長のように立ち場を得ることで情報を収集する者が主。
その他に動ける者は王国で活動する七徳の忍耐のために帝国を出ています。
私は忍耐の下に従う二十一士の一人。
指示を仰ぐために忍耐に連絡するのが筋でしょうけれど、あちらは今潜伏による活動中。
下手な接触は害にしかなりません。
「帝国の動きは神聖連邦の大計。枢機卿へのご報告と相談の許可はあるけれど」
「僭越ながら、我々の手には余るかと。元より潜入工作を得意とする我ら。指示を受けて遂行する形を最適としています。不測の事態に独自に介入しようなど、ましてやことが今後の帝国に対する計略を左右するとなれば…………」
隊長の言うとおりですわね。
ライカンスロープの狂乱の原因、使えなくなった策の対応、第四王子のこともある他に帝国の今後となると確かに手に余ります。
こうして並べると帝国での神聖連邦の計略を狙い撃ちで潰されているような気さえしますわね。
そんなことが本当にできるわけがないのですが、そうは思っても現状があります。
もしやっている者がいるならそれは神の如き…………。
私は嫌な想像に唾をのみました。
「…………提言を受け入れます。確かに手に余る状況ですわ。私たちが本来やるべきは帝国の推移を操ることでしてよ」
その筆頭である七徳の節制がいないことが異常なのですが。
「…………救恤が、生きていれば」
埒もないことを私は呟いてしまいました。
七徳の一人が欠け、その穴を埋めるため節制は王国で活動しています。
救恤配下の二十一士もすべて消えているため、帝国にいた節制の二十一士も大半が節制を補佐するために王国へ入っている現状。
人類の損失とも言える大きな穴です。
その救恤は今も何故いなくなったのか死亡の理由さえ明らかでなく、今回はその理由に迫るかもしれないと節制も真剣でした。
「邪魔はできません。ともかく報告は神聖連邦の枢機卿へ。トーマス・クペスという探索者にはギルドを通じて出頭要請を出しましょう」
指示を終えて、私はガトーの姿を思い描きます。
混乱ばかりで死を悼むこともせずにいた不義理を思い、私は一人ごく短く瞑目を捧げました。
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