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152話:ガトー

他視点

 金毛の狼を見た瞬間、俺は本能的に敵の視界から逃れるように上へと動いていた。

 自分が逃げたのだと気づいたのは、隠し部屋を支える梁の上に足を据えてからだ。

 屈辱は一瞬。

 自分の行動が正しいことはすぐにわかったからだ。


 俺が逃れると同時に足元では蹂躙が始まった。

 肉体的に優れているはずのライカンスロープが、ただの水袋のように引き裂かれて赤い中身をぶちまける。

 衝撃を吸収するはずの毛皮も、暴力を跳ね返す筋肉も、鋭敏な五感も何も役に立たない。

 圧倒的な暴威。

 ただひたすらに強いというだけで全てをねじ伏せる理不尽な獣がいた。


 正気を失った仲間と同じ顔をして、金毛の狼は暴れ回る。

 理性がないのは幸か不幸か。

 ともかく俺は追われない内に逃げ道を探って顔を上げた。

 灯りもない梁の上には、少ない光を集めて光る目がある。


「ガ、ガトーさん…………」


 鼠のライカンスロープのムースラだ。

 小さくなって髭を揺らす姿は本物の鼠と大差ない。

 ただ小刻みな震えは純粋に理性がある故の恐怖だった。


「お前、正気か?」

「へ、へい…………ぶ、ぶるっちまって、な、何も、できなくて」


 遠吠えで攻撃的に狂う仲間ばかりの中、耐えられたのは俺や比較的肝の据わった奴らだった。

 普通に考えればこいつが耐えられるとは思えない。


「逆か」


 このムースラの普段の攻撃性は弱さの裏返しだ。

 そこから凶暴性を無理に引き出されてもすでにいっぱいで、逆に普段隠してる弱さが前面に出たらしい。

 誰よりも早くここで隠れていたんだろう。

 もしかしたら最初の遠吠えの時から。


 倉庫に連れ込むまでは良かったのだ。

 気丈に振る舞う半端者を笑うために、人質は嘘で、逆にのこのこと来たお前を人質に仲間をおびき寄せていると暴露したのがまずかった。

 目論見としては成功し、俺に恥を欠かせた馬鹿は泣きだしたんだ。

 だが、同時にあの狂気を引きずり出す恐ろしい遠吠えも吐き出した。


「二発目が聞こえたとして、外ももうだめだろうな」


 ある程度壁は厚いが、この遠吠えの恐ろしいところは震える空気に触れても影響があることだ。

 倉庫の外に正気を失った奴らを追い出した後、倉庫内で正気の奴らは体勢を立て直し、俺たちは妙なことをしたガキを隔離した。

 だが、二発目に近いのは倉庫内で立て直しをしていた奴らだ。

 誰かが狂気に陥れば、瓦解してしまうだろう。


 俺は考えながら普段つけている肩あてを外す。

 途端に情けないなで肩になるが、今はこれでいい。


「あ、ま、待ってください」

「静かにしねぇなら俺が息の根止めるぞ」


 ムースラの無駄口を封じて、俺は隠し部屋の通気口へと梁の上を慎重に進む。

 外からはわからないようにしてあるが、部屋である以上通気口は存在した。

 足元では確実に物音が減っている。

 立ち上る血と臓物の臭いで窒息しそうな気さえした。


 辿り着いた壁の通気口は、俺の大きさでは頭が入るくらいだ。

 だが元からそれだけの隙間があれば無理矢理通れる体をしている。

 俺より小さいムースラも難なく通気口を通って外へと出た。

 すでに夕日が辺りを染め、その赤さがさっき見た血を思い出す。


「…………よし、船だ」

「へ、へい」


 蘇る血と臓物の臭いを振り払って言えば、ムースラはすぐに応じた。

 船で沖に逃げることに疑問も差し挟まない。

 どんなに化け物染みてようが、さすがに身一つで海を越えられないはずだ。


「けど、もし、本物の金狼王だったら、海も割れるかもしれないっすよね」


 ムースラが震える声で伝説の一部を口にした。


 それは南の大陸を制した金狼王の話。

 ライカンスロープ帝国本国の礎を築いた伝説の王で、南の大陸の東から海を割って現れたという。


「ありえねぇ」


 俺の否定にムースラは余計に不安になったようで言い返してきた。


「け、けど、あの遠吠え。伝説どおりライカンスロープを操るっていう力じゃないですか」

「操ってるんじゃねぇ、狂わせてるんだ。あれが伝説の王なわけないだろう」


 静かにさせるべきだが、進んでいるのに逃げられないのではないかという恐怖がまとわりつく。

 俺も落ち着かないまま口が動いた。


「そうだ、あんなの王なわけがねぇ。犬系のライカンスロープどもがきゃんきゃん自慢してる群雄を率いる始祖さまが、あれで自慢になるもんか」


 犬たちはそうでなくてもうるさい上に、始祖を引き合いに出して猫は協調性がないとか言いやがる。

 こちとら母系でコミュニティくらい作るわ。

 そっちこそ違う群れで潰し合いじゃねぇか。


 そんな埒もない愚痴が浮かぶくらい、クソみたいな思い出も多い故郷だ。

 それでも今はひどくあの土地が懐かしい。


 金狼王が当時圧政を敷いていた獅子王からライカンスロープを開放し、種族ごとに暮らしていたライカンスロープを纏めて大帝国を築いた。

 その大帝国が北の海を越えて求めた新天地。

 南の本国の土を踏んだことのない俺にとっては、新天地と呼ばれるライカンスロープ帝国が故郷だ。


「東にあんなのいるなんて聞いてねぇぞ」


 思い浮かぶのは二十一士の女。

 報復に異議を差し挟まなかったのは、なんの問題にもならないとの判断を下したからのはずだ。


「あいつらも、知らない? 人間の国には全部教会なんて出先機関置いてんのに?」


 そう言えば異界の悪魔は人間だけではないと聞いたことがある。

 この世界にいなかった種族が現われることがあると。

 それはエルフであったりドワーフであったり人間に近い者もいるが、ダンジョンに現れる魔物もこの世界にいなかった存在だとか。


 鳥顔の奴は異界の悪魔で人間だろうと思ったが違うかもしれない。

 そしてもしかしたらあの女のようなライカンスロープの合の子も、この世界にいなかった奴なのか。


「あれは、最初からあんな生き物だってのか? ふざけてる…………」


 ダンジョンで姿を変える奇妙な魔物の例はある。

 子供と油断したが、本性があの金狼王に似た獰猛なほうだとすればとんだ罠だ。


「あの鳥顔も、今までいなかった種か?」


 実はマスク取っても鳥顔もあり得る。

 だとしたら竜人を名乗るドラゴニュートたちのような鳥人と呼べる者かもしれない。


「は、はぁ、船だ…………!」


 ムースラが震える声で安堵の息を吐き出す。

 倉庫から足音を殺して急いだが、見る先には俺たちの船はまだ遠く感じた。

 家具や金は一部降ろしてしまったが気にしてられない。

 今は一刻を争う。


 人員も大幅に減ったし、いるのは船の見張りだけで船を動かせるかも厳しい。

 それでも出なければ、逃げなければ、二度と故郷の土を踏むことさえできない。


「戻ったら手を切る」

「は、はい?」


 俺の呟きに決意を聞き取り、ムースラが聞き返す。

 俺は気にするなと手を振った。


「爺どもに頭下げるだけだ」


 それでもやらなければいけない。

 どうやってでも神聖連邦とは手を切らせる。

 そうでなければライカンスロープ帝国は終わるんだ。

 南の本国がどうとかいう問題じゃない。


 異界の悪魔と敵対すれば、あの金狼王のまがい物が送り込まれる。

 一吠えだけで声の聞こえる範囲の半数は発狂し、奴はただ遠吠えを上げるだけでコミュニティを破壊できるんだ。

 排除しようにも奴自身が強すぎて無理だと俺は断言できる。


「対抗手段がないなら服従。だが、服従を最初に選ぶよりもまずは回避だ」


 ただの獣なら強者に服従でいい。

 だが俺たちは知性あるライカンスロープ。


 敵対行為を、敵認定を、回避しなければいけない。


「俺も、終わりか」


 『砥ぎ爪』で昇り上がり、力を盾に今までやって来た。

 けれど俺の名前で連れて来たほとんどが死亡。

 自ら敵対した相手と敵対するなと訴える矛盾。

 何よりもう、戦う気概がない。


「ひぃ、ひぃ、は、早く、船を、帰るんだ」


 息も荒く情けないムースラだが俺も同じ思いだった。


 どんなに集まっても勝てない。

 神聖連邦は結集して対処すべきだと五十年かけたが、それに意味はあったのか。

 確かに数を力にすれば少数相手なら勝てる見込みもある。

 だが、目の前に立つ者は大半死ぬだろう。

 死ぬとわかってて立つ気なんて俺にはない。


「いっそ、かつて追い返したということがすごいぜ」


 五十年前に戦い、危険性をうるさいほど説いていた爺ども。

 老害と蔑んだこともあるが今では畏敬の念さえ覚える。

 あんなのを相手に生き残るとは、何より戦い続けていたとは頭が下がる思いだ。


「あぁ、帰ったら、言ってやってもいいな」


 あんたらすげぇって、抑えつけるだけの煩わしい存在だと思っていたが、そんなことはなかった。

 素晴らしい先達だったんだ。


 船がようやく目の前に迫る。

 上がるために板を降ろさせなければいけない。


 そう思って声を上げようと息を吸った時、臭いがした。


「ひぃ!」

「くそ!」


 振り返る暇はない。

 だが手に取るようにわかる。

 追い駆けてきやがった!


 あ、まずい…………。


 それは水を飲むように当たり前に起こった考えであり、俺は無意識に素早く横へ移動していた。


「ぷぎゅ…………!?」


 濡れた音と声。

 肩越しに振り返るとムースラだっただろう血だまりがある。


 その上には赤いずきんを肩に降ろした少女のような化け物が立っていた。


「なんなんだ、お前ら…………異界の悪魔って、なんなんだよ…………」

「悪魔? いいえ、あの方は神です」


 至極不思議そうに答えた化け物は、神聖連邦と同じように神を語った。

 あまりに現実離れした答えに、いっそ笑える。


「は、はは、神ね。そんな」


 馬鹿なと言った気がした。

 けれど気づけば目の前に整った化け物の顔があった。


 背後で何かが水音をさせて倒れた音がする。

 何故俺は今、化け物の小さな手の下に頭があるんだ?

 頭を掴まれている気がするが、感覚がない。

 いや、それ以前に俺はもう、自分の手足を感じることはできなかった。


隔日更新

次回:バイコーンの意味

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