136話:ベステア
他視点
「あたしの母親ってさ、港の女って奴なの。で、行きずりの船乗りとの間にできたのがあたし。見てのとおり父親は誰かなんてすぐわかるありさまでね」
「ベスさん、ずっとライカンスロープの血が流れてること秘密にしてきたんですか?」
話を聞くアンは、正面からあたしを見つめて同情的だ。
下手な同情だとかは見下されてると思うけど、アンは正直私より周りにきつく当たられてた。
なのに差別されたあたしの育ちを思って同情できる姿を、今は素直に優しさだと思える。
周りは山林なんだけど、ちょっと離れたところにはぐずぐずに荒れた地獄のような様相。
そっちは見ないふりであたしたちは話す。
「ほう? 本当にグレイオブシーが山中にあるとは。なんのバグだ?」
「この気配、プレイヤーではないな。我を知るとは何者ぞ?」
勝手に辺りを探索して変な横穴を見つけたトーマスは無視だ。
あと横穴から出て来た灰色で大量の首が連なった液体みたいな化け物が案外知的に喋ってるなんてあたしは知らない、聞いてない!
アンもあたしだけを見て話し続ける。
「私は幼馴染に誘われて探索者になったんです。私より夢いっぱいの幼馴染だったんですけど、志半ばで…………。その夢を私が代わりになんて拘って、今まで、いろんな人を巻き込んでしまいました。ベスさんはどうして探索者に?」
「あたしはそんなまっとうなんじゃないよ。探索者の中でも悪い奴らは荷物の中抜きとか、護衛依頼受けつつ盗賊と結託してたりとか。そういうのに身の軽さを買われてね」
女が一緒だと依頼人が油断することもある。
だから他人にすり寄る仕草や無闇に距離を詰めて懐に入り込むことを覚えた。
「けど今回さ、父親の上司だってのがやって来て」
「え、もしかしてあのライカンスロープの船ですか? お父さんいらしたんです?」
目を輝かせるアンには悪いけどそう世の中甘くない。
「父親は死んでて、娘のことは聞いてたから父親に代わって組織に使われろって。顔なんか知らない奴のことなんてどうでもいいけど、本物のライカンスロープ相手だと、自分じゃ勝てないって、もう最初に反抗心が萎えちゃってさ」
それが『砥ぎ爪』というライカンスロープ帝国では知らない者がいない悪党。
ライカンスロープが来ることもある港だから、その悪名は聞いたことがあった。
「実はさ、トーマスに近づいて見張れって言われてたの。で、信頼されて後からライカンスロープの所に手引きしろって。あんたも聞いてない? ライカンスロープが船下りてすぐ、トーマスと揉めたの」
「知りませんでした。けど、トーマスさんが自分からそんなことする方には思えません。とても紳士ですし」
「だよねぇ。あたしもちょっと情報集めたら、どうもトーマスの連れにちょっかいかけようとして追い返されて、恥かいたみたい」
「えぇ? そんなことでベスさん脅してトーマスさんを見張らせるなんて。しかも手引きってことは、もしかしなくてもその後、悪いこと考えてますよね?」
ライカンスロープは目立つからってあたしが巻き込まれたんだけど、本命のライカンスロープの手下たちは後を追って来てた。
アンの不運に巻き込まれたのに、手下が崖下まで来たのは執念を感じたほどだ。
けどそれも恐ろしい蛇の魔物三体のブレスで…………。
溶け崩れた木々の間にそれらしい足が見えた。
きっと靴が覆ってたから全ては溶け切らずに残ったんだろう。
それでもトーマスに助けられたあたしと違ってあいつらはもう動かなかった。
「実はあんたに感謝してんの」
「え? えぇ!? 私ですか?」
「そんな驚かなくてもいいでしょ。あんたが道逸らしてくれたから、あたしも嫌なお役御免できるんだもの」
「あ、そうですね。確かに崖から落ちたんじゃ」
それにもう一つ、きっとこのアンはギフトを持ってる。
あれだけの敵に出会って死なないなんておかしい。
今までは巻き添えで死んだ奴らを憐れんでたけど、一緒にいてわかったのは、アンだけが幸運に恵まれて無傷で済んでいること。
ブレスの時なんて気絶してたからこそあたしと違って毒を吸わなかった。
動かなかったからこそ、あの恐ろしい蛇から敵じゃないとみなされた。
きっと、アンとぴったり一緒だったら生き残れた者もいたんだろう。
けれど無謀にしか見えないアンと心中すれすれのことなんて、まともな神経の探索者ならできない。
「なんと! 原初の混沌を知るか。もしやそなたも混沌の系譜に連なる者であるか?」
灰色のおよそ全うな生き物に思えない奴が喜色の滲む声を上げた。
「あぁ、そう言えばグレイオブシーも混沌の系譜だったな。だから海神とも関連付けがあった」
「そのとおりである。我は海神と違い生み出された者ではなく生まれ出でた者。眠りにつく刹那、混沌より溢れる力が時を経て揺蕩い形を成した存在の一人」
「そんな者もいたな。まぁ、海神も混沌の神の玄孫くらいの遠さで別に混沌と直接の関係はないはずだが」
「これは愉快。本当に何者であろう? それほど深き知識を持つ者など神に近しいものとしか思えぬが。あぁ、そこな耳目持つ者らが邪魔であるならば、我が飲み込んでくれよう」
全く意味がわからないのに不穏な気配だけは確かに感じた。
まずなんで会話が成立してるのか全くわからない。
わからないけど、今命の危機がなんとなしに訪れてしまったのはわかる。
目の前のアンもわかっていて顔面蒼白だ。
けれど次の瞬間、アンはトーマスのほうに向かって体を動かす。
そして可能な限り何も見ずに地面へと倒れ込んだ。
「私はトーマスさんに従います! 今まで私に巻き込まれて対処できた人なんていませんでした! きっとトーマスさんから離れたら、私、また誰かを殺すかもしれないって怯え続けるだけです! どうかトーマスさんと一緒にいさせてください!」
化け物同士の会話に割り込むなんて無謀で考えなしだ。
化け物の前で何を言っても通じるとは思えない。
しかもトーマスに全く利益がない話で、受けてくれるわけがなかった。
そう思うけどこのアンの奇跡的な生き残りは私も見たんだ。
だったらここで遅れるわけにはいかない。
「あたしも! 港で生まれ育ったからあそこ離れられるような伝手もなくて! けど、半獣って馬鹿にされ続けるのは嫌だったんだ! トーマスはあたしの耳見ても何も嫌なこと言わないし、きっとそんな奴他にいない! どうか連れて行ってほしい!」
あたしもアンに並んで頭を下げた。
とんでもなくみっともなくて、普段なら絶対しない。
けど今は命の瀬戸際なんだ。
そう思えば見苦しくったってあたしは生に縋ってやる。
「待て待て、そんな大げさなことをするな。女性を土下座させて喜ぶような嗜好はないっていうのに」
トーマスはあたしたちの行動に驚き、そして顔を上げさせようとするらしい。
私は光明が見えた気がして、緊張で硬くつぶっていた目を開ける。
瞬間、視界の端に地面を這うような灰色の水が映った。
あたしはなんの足しにもならないし意味もないけど息を止める。
「ふむ、やはり飲むか?」
「お前も待て。…………はぁ、小神を保護することもあるし、行き場を失くした者も住んでいるのだから、今さら人間が増えても。あぁ、そうか」
トーマスが化け物を止めてくれると、灰色の水が引いた。
何か思いついたようだ。
「私の部下の手伝いをしてくれるならアンとベステアの同行は許そう。もちろん、今回のことは他言無用だ」
「「はい!」」
あたしたちは遅れず返事をあげた。
色々不安はあるけど、今は目の前の危機が去ったことに胸が震える。
何せこの場で一番強いトーマスがあたしたちの身を保証したんだ。
やっぱりアンは正しかった。
捨て身で慈悲を請うようなことしなかったらトーマスも庇ってくれたかどうかわからない。
化け物もトーマスが止めなければ無慈悲に殺してただろう。
「そしてグレイオブシーへの答えだが、ふむ、呼び名はグラウマンのほうがいいのか? しかし灰色の男という呼び名をその女性体に呼びかけるのもな」
聞いたことない単語だ。
そして見ないようにしてたから知らなかったけど、大量の顔の中で女の顔が喋っていたらしい。
聞こえる声は高かったり低かったりする幾つもの声でできていたから気づかなかった。
グラウマンとかいう化け物は気遣いに気を良くしたようで好きに呼べと答えている。
「ではグラウ。私は混沌の神より生まれ、大地を司る権能を譲り受けた者。今はトーマスと偽名を使っているが、こちらも好きに呼んでもらって構わない。何せ呼び名は無数にある」
瞬間、灰色の水が音を立てて引いた。
そして聞こえるのは震える声。
「ま、まさ、か、まさか! 原初の混沌より生まれ出でた最初の三柱のお一人であらせられるのか!? 平に! 平にご容赦を! 知らぬこととは言え大変ご無礼をいたしました!」
化け物が怯えさえ含んだ声で謝罪した。
あたしは顔を横に向けてアンを見る。
アンもこっちを見て目を見開いていた。
もう疑いようもなくトーマスは人間じゃない。
その上見るからに化け物である灰色の水が恐縮するほどの大物だ。
それが人間に身をやつして、目立たないよう紳士な振りをして街にいた。
「無礼を承知でお答えいただけまいか? 大地神である御身がご降臨なさっているのならば、我が同胞たる海神は?」
「そうか、グラウも知らないか。私も私に従う神性以外を見たのはお前が初めてだ」
「おぉ、大地のお方さまの御許には他の神々が?」
「以前より信仰を失くした小神たちだがな」
また灰色の水が音を立てたけど、今度はトーマスに迫ったようだ。
「どうか! どうか我もお元に! 気づけば同胞眠る海でもなく、慣れぬ岩窟のなか這い出てみれば見知らぬ世。獲物を食ろうても知を得られぬほどの蒙昧の徒ばかり。如何せんと、時折身の一部を使い周辺を探ってはおりましたがすでに三百年ほどなんの成果もなく」
聞こえる言葉にぞっとした。
三百年もこんなにも近くに化け物がいたの?
「ふむ、ダンジョンとしても知られていない上にレベル七十推奨と来れば知られたところで人間には対処できまい。あっちには海があるが」
トーマスの言葉に、生まれ育った港町が灰色の水を見て恐慌をきたす姿が脳裏に浮かぶ。
「どうせなら私の大陸に来るか? ちょうど海だった場所がなくなり港街が機能しなくなっているのだ。船は空を飛べるからなくても不自由はしなかったが、やはり港町として作ったからには海が欲しい」
「我を、必要としてくださるか…………。なんとこの身を震わすお言葉であろう」
化け物が一喜一憂する姿にいっそ親近感を覚えた。
そしてそんな相手に当たり前に対応するトーマスのほうがなんだか不気味だ。
それでもあたしは生きて行くためにアンに倣うしかない。
ただ言えるのは、トーマスを敵に回した『砥ぎ爪』に明日はないということだった。
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