119話:イブの砦
俺は石造りの暗い石畳の道を歩いていた。
ここはイブがエリアボスを務める海上砦、だったはずなんだが、今は山中の深い霧の中だ。
本来海中に沈んでテクスチャもないはずの岩盤まで陸上にあるせいで、海上砦は山のようにそびえている。
「深い霧というのも乙だな」
「そ、そうかしら? べ、別に私は普通だと思うけど父たる神がそういうのなら火をいつでも点けていてもいいかもしれなくもないわね」
イブが羽根を上下にしながら早口に呟く。今日も元気にツンデレだ。
見下ろす水色のツインテールも霧の中つやつやと輝いている。
不機嫌そうなのが気になるがこれが本人らしさなら何も言うまい。
ただ注意はしよう。
「イブ、灯りは点けなくていい。歩くにしても我々に灯りは必要ない。それよりも周辺に気取られるほうが問題だ」
「う、わ、わかっています! もちろん!」
言う割に、地団駄を踏むように歩き出した。
わかってるならなんでそう不機嫌になるのかな?
これは世のお父さんが思春期の娘に話しかけづらいというのが良くわかる。
「どうせこんな陰気な場所…………父たる神はお嫌いよ…………」
「陰気? まぁ、そう言えるが、それでも美しい街並みと歴史を感じさせる趣がある。いい場所じゃないか。嫌ってなどいないぞ?」
「え、そう、そうかしら?」
俺の言葉に、イブはツインテールを掴んでもじもじし始めた。
俺としてはモンサンミシェル風のこの建築は見ごたえがあるし、誰もいないので観光地を独り占めにしているような贅沢感さえ味わえる。
それに霧に沈んだ灯り、濡れたような石畳、異国情緒のある建物の陰。うん、いい。
しかし考えてみれば若い女の子には確かに陰気で面白みのない場所かもしれない。
「イブはここを気に入らないか?」
「そんなこと言ってない! 父たる神が私のために用意したエリアで、私はここを守るために生まれたのですから!」
「う、うむ、そうであれば良かった」
俺の言葉選びが悪かったのか、イブがかっかしてしまった。
これは相互理解が必要か?
年頃の女の子になんて縁はなかったが。デリケートだとか聞いたことはある。
あれ? 余計に何言っていいのかわからないぞ…………。
「さ、最近変わったことは?」
「報告してますが?」
はい、終了。会話できねー。
まず共通の話題がないのが問題だ。
「その、イブの口から、聞こうと思ったのだが。そうか、ではまず報告に目を通してから」
「そ、そういうことなら! 私が話します! 父たる神が望むのなら!」
羽根をばっさばっさ言わせてイブが俺の目線まで上昇して来た。
大地神本来の姿に戻っているのでと身長差があるんだ。
「えっと、報告したとおり狩人らしき人間が近寄って来ていて」
「え?」
「どうされました?」
ぶっちゃけ俺は報告とか見てない。
けどそれこそ重要で、口頭の報告が必要なこと内容では?
というか王国から戻ったばかりでこっちのこと何も把握してないんだが。
『水魚』壊滅で早々に帝国へ行くカトルについて出た。
眠る必要がないため、こっそり転移で戻って様子を見に来ただけなんだ。
まぁ、戻った途端にスタファとチェルヴァが争って話しかけて来たから逃げたんだが。
やることあって戻ったとかなんとか言ってイブの所へ。
と言ってもイブを一人にするのは危険だからここに置いてなかったので、大地神の大陸から一緒に散歩がてら来たわけだ。
「その人間が狩人とわかった理由は? いや、そうか。イブは封印を免れたから見たことがあるのか」
「そう言われてみれば、以前の世界にいた狩人とは違う恰好でした。派手な弓を携えてもいなければ、これ見よがしな防具も着ていない、ひどく地味な…………」
イブは自分で言っていて、何故狩人だと思ったのかわからない様子で首を捻る。
基本イブは聖堂から離れない設定であり、大地神の大陸の入り口を守っている。
相応しい力の持ち主は大地神の生贄として通すとして倒され、ラスボスで条件が満たされなければ大地神の代わりにイブが現われた。
つまりイブはプレイヤーしか見たことがない。人間NPCも見てないだろう。
ゲームの服装で狩人がわかるかというと弓の携行くらいしか判断材料がないはずだ。しかも弓を持ってても別ジョブあるから狩人と断定は難しい。
「前の世界にもNPC、人間の狩人はいたが見たことはないだろうし。探索者ではなく狩人だと思ったのも何故だ?」
「戦う者にしては弱そうだったで、ただの人間だと思ったのですが」
「この世界の人間が弱いのは『血塗れ団』でわかっているだろう」
どんどん下を向いて行くイブは、それと同時に羽根も萎れて着地する。
「け、決して嘘を申し上げようとしたわけでは…………!」
「いや、いい。落ち着け」
顔を上げたかと思えば涙目で縋られる。
罪悪感を刺激されて俺はともかく詳しい情報を求めた。
「近寄って来た人間はどうしたんだ?」
「砦の威容に恐れをなして逃げました」
「捕まえなかったのか?」
「雑魚だから、いらないかと…………捕まえるべきでしたか?」
また項垂れ始めたイブを前に、俺は考える。
そしてふわっと近くの崖から飛び降りてみた。
モンサンミシェルと同じで坂が折り重なった町並みなので、飛び降りれば下の建物の屋根に着地できる。
さらに降りると下の道に至り、また降りれば山形の砦を下に下っていくことになった。
「父たる神よ、どうされました?」
イブは羽根で飛んで追ってくる。
「いや、人間がこれを見てなんと思うかなと」
俺はそう言ってエリア外まで飛び降り、砦の下から見上げてみた。
元は海上にあったため、十メートル以上は岩肌が露出している。
ただ部分によっては石積みで補強してあるし階段があるのでよく見れば人工物だとわかるだろう。
「今は灯りで街の様相も見て取れるが、濃霧の中であるなら気づかれない、か?」
「人間は私たちほど目は良くないのでしょう? でしたら気にしていないのでは? その後見える範囲には戻って来ませんでしたし」
イブのいう通りか?
だが逃げたというならここが以前と違うことはわかったはず。
いや、来ていないのなら考えすぎか?
俺は当初の目的のためまた海上砦の中へと戻った。
「ところでここのエネミーはどうした? 姿が見えないが」
「目立つなとのことでしたので屋内におります。おいたはしていません」
「私が来ても出て来ないか」
「は! すぐに並べてご挨拶を!」
「いや、そういうことじゃなくてな。あー、ほら。以前来た時にはプレイヤーとしてだっただろう。その時には行く手を阻むように現れたなと、思い出しただけだ」
「あぁ、あれは、その…………。神に対して不敬を働いた者は消しますか?」
「するなするな。妙な忖度はいらん」
イブはやる気が高いな。
それ味方に向けるなよ?
ただこれで確定だ。
俺はエネミー扱いで基本的にはエネミーは襲って来ない。
だがノーライフファクトリーの地下では襲われた。
「ここのエネミーは何をきっかけに襲う? 閉鎖空間であるなら扉の開閉でだが」
「それは範囲内にプレイヤーがやってくることかと」
「ふむ…………人間が近づいたことをイブに報せたのは?」
「私が見ました。その、父たる神が足を運ぶことも考えて見回りをしており、べ、別に来るとは思っていませんでしたけど、一応、私も暇ではないけれど備えはしておくものですから!」
焦ったように言葉を重ねるが、まぁ、つまりは偶然だったということか。
そして普段はエネミーの目もなく、イブも大地神の大陸のほうにいると。
「それはまずいな。イブが見た人間は何度も来ている可能性がある」
「それは、なんのために?」
「偵察か、周辺の調査か。なんにしてもこの場所が突然現れたことはわかっただろう」
ここは大地神の大陸の北東で、霧に覆われた山の中だが比較的王国の人間が出入りする付近に近い。
それに『血塗れ団』もこの海上砦は見つけてる。
他の人間が見つけててもおかしくはない。
「これからはエネミーに巡廻をさせよ。レイス、では無理か。報告や対応ができるエネミーはいるか?」
ここはダンジョン扱い。街は見せかけで誰も住んではいないからNPCはイブのみだ。
「では悪魔たちに警戒をさせましょう」
イブが手を打ち鳴らすと、まるで忍者のようにしゅっと五体の悪魔が姿を現した。
イブがエリアボスとして従えるアークデーモンたちだ。
これなら知能は高い設定だから大丈夫か?
目鼻はないが口はあるし、報告は可能だろう。
「あの、私もまたここに一人で、待ち構えるべき、でしょうか?」
「いや、大陸のほうにいていい。もちろん、エリアボスとして報告を受けた時には責任者たれ。だがレジスタンスのことを任せているしな。アルブムルナもいるがイブもいたほうが安心だろう」
雪山でドラゴンを倒す時もイブとアルブムルナが抑えに回り、アルブムルナは腕力が駄目だからイブが前に出ていた。
そういう役回りがきちんとできてるなら連携できる距離にいたほうがいいだろう。
「は、はい! お任せください!」
元気な返事はいいことだ。
俺は頷いて、ふと思いつく。
「そう言えばヴェノスは船でライカンスロープの所にも行くのか」
カトルは海路で議長国へ戻るため、ヴェノスはそれに同行する。
王国や帝国で仕入れた品を議長国やその途上にあるライカンスロープ帝国に卸すための旅だとか。
ヴェノスは小細工なしに亜人の生活圏に入り情報を得られるとして自ら向かい、途中で騎士団の部下も呼び寄せる算段だ。
王国を一緒にでて帝国までの足になってもらっているカトルは、俺にも同行を打診して来た。
ただ一度ペストマスクを脱いで思ったんだが、あれやっぱり窮屈だ。
慣れない船旅の上、ずっと窮屈な思いをするかというと、答えはノーだった。
…………そうは思うが巨大帆船なんてロマンが今さらになって惜しくなる。
「他も外に出してみるか」
そんな俺の呟きにイブがそわそわしているが、何故なのかはよくわからなかった。
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