12話:ファナ・シルヴァ
他視点
私は何処にでもいる村娘だった。
けれど今は両親が名付けてくれたファナの名を捨てて、父の名を借りてトレトを名乗っている。
「こりゃ凄い霧だ。なんだってこんな時になぁ?」
「いやいや、王国の英雄さまの視察だってのに不備があっちゃいけねぇ」
「あぁ、そうだ。お前もそう思うだろ、新人?」
「えぇ、そうですね」
できる限り声を低く装って、男のふりで兵に混じっていた。
(正体がばれないようにできるだけ交流はせずにいたけれど、今は王都から英雄と呼ばれるヴァン・クールが来ているし。巡回も大事だよね)
親しい相手ではないけれど、辺りの巡回を強めようと頭数として誘われれば拒否する理由もなかった。
北に位置する帝国に侵攻をかけられる中、故郷を焼かれて立った英雄ヴァン・クール。
身寄りもなくなった英雄は志願兵として北の国境を守り、復讐の炎で敵を焼き尽くし、数々の窮地を潜り抜けて戦功を打ち立てた。
(私も、そんな人になりたくて、性別を偽り志願したのに、こんな南に配属されるなんて)
日々鬱屈を押し殺していた中で、まさか目標にする本人が来るなんて思っていなかった。
私みたいな下っ端なんて、近づくこともできないけど、それでも何かしたい思いがこの巡回の誘いを頷かせたような気がする。
「ここらでいいか? いいよな? こんだけ霧が深いんだ。ばれやしねぇ」
「おいおい、堪え性がないな。まぁ、砦の影もわからないしいいか」
「じゃ、お前は適当に転がっておけ、よ!」
「ぐぅ…………!?」
突然仲間の兵の一人が私の腹を殴りつけて来た。
地面を転がったところをさらに別の一人が蹴りつけてくる。
そうして最初に足を止めた兵が私の上に乗り上がった。
「へっへっへ!こんな男所帯に紛れ込んでんだ。覚悟はできてんだろ?」
「何をする!? やめ…………きゃぁぁああ!?」
三人がかりで抑えつけられ装備をむしり取られて服を引き裂かれる。
その顔には醜悪なほどの欲が浮かび上がっていた。
「うわ、本当に女だ! おいおい、なんだってこんな所にいるんだよお嬢ちゃん。ここは遊び場じゃねぇんだぜ?」
「はは、北の国境は帝国軍に殺されるかもしれねぇが、この南の国境なら山越えて来る少数しかいねぇぶん安全だがな」
勝手な言い分に、素肌を暴かれた羞恥ではなく怒りで熱くなる。
(違う違う違う! 私は北の国境に行きたかった! 故郷を焼いて、父を殺した帝国に復讐したかった! 親戚を頼って母一人子一人で支え合った細やかな時間さえ、帝国が再侵攻をして奪ったんだ!)
力の限り暴れてみても、三人がかりでは意味がない。
上手く反撃できたと思えば、すぐに三つの拳が私を打ち付け抵抗を封じる。
容赦のない暴力に萎えそうになる気力を振り絞り、私は血の味がする口を開いた。
「兵士として許されると思っているのか!? 汚いものを見せるな!」
「今からお前を喜ばせてやろうってぇのに生意気言うんじゃねぇよ!」
痛む体で必死に首を背けても、容赦のない平手打ちが顔を襲い抵抗する力を削ぐ。
(こんなはずじゃなかった! 女を捨てて復讐に生きるつもりでいたのに、どうして帝国兵でもない同国民に!?)
悔しさで涙が出るけれど、歯を食いしばって耐える。
途端に男たちはさらに殴りつけて大笑いをするのだ。
(こんな理不尽があってたまるか! こんな不条理があってたまるか! 復讐をするんだ! 父の、母の、友人の、仲間の…………私の!)
そう気持ちを奮い立たせても、痛みと恐怖に気力は萎えて行く。
抵抗するだけでも殴られ蹴られた場所が悲鳴を上げ、次第に抵抗という抵抗もできないほど疲弊してしまった。
「よぉし、そのまま大人しく舐めとけよ。そしたら天国見せて…………ぃぎゃぁぁああぁぁああ!?」
吐き気を催す汚らわしい肉を、私は渾身の力で噛み千切った。
途端に上がる獣よりも醜い咆哮に気を取られるよりも先に、口の中の汚物を嗚咽と共に吐き出す。
(やってやった…………やってやった!)
一矢報いたことで、私はなんとか体を動かした。
「あ…………あぁ…………な、なんてことしやがる!?」
股間から血を撒き散らす男の狂態から目を引きはがし、兵とも呼べない無法者が私に唾を飛ばした。
その手には抜き身の支給品の剣。
私は大振りながら力任せな攻撃を土塗れになりながら転がって避ける。
けれどそんな抵抗も時間稼ぎにもならず追い詰められ、腹を強く切り裂かれた。
「は、はは…………!」
「何笑ってやがるこの狂人女ぁ!」
笑ったのはお前たちに腹を切られて穢される恐れがなくなったから。
(そして、たまたま転がった先に私から剥ぎ取られた支給品の剣があったからだ!)
私は鞘のまま相手の脛を力いっぱい殴り、痛みで退いた隙に剣を抜き振る。
けれど思いの外怪我が深くふらついた。
それでも復讐を遂げなければ死ねない。
その思いで剣を向けると、体重を乗せた切っ先が相手の太ももに深く突き刺さって、折れた。
「ぐ、ぎゃぁああ!? やりやがって! ぐ、この、うぅ…………いてぇ、いてぇよ!」
泣き騒いで持っていた剣も放り捨てたそれは、もう敵ではない。
辺りには濃密な血の臭いがして、意識が遠のき一瞬の眩暈に足元が覚つかなくなる。
(まだだ、まだ死ねない)
私は最初に汚いものを切除した男を、助けに向かった三人目を見た。
仲間の新たな悲鳴と私の視線に、最後の一人が尻もちをつく。
「やめ、やめろ! お、お前が女のくせにこんなところいるのが悪いんだろ!? 大人しく娼婦かなんかで食っていけるのに、こんなとこいるなら好きものだと思うだろうが!」
訳のわからない叫びなんて理解するだけ無駄だ。
私は防御重視の重いブーツを履いた足を振り上げた。
狙うは臭い小便を漏らしたその股間。
渾身の力で踏み抜けば、何かが弾ける感触がした気がする。
そのまま二度、三度と潰したけれど、もう足が上がらない。
「…………まだ、おわら、ない…………復、讐…………わた、し…………」
倒れられない。
その一心で足を動かし前へ進むけれど、視界がぼやけているのは霧のせいかな。
(体中が冷たい。なのに腹は熱い。なんだか腹の下が酷く濡れている気がする)
思考が散漫になる。
けれど私がしなきゃいけないことは変わらないはずだ。
「ここ…………ない…………英、ゆ…………わた…………殺…………」
気づいたら倒れていた。
何故だかひどく濡れた音がした気もしたけど。
(まだ何もできてないのに。復讐も、帝国兵を殺すことも)
よく似た経緯で英雄にまでなったヴァン・クールにも、成し遂げた秘訣を聞きたかった、私も、そうなりたかった。
(…………いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! こんな所で終われない! 終わるわけにはいかない! あんな奴らに殺されるなんてばかばかしい理由で!)
迫る死を自覚した途端、私の中に最後の叫びが沸き上がる。
(神よ! 救いをもたらす唯一神よ! 私を死の縁から救いたまえ! その暁には誰よりもこの世界の害悪である帝国兵を殺してみせます! 神よ!)
声にならない声で慟哭する私は、何か黒いものを見た。
たぶん、靴?
「おや、良かった。まだ息があるようです。神よ、ごらんのとおりです。放っておけば死ぬしかない矮小な人間。如何なさいますか?」
澄んだ男の声は、たぶん目の前の黒い靴の持ち主だ。
その男が今、神と言った?
まさか神より遣わされる死の天使?
足音もなく現れたのは羽根で舞い降りたから?
「これはこの辺りの人間の普通の恰好なのかしら? あまりにも大神の御前に相応しくない、あられもない恰好ではないの」
美しい女性の声に黒靴が答える。
「それはあちらのほうに同じ服の者たちがいるので違うでしょう。残った衣服の様子から、きっとこの者も同じ服装だったのでは?」
「まぁ、つまりこの者は…………。獣だって相手の了承を得るために求愛行動をするというのに、人間は呆れかえるほどお上品なのね」
嫌悪の滲む嫌みをいうこの女性が神?
いいえ、大神の御前と言っていたなら、喋っていないもう一人がいるはず。
もし本物の神であるならどうか私の祈りを聞き届けて!
「ふ、む…………。あれらが暴漢であるとして、この少女一人で倒したものか?」
三人目はたぶん男性。
他の二人に比べてその声は驚くほど普通で何の感慨も湧かない。
だからこそその声に恐れ、いえ、憐憫が潜んでいるように聞こえた。
「内臓が…………」
「零れ落ちていますね」
「これはちょうどいいのでは?」
神と思われる呟きに、黒靴と女性が答えた。
「どうぞ、神よ。こちらにモノポーションとディポーションがございます」
「おや、救うのですか? 違う? あぁ、実験ですか。何処まで効果があるのかを見るには程よいかと」
頭上で会話が続くけれど、私はもうその言葉の意味も分からない。
ただの雑音になって、意識は、遠く、昏く…………。
「いや、どうせならゼーンストーンを使って、どの程度回復するかを見る。これも何かの縁だ。その死を使ってやろう。無駄にするのはもったいない」
神の声が聞こえた気がした。
そして私は闇に落ちて。
次の瞬間、自分でも驚くほどの音を立てて息を吸い込んだのだった。
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