頭痛劇薬
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん……む? つぶらやくんどうした? 何か用かな。
ああすまないね。ここんところ頭痛がきつくってね。耐えられないってほどじゃないんだが、頭の中が心臓とつながったみたいに、どくどくうずくことがあってね。
片頭痛、というやつかな。人によっては前兆があるらしいんだけど、私の場合は突発的に来るパターン。覚悟する間もないし、会議とかの大事な時間で来ないか、ひやひやものさ。
――ん? 頭痛薬とか使った方がいいのでは?
確かに薬のパワーはあなどれないねえ。私も昔からよく承知している。
だが、ちょっと痛烈で忘れがたいことがあってね。安易に力を借りるのに、二の足を踏みがちなんだ。今でもさ。
――そのときのことに興味がある?
君なら、そういうとは思っていたけどね……聞いてみるかい?
私がその薬と出会ったのは、学校の保健室へいったときのこと。当時から私は頭痛が頻発して、授業中でも遠慮なく先生へ申し出ていた。
ケガと違って、外へ出ない病状は本人以外には判断しづらいもの。4回、5回と重ねていくうちに、ずる休みだと邪推する連中も出てきた。
この空気、若い私にとっては屈辱以外の何物でもなかった。自分の本気を理解してもらえないことに、ちょっと心も痛んださ。
だがムキになって反抗すると、「元気あんじゃん。仮病〜」なんて、ちゃかされるのがオチだ。相手にせず、神妙な表情で教室を後にするのが、私なりの抗議でもあったんだ。
すっかりおなじみになってしまった保健室の中で、私は先生に相談する。この頭痛をどうにかする方法を教えてほしい、と。
病院で検査することは避けたかった。もし異状が見つかって、入院することとかになったら面倒だな……と考えてしまう。
自分だけが休んだ翌日にだって、クラスへ入ることにどこかこっぱずかしさというか、申し訳なさを感じる私だ。これが何日も続いた後となると、感じる居心地の悪さは並たいていじゃないだろう。
そのぶん、私を蔑んでいた奴らに、後悔や申し訳なさを植え付けることはできるだろうけど。
天秤にかけた結果、普通に通学を続けたい旨を告げる私に、保健の先生は考え込んだ後、「ちょっと試してみる?」と薬棚の一角にある、引き出しを開けた。
てっきり錠剤でも出てくるのかと思ったら、取り出されたのは制汗スプレーを思わせる、半透明の容器だった。押す部分に誤動作防止のキャップがかぶさり、中身はたっぷり入っていて、揺すっても水面が揺れなかった。
「本当に頭痛がきついとき、これを一回だけ。痛みの源近くへスプレーしなさい。痛む箇所に直接吹き付けるのは、おすすめしないわ。
そして一度使ったら、30分以上は時間をあけること。連続で使用すると、命にかかわりかねない劇薬だから」
最後のフレーズに、私は思わずぶるったね。でも「用法・用量を守って〜」は、お薬にお決まりの文句だった。
――ニトログリセリンだって、心臓の手当てに使われるんだ。頭痛がおさまるんなら、劇薬なんてナンボのものか。
異状があったら、すぐに中止・返却することを条件に、私は先生からかの頭痛薬を受け取ったんだ。
結果からいうと、効果はてきめんだった。
頭痛が来たとき、私は例のスプレーを取り出してプッシュする。これが香水用の霧吹きだったら使うのをためらったかもしれないが、このデザインを採用してくれたことを、先生に感謝する。
この霧がかすめると、拍動が絶えず、少しでも首をひねれば、なおさら痛みが悪化する症状が、またたくまに鎮静化する。これまでのように頭をおさえて、奥歯をかみしめながら耐えるような、厳しい痛みと向き合わなくて済むようになったんだ。
授業中など、おおっぴらにスプレーしづらいときには、ちょっと頭を下げて、机の下でやる。ただ狙った場所にあてるのは難しくて、服とか首周りにもかすることがしばしばあった。
そこで感じたのが、この液体が妙に重く感じられるってことだ。
スプレーに収まっている間は、さほどでもない。それが服にかかるや、その部分が漬物石を乗せられたように、ずしりと重みを増す。
首にかかったときも、ひどかった。かかった箇所に、ひきつるのと肩こりが、合いの子で迫ってくるような圧と痛みが走ってね。ものの数十分とはいえ、顔色を変えずにいるのには苦労したよ。
それでもメリットを考えれば、先生に返すには至らない。私にとっての天国は一ヵ月半の間続き、スプレーの中身も半分近くを消費していた。
だが、蜜月はそれ以上続かない。
とある雨上がりの帰り際のことだった。
坂を下っていた私は、金属製のマンホールの蓋でつるりと足を滑らせてしまう。尻もちつく形で、数メートル滑り落ちたんだが、身体は無事だった。背中のリュックがソリ兼クッションとなって、ダメージを肩代わりしてくれたからね。
その分、リュックは悲惨のひとこと。数段連なる構造の外ポケットのうち、一番外側は表面をベロリと剥かれて、中身が丸見えになっている。
その中には、例のスプレーも入っていた。私の体重をかけられ、そのうえ数メートルにも及ぶ地面との摩擦。かの容器が受け止めるにはあまりに重く、無残に砕けた下半身から飛び出した中の液が、リュックの表面をしとどに濡らしていた。
次の瞬間、リュックからアルミ缶を押しつぶすのと、似た音が聞こえてきた。それに伴い、信じがたいことだが、リュックが勝手に縮み出したんだ。教科書やノートを満載したそれが、ひとりでにだ。
がぎゅ。ぎゅるる。ぎしゅぎしゅ……。
止まらないプレス音――おそらくは、リュックの中にあるものたちの悲鳴だ――の中、リュックは不格好なおにぎりを作るように、姿を崩していく。
片側を潰され、いびつな形になったところを、すかさず出っ張った箇所を潰され……。見えない金づちが、どんどんリュックを圧縮していく。
――助け出さないのかって?
無理無理。リュックが小さくなり出したときに、私は手を差し伸べたさ。
でも、触る数十センチ前から、万力に絞められたような痛みが走る。それにも耐えて近づこうとした、手の甲のあちらこちらから皮が破れて血がにじんでくるんだ。あれ以上寄ろうとしたら、いまの私の手は「五指満足」でいられなかったと思う。
それが終わって触れるようになったとき、リュックはピンポン玉のようなサイズになっていた。
もちろん中身も相応に潰され、ミニチュアと呼ぶには原型も留めない、教科書類の「粒」がたくさん出てきたんだ。
保健の先生はこの事態を見越していたのか、報告したところ中身一式を弁償してくれた。教科書類など、あらかじめすべて揃えていた周到さだ。だが、あのスプレーの中身については何も教えてくれなかったんだ。
のちに私は片頭痛の原因が、頭の中での血管拡張にあることを知る。
あの薬で頭痛が楽になるのは、頭をかすめるひと吹きで、広がる血管を圧してくれたからじゃないかな。
もし用量を守っていなかったら、私もリュックと同じ目に遭っていたかもしれない。