L with greenline
続き。
"086" 番号を確認して、少しため息を吐く。卒業式の前にこちらも合格して良かった。安堵と軽い興奮が心のなかに生まれたので、手続き中にまたドジをしないように自分に言い聞かせる。
考えればこの一ヶ月足らずの間は、生まれてから一番必死だったような気がする。先生の機嫌をうかがうなんて、一年前の自分は想像もしていなかった。
これが社会人になるって事なんだなって思うと、この先の約50年が少し怖くもなるけれど、アルバイト中に出会った人たちの顔を思い浮かべると期待の方が遥かに大きかった。
受け取った免許証はポイントカードと変わらない大きさだけど、その重みは十分に理解できる。これ一枚あれば自分で行動できる範囲が、あの小さな町から日本中に広がるんだ。
昨日までの8年間でコツコツ集めたガイドブックの束がやっと日の目を見る。今日までは空想の中でしか行く事ができなかった秋吉台に猪苗代湖なども、明日からは自由にナビの目的地に載せることができる。
父から出された条件はすべてクリアしたので、ピンクのミラココアの使用者はすぐにでも村越白に変更してもらえるはずだ。
キーはもう受け取っているので、あとは教習所でもらった初心者マークを貼れば〝アッツァーグ〟号は遂に自宅の敷地から進水できるだろう。
百も期待していることだろうと思いラインを開こうとスマホを取り出すと、メールが来ていることに気がついた。そういえば、とマナーモードにしていた事を思い出し、音量を上げてからメールの通知をタップすると、いつもはラインか電話しか使わない百からメールが飛んで来ていた。
from:百(ドすけべぇ)momo@pcdpc.info
to :村越白tsugumi@pcdpc.info
件名:ばぁちゃん事故!!
怪我はないけど年が年なんで念のため救急車で病院に行った!桜谷中央病院!!
またか、と思いながら桜谷町への路線を思い出そうとして、今年の初めにバス路線の大幅な変更があったことを思い出した。
(百のトラウマ、まだ治ってないんだなぁ……。)
小学生の頃、救急車に轢かれる猫を見て以来、百はそれの話を聞くだけで軽いパニックに陥るようになってしまった。
今回だって怪我がないんだったらラインで十分だったはずなのに、わざわざ〝全てのアプリ〟からキャリアメールを開いて飛ばしたんだろう。まぁ、いつも通り病院に着く頃には治まってるといいけど。
正面入口の向こう側に、何台かのタクシーが客待ちをしているのが目に入った。
(緊急事態だし、まぁいっか。)
自動ドアが開くのをゆっくり待って、先頭の個人タクシーに向かう。運転手さんはスマホを見ながら、こちらをチラチラと気にかけている。
カバンの内ポケットに入っていた財布の中身を確認し、顔を上げると一瞬目が合い、後部座席のドアをゆっくりと開けてくれた。
「桜谷中央病院まで、急いでないです」
そう告げると、一瞬緊張が走った運転手さんの表情が緩み、
「はいよ」
と、笑顔で応え、駐車場の出口に向い発車した。
「お見舞いか何かですか?」
無事に左車線に合流すると、還暦は軽く超えているであろう、ふっくらした眼鏡の運転手さんは、気さくに声をかけてくれた。
「祖母が救急車で運ばれたって……」
なるべく真剣な声色で話し始める。
「妹から連絡があったんです」
左手に流れていくダイハツのディーラーの駐車場の薄いブルーに少し気を取られながら、
「怪我はないらしいんですけど」
一気に話し終えると、
「それは良かった」
と、微笑みを返してくれた。
ーピコロンー
ナビから小さな警告音が鳴り、少し身を乗り出してそちらに目を向けると、中央より少し上に小さな×印と"T.A."の文字が点滅している。
「ちょっと脇道入るよ」
つぶやくように言うと、信号もない路地に車を入れた。
「ティーエーって何ですか?」
「事故だよ。タクシー業界も進歩しててね、事故や工事の情報はみんなで共有してるんだ」
あっさり運転手さんは教えてくれた。
個人タクシーも、そういう情報が入ってくるんだ。大手だけがやっているかと思ってた。でも考えてみれば、助けられているのは大手の方かもしれない。タクシー業界には詳しくないけど。
「僕らみたいな年になるとねぇ……」
少し減速しながら運転手さんは話し始めた。
対向車線を走っていたトラックとすれ違い、自転車ほどまでスピードを落とす。
「初めて会う人と話をするだけでも楽しいんですよ」
車は停止線の手前で完全に止まり、理由を聞こうと思うと、マンションの影からベビーカーを押した女性が出てくる。
何台か対向車が通り過ぎていったあと、赤いストライプの入ったトラックが停止した。
(カーブミラーか……。)
女性はこちらとトラックに会釈をし、横断歩道を渡り切ると、ベビーカーのフードを少し開け、また歩き出した。
凶器を操作する事の恐ろしさと難しさを教わった。
会話の引き出しが無くなりかけた時、鞄から入学した頃に何度も聞いたメロディーが流れ始めた。
着信 百(ドすけべぇ)
の表示を確認し、通話をタップする。
「もしもし?今、病院出るところ。異常なしだって」
「え?今そっち向かってるんだけど……」
「お家に向かってオモカジいっぱ〜い♪」
……。
「トリカジにしておく」
通話終了をタップすると、元気いっぱいな百の声を聞いてニヤニヤしている運転手さんと、バックミラー越しに目が合った(無理矢理合わせた)。
「どうされますか?」
「自宅に帰ることにします。茯夕市の武州町までお願いします」
「はいよ」
そういえば、祖母はよもぎ餅を買いに行く途中だったんだろう。往きに事故をしたとしたらストックは底をついているかもしれない。
「あ、道の駅〝戸部の泉〟経由で」
「出水餅でも買っていくのかい?」
「流石ですね。自宅のストックが底をつきそうだったので」
運転手さんの笑顔がバックミラーに現れ、
「経験の差ってやつですよ」
いたずら好きそうな口元が視界から消え、車を右折車線に進めた。
「この頃の若い娘の間では、どんなのが流行っているんだい?」
運転手さんは、興味津々といった風に聞いてくる。
(この話題、深入りすると自爆するやつだ。)
注意深く、幾人かの顔を思い浮かべ答える。
「〝アイドル〟とか、〝アニメ〟、〝彼氏との惚気や将来の夢〟とかですかね?〝部活〟やってた子もクラスタで盛り上がっています」
(四択…。流石に当てられないでしょ。)
「五択かな。ホントはお客さんの〝彼氏の惚気〟が聞きたいけど、コレ罠でしょ」
……。
「無難な所いっとこうか。〝将来の夢〟どうだ!」
頭痛くなってきた。仕方ない、真面目に話すか。
「およめさん、ですっ♪」
…………。
「おじさん、去年、妻に先立たれてねぇ。どうだろう?おむこさん候補、探してたりしない?」
「"い"、忘れてますよ。残念ながら素敵な彼氏がいます」
「そっかぁ。残念」
(この人、多分かなり稼いでるなぁ。)
戸部の泉に到着し、おじいさんに、
「ちょっと待ってて下さいね」
と、声を掛けてから車を降りた。
道の駅は、昼食を終えた観光客でいつもより少し混んでいて、お餅が残っているか不安になる。
ベンチに座ったお年寄りが将棋を指している。将棋のルールを知らないので、どちらが優勢かはわからなかったが、theお年寄りの
「もう、無さそうだなぁ」
の一言を聞くに、勝負は付いたようだ。
"新鮮一番"の幟が肩を撫で、心地よい初春の風に触れながら自動ドアをくぐった。
みんな見てくれるといいなぁ。




