47.魔族領
第五都市を速やかに出立する。
どうせ戻ってくるときにまた立ち寄りますしね。
それでも橋の手前では随分盛大に見送られましたけど。
わたしどこにいつ行くとか言ってないんですがなぜいつも先回りされているんでしょうか。
大きな橋の向こうは確かにひどく"澱んで"いて、普段"澱み"が見えない双子にも見えるらしい。
わたしにはすっかり霧に覆われているように見えるので、この先の風景が全くわからない。
通行人もあまりいないようで、どこか寒々しく、しんと静まり返っている。
「服を着替えてくるべきでした」
海に出たとたんに気温が下がるので驚きました。
さっきまでは日差しが強く、風通しの良い服がちょうどよかったのに。
今はもう少し厚手の服と上着が欲しい。
「そうですね、冷えます。せめて上着を羽織ってください」
いつ用意していたのかヴェインに差し出された上着を羽織りほっとする。
それでもわたしが通ると霧が晴れて少し日が差すようになるのでましなのですけれど。
ルーリアさんの瞳で見ると霧に覆われた行き先も、自分の瞳で見ると自然豊かな森に見えるようになる。
「主様、魔獣が出ます」
ぴくりと耳が揺れたかと思うと、ヴェインが少し硬い声を出す。
急なことに思わずびくりと体が跳ねる。
はじめての魔獣、です。
「僕が行くよ、ヴェイン。主様を任せるよ」
ヴァイトが武器を取ったところを初めて見た。
魔法で収納していたのか、空中からずぷりと抜かれた日本刀のような細く美しい剣。
それを一度ひらりと翻すと、ヴァイトの姿は見えなくなった。
「主様、少々目を塞ぎます」
優しく目に触れるヴェインの手がわたしの視界を遮る。
「えっと、なぜ?」
「魔獣の姿は主様にはお見せできません」
きっとそれはヴェインの優しさだけど、わたしがそれに甘えるのはずるい、と思うのです。
だって、"聖女"が働かなければ生まれてしまうものですから。
わたしがさぼると生まれてしまうもの、戒めとして見ておくべきだと思うのです。
「見…ます。手をはなして」
力を緩めてくれたヴェインの手を退ける。
しかしその手を離すことはできなかった。
ヴァイトが何かに剣を突き立てたのが目に入ってきたから。
あれは魔獣なんてかわいらしいものではない。
もっと禍々しい、そしておどろおどろしいものだ。
わたしの喉からひきつった声が出たけれど、なんとかそれだけで留める。
呪われているような容貌だった。
ヴァイトが核のようなものを貫いた瞬間霧散したので、見たのは一瞬だったけれど。
だから既に目の前には跡形も残ってはいないというのに網膜に焼き付いて離れないほど強烈な。
ベースは多分、鹿だった。
半透明の紫色の角が見えたから、そう思う。
白目がない瞳は異様に黄色くぎらついており、それもいまにもどろりと溶け落ちそうだった。
顔も体もところどころ肉や骨が露出しており、そこから白い靄のようなものが噴出していた。
多分"澱み"だ。
「…魔獣は"澱み"から生まれるんじゃないんですね、"澱み"が魔獣を作るんです」
「それはどう違うのです?」
ヴェインはわたしが気分を悪くしたのを知って優しい言葉をかけないように気遣ってくれている。
いまわたしを案ずる言葉をかけられたら、それに甘えてしまう。
縋りついてもう二度と見ないようにしてとお願いしてしまいそうになるほどには、強烈な出会いになってしまったのだ。
「"澱み"が生き物を穢していました。元は今の子もただの動物だったでしょうに」
ヴェインが思案気なので、もしかするとわたしの目にだけ違う風に見えているのかもしれなかった。
ルーリアさんの目のせいか、それともわたしが聖女だからか。
もし聖女にしか見えないのだとしたら、そうとう強メンタルが求められますね!
こんなの見た瞬間にトラウマ決定ですよ!
あ、だからヴェインは見せないようにしてくれましたか。
はあ、と長く息を吐いたわたしの背にそっと手を置くヴェインに、ほんの少しだけ甘える。
どくどくと嫌な音を立てて主張する心臓が、耳を占有してしまいそうだったから。
何かを回収したあと戻ってきたヴァイトを労う。
「お疲れ様です、ヴァイト」
「うん。そんなに強いやつじゃなかったよ」
にこっと傷も汚れもなく笑うヴァイトにほっとした。
「それはよかったです」
「たまに魔法つかってくるやつとかいるからさ」
その言葉にせっかく緩やかに落ち着いてきていた心臓がどくんと跳ねた。
だって、それはつまり。
動物には魔法が使えないですから、つまり。
わたしヘンドラー公国を訪れないなんて言ってしまったけれど、それってとんでもないことだったのでは。
いえ人間領はまだ多少の余裕があるはずです。
魔獣の目撃証言も少ない。
であれば、やっぱり魔族領に先に来たことは正しいはず。
そう結論付けてわたしはヴェインに先を急ぐようにお願いしたのでした。
***
橋を渡り終え、真っ先に島の中央にあるという魔王の居城を目指します。
そこに滞在させてもらうのが一番だと思うのです。
元凶の傍にいるのがきっと最も力を発揮できますから。
浄化の強弱を自分で決められないのはとてももどかしいですね。
もっと強くする、とか決められるならばこの島全体を今すぐ浄化するのですけれど。
走るヴェインに抱えられながら深呼吸を重ねたおかげか少し余裕がでてきたので街並みを眺めます。
森に囲まれた緑豊かな街、といった感じで近くに海があることから潮風なんかも漂ってきます。
きっとこの森の木々は潮風にも負けない強い木々なのでしょうね。
道はきちんと舗装されていて、建物は色とりどりの屋根が鮮やかで可愛らしい。
想像していた魔族領と全く違う可愛い街並みに、気持ちが上がった。
「ここがお城、ですか?」
「おそらく、ですが。聞いてきます」
たしかに見てきたどの建物よりも立派ではあったけれど、お城というには少し小ぶりのそれは、どちらかというとプリンセス的な人が住んでいそうな可愛いらしいものでした。
テーマパークで見たことある感じのやつです。
屋根とかピンクですし、淡い色の薔薇が咲き乱れていますし。
ここって聖女のだれかが住んでたとかそういう場所でしょうか?
「主様、間違いなくここが魔王の居城だそうです。」
魔王は今すぐにでもわたしに会ってくれるらしい。
急に来たのはこちらなので今から会うつもりはさすがになかったのだけど。
服とか結構適当なんですけれど大丈夫でしょうか。
…いえ、さすがに着替えたいです。
「ヴェイン、服を…」
「先に準備をしてもよいそうです」
いつの間にか現れていた、クラシカルなメイドさんに案内され、そのかわいい建物を進みます。
この方は…魔族の方なんですよね?
燃えるような紅い髪がとてもお美しいですが、正直人と見た目に差異がありませんね。




