26.キーエンの街
「リン様!」
願いが通じたのかは知らないけれど、ぎゅっとわたしの体を抱き込むようにして部屋を転がるヴェイン。
威嚇するように咽の奥を鳴らし、凶悪な表情を浮かべている。
初めて見ました、本気で怒っているところ。
ぐるるる、と唸りウルさんに咬みつきそうなヴェインを宥め、荷物を纏めるようにお願いする。
と言っても未だ底の見えない名も知らぬ奴隷斡旋屋さんに貰った例の鞄に詰め込むだけだけど。
鋭い目はウルさんを牽制しつつ手早く荷物を纏めているヴェインにわたしはしがみ付く。
「よかった、ヴェインがいないと逃げられなくって」
と囁けば、少し嬉しそうに微笑むヴェイン。
そういう不意打ちはやめてくださいね、顔がいいから。
数秒で逃げる準備を整えた彼がわたしを抱き上げたのを確認し、二つ向こうの屋根まで転移した。
視認さえできれば転移可能だということに最近気が付いたのですよね。
もしかするとパワーアップ的な方かもしれませんが。
ウルさんは本気で追うつもりはないようで、追ってくる気配はない。
おそらくだけど、キーエンさんが会いたいと言ってしまったから見て見ぬふりができなくなってしまったんでしょう。
「"奴隷廃棄場"まで走りますか?」
「うん、そうしましょう。」
なんだかんだであそこは人が寄り付かないので隠れるのにうってつけでもある。
ヴェインはわたしを抱き上げたまま屋根の上を伝って駆ける。
獣人は部分だけを獣化できるようで、今は足とわたしを抱える腕だけがもふもふの狼さんだ。
ものの数分で目的地へ辿り着いた。
「ここ、は…なんというか雰囲気違いますね」
他の街とは違い、どうやら歓楽街として成り立っているようだった。
昼間である今は人通りが極端に少ないし、しんと静まり返ってすらいる。
けれど、格子で向こうが見えるようになった、つまり見世のような場所。
所謂吉原のような建物が並ぶところから想像は易い。
誰かに話を聞きたいのだけれど、他の街と違ってこの場所で生活が成り立っているのであれば、わたしができることはあまりないかもしれない。
「人を探しましょうか。話が聞きたいです」
「わかりました、であればあちらに人の気配を感じます」
ヴェインがちらりと通りの先をみたかと思うと、その場所に立っていた。
何が起きたかよくわからなかったけれど、獣人の移動速度は人間では知覚不可能なほどらしい。
ヴェインがおかしいのかもしれない。転移ではないですよね?
けれど今は置いておきます。
「せ、聖女さま!!」
驚いた顔でこちらを見るのは10歳くらいの少年。
びっくりしましたよね、わたしもです。
「こんにちは。ここの話を聞きたいのだけど、君はお話できますか?」
「に、兄様なら」
もじもじと恥ずかしそうに頬を染める少年かわいいです。
聖女のイメージを保つ努力を放棄していいのなら彼をぎゅっとだきしめて撫でまわしたいですね。
しませんけど。
彼に続き、建物の一つに入ると、そこには大変に見目麗しい女性が居たのでした。
座敷の部屋の窓に肘をかけて座っているので艶やかな赤い髪が床に散らばり、少し伏せた睫毛が頬に落とす影すら芸術的に見えるくらい美しい。
あれ、でも「兄様」と少年は言っていましたよね?
「あ?聖女サマじゃねえか。」
低く唸るような声は間違いなく男性のものでした。
どうやらこの美人さん男性のようです。
全く見えませんけれど。
ルーリア様はお美しいけれど男性ってわかる感じなのですが、この方は女性にしか見えません。
「ハク兄様、聖女様がお話聞きたいみたいです」
「何だ、何が知りてえ?」
少年の回答に楽しそうに眉を上げる彼は、今までみたどの奴隷とも違う活き活きとした目をしていた。
うーん、わたしの力なんかいらなさそうです。
ともあれハクと呼ばれた彼がこの街について懇切丁寧に説明してくれました。
お茶とお茶菓子まで出してくれて。
本当に"奴隷廃棄場"ですかここ。
――この街は娼婦や男娼を棄てる場所、だった。
最初は間違いなくルーリアの街とロゼの街で見たように、寂れて廃れた場所だった。
しかし幸いにも彼らは誇り高き娼婦と男娼。
かれらは力を合わせて何年もかけて建物をそれらしく整え、ここから出られないことを逆手にとってここでしか会えない稀少な存在だと位置づけた。
キーエンの街では今や人気の歓楽街の一つ。
そして現在のリーダーがこのハクだという。
花魁のような位置づけなんでしょうかね、わかりませんけど。
「はあぁ…なんというか、逞しいですねぇ」
あまりに想像していたものと違うのでつい思ったことが口からまろぶ。
「正直な感想ドーモ。で、聖女サマはこんなとこに何しに来た?」
「ええと、必要でしたらその首輪を外します。あと病気や怪我を癒します」
彼らは随分身綺麗なのでそちらは必要なさそうです。
「そんなことしてまわってんのか?」
胡乱げな目は尤もですね。何のために、なんて思うのは当然です。
わたしだって親切にしてくれるひとを疑います。
彼もそうなのでしょう。
「してます、ここで3か所目ですね」
「なんのために」
「わたしのため、ですよ。」
強い光を喪わないハクから目を逸らして呟く。
それは後ろめたいから。
「だって、わたしには全部助けるなんてできませんから。」
「いやただの一人だって聖女サマが救う必要はねえんだが。」
「わかってますよ。それでも、わたしが嫌なんですよ。視界に入ってしまいました。認知してしまいました。
どこかで苦しむ人がいるとわかっていながら、それを無視できませんでした。」
「お優しいこって」
ふん、と吐き捨てるように言うハクの言葉の裏は、視なくたってわかります。
"偽善者め"でしょう。
まったくもってその通りです。
「わたしは偽善者ですよ。最初から言っているでしょう?わたしのため、なんです。
わたしの罪悪感を消すために助けているんです」
失望したでしょう、とヴェインをちらりと見たけれど相変わらずの微笑だったので今は無視します。
ヴェインはおかしいのでした。
うっとりした目だった気がしたのでもう視界にいれないようにします。
ちょっといえかなりヴェインが怖いんですけれど。
ゾッと背筋が冷えました。
「いや、だからそういうのを優しいっていうんだろ?まあ聖女サマに自覚がねえんならいい。」
くしゃっとわたしの頭を掻き雑ぜると、ついてこい、と言われた。
どうやらハクの納得のいく回答だったらしい。
案内されたのは病室の役割を果たす建物のようで、ここにいるのは全て病人やけが人らしい。
働けなくなった人をみんなで支えているそうだ。
「首輪についてももちろん全員分外して欲しい。」
心の自由は欲しいからな、と笑う彼がここに残ることはなんとなく想像がついた。
わたしが居なくなったあと、ここが空っぽになってはあとから来た人たちが同じ道をたどってしまうから、きっと面倒を見るのだ。
もしくはその役目をきちんと誰かに引き継ぐのでしょう。
ハクのほうがよっぽど優しい。
病人やけが人を全員癒し、そのほか全員分の首輪を外す。
この地区に残る人は多分、この首輪が完全になくなることを望んでいない。
表面上は首輪が存在していたほうが、彼らの商売的に役立つはずだ。
"籠の鳥"を売りの一つにしているようだし。
一度外した首輪を触ってみると、簡単に解けた。
「ヴェイン、これって何か魔法とかかかってますか?」
「いえ、一度外れると普通の首輪になってしまうようですね」
わたしよりずっと魔法にも詳しいヴェインはこういう時にもかなり助けてくれる。
すっかり手放せないのが怖いです。
「ちょっともう一回つけてみてもらっていいです?」
ハクに付けてもらい、「それ自分で外せますか?」と聞いてみる。
普通は外そうとしても外れないらしいそれは、あっさりと外れてしまった。
他にも何人かで試してみて、全員の首輪が簡単に外れた。
「へえ、これはいいな。商売に影響がでねえ」
嬉しそうに笑うので、これでよかったのだとやっとほっとした。
「馬鹿な聖女サマだな。お節介なものか。これでこの地区も自由に商売できる。嫌なら辞められるようになった。それがどんなに心を救ったか、聖女サマにはわかんねえか」
ふっとわたしに美しく笑いかけると、集まっていた人々の方を向く。
「さて、今日もはじめんぞ!」
元気よく返事をしたかれらは陽が傾き出したこの時間帯に、活き活きと提灯を挙げる。
すると、次々とお客であろう人々が足を踏み入れ、あっというまに賑やかになった。
ヴェインの影からそっとそれを見届けて、わたしはキーエンの街を去ることにした。
「主様、かれらはみんな感謝していますよ」
「そうですか、それならばわたしも救われます。行きましょうか」
「待て待て!何も言わずに行こうとするな!」
一度お店へ戻ったはずのハクがぜーはーと息を切らせて立っていた。
ええ、ここはこう、綺麗にお別れするような場面でしょうに。
「これやる。絶対役に立つから持っとけ。じゃあまた来いよ」
何かをヴェインに押し付け、にこやかに見送られたのだった。
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完結済みです。
『光の勇者は竜の姫と月の騎士に執着される』
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